見出し画像

2019年11月、浪江取材/「知らない町になっていく」

「有料」とありますが、基本的に全て無料で読めます。今後の取材、制作活動のために、カンパできる方はよろしくお願いします。

〜〜〜〜〜

<続き>

南上ノ原を抜け高台から下ろうとすると、通行止の看板が出ていた。南上ノ原へ行く手前にあった「この先工事中につき通り抜け出来ません」はこれか。

画像1

画像2

なるほど、先日の台風で崖崩れをおこしたのか。

画像3

画像4

徒歩で通るぶんには特に問題もなく、その場を通り過ぎ、高台の下へ。

画像5

20年の2月末までここは通れず。これが首都圏なら1ヶ月で復旧できるのではないか…

画像6

画像7

高台から放射性物質が降ってくるせいか、当然のように空間線量は高め。場所によっては毎時1.0μSvを超える。

画像8

画像9

広大なフレコン置き場。その前に、絵になる木がポツンと残されている。

画像10

フレコンの谷間。COVID-19によって東京五輪は1年延期されたが、その後、この町はいったいどうなるのだろう。五輪を最終目標に、その後の日本はどうにでもなれとやりたい放題の政権とそれを赦してしまう愚かな人々。この先の更なるドン底の谷間を、僕らは生きていけるのだろうか。

画像11

このフレコン置き場の向こうの浪江地域スポーツセンターでももクロが11/24にライブをやった。“モノノフ”でここを見た人はいるだろうか。ももクロのメンバーでこの場所を見た人はいるだろうか。見もしないで「復興」とか言ってないだろうか。僕はそんな人たちは信用しない。

画像12

画像13

画像14

この先帰還困難区域。向こうに見える鉄塔に見覚えがある。鉄塔の左の山は丈六公園だ。

画像15

画像16

画像17

アパート廃墟。中は片付けられている。

画像18

画像19

ここは解体後に除染か。更地にして売りに出したところで、誰が買うというのか。

画像20

放射性廃棄物となった家の残骸。

画像21

八坂神社復興記念碑。

神社等に設置してある記念碑などには、必ず原発事故のことが書いてある。“風評”ばかりを強調し、まるで原発事故そのものをなかったかのように喧伝している福島県や県知事、そして「放射能安全」な人たちはこのことをどう思うのだろう。「福島県民に寄り添う」と口寒い事を平気で言いながら、果たして彼らは浜通りの人々の気持ちに寄り添えているのか。

これまで何度も書いてきたし、これからも書くが、彼らの頭の中では「浜通りは福島ではない」のだと思う。

画像22

画像23

画像24

牛頭天王宮。

画像25

手を合わせ、町中に向かう。

画像26

ウェディングプラザ華厳。ここもいずれは解体されるのだろう。地震ではほとんど壊れていないのに。

画像27

ここは18年5月に訪れて、窓越しに中を撮影した。いつもなら今回も中を撮影するところだが、この日は少し人目が気になりやめた。

画像28

以前はガラスも割れ、玄関がメチャクチャだった会社。綺麗になっていた。まさか再開?と思いきや。

画像29

解体予定。解体。今はどこかで事業を続けているのだろうか。

画像30

画像31

何箇所かで広告看板を見かけたビジネス旅館。ここは以前訪れた時のまま、解体の張り紙もされていなかった。

画像32

18年5月に訪れ、「楽園」の1場面にもなった場所。豆腐屋も三好寿司も解体され、風景は様変わりしてしまった。

浪江から避難している知人が、「私たちの知らない町になっていく」と嘆いていた。震災後の姿しか知らない僕でも悲しく感じる。

絵本『楽園』の一節で、僕は「ただ 大切な故郷として そこにあれば」と書いた。たとえ廃墟として朽ちていくにせよ、解体され、何もない更地になるよりはいいのかもしれない。

この3月に、夜ノ森駅東口、大野駅、双葉駅周辺が立ち入り規制が緩和された。メディアは「避難指示解除」と華々しく喧伝したが、実際はそこに人が住むことはない。双葉町北東部の海寄りの土地に22年以降帰還することを目指す、だけに過ぎない。それまでに、各駅周辺の建物が解体されていくことだろう。富岡と浪江を中心に見てきたが、これからは大熊や双葉もしっかり見て行かねばならないと思う。

<続く>

ここから先は

0字

¥ 100

サポートしていただけると大変ありがたいです。いただいたサポートは今後の取材活動や制作活動等に使わせていただきます。よろしくお願いします!