見出し画像

「なんとなく好き」の『なんとなく』の言語化

初めまして、要(かなめ)です。

僕は美術系大学に行っていたのですが、

その頃は美の概念について考えることや掘り下げることを全くしていませんでした。

いつも課題に追われて何も頭を使わずに、感覚に任せて作品を作っていました。

「自分の味」「オリジナルの世界観」「自らを特徴付けるもの」を構築する上で、自分の好みを把握し、それを明確にし、自分なりにアレンジを加えて表現することは全てのクリエイターの礎になるものだと僕は思っています。

当然美術系大学に行くと、美術作品やデザインを人よりも目にすることになるのですが、

その中で、

これ

「なんとなく良いな。」

「なんとなく好きだな。」

とか

そういう感想を抱く作品に出会ったりします。

おそらく、この「なんとなく好き」を感じたことがある人は、その対象がなんであれ、美術系大学になど行っていなくとも数多くいることだと思います。

果たしてこの「なんとなく良い」「なんとなく好き」という感覚は、別の言葉で表したら一体どういうことなのだろうか?

その中身にはどんなコンセプトがあり、そのコアにはどんな言葉が内在されているのだろうか。


ということを自分なりに言語化することが

おそらく

「自分の好みを深く知ること」や自分の世界観を構築することにおいて、

非常に役に立つのではないか。

「自分がどういったものを好む人間なのかを具体的に言葉で認識しておくこと」は

クリエイター人生において、少なからずメリットがある氣がするし、

何より自分自身の感性の中身において言語化しようとする試みは

自らの感覚をベースにした「良きものを認識できる深み」が増すのではないだろうか。

自分の好みや感性の中身にすごく興味が出てくると同時に、

もしあなたがクリエイターであるならば、

ある時期にそのことについて向き合わざるを得なくなってくるのだと思うし、向き合ってきていることだろうと思います。


これは個人のブランディングをする上でも、ものすごく重要な要素になってくるのだと思う。


自分の好みや「なんとなく好き」の「なんとなく」の中身を言語化することが自己分析につながっているのであれば、今一度、ここで、深堀して置いて損はないと思う。

原点に帰って、

自らの好みの深堀は、非常に重要なことなのではないかと今更ながらに思うのでここに書いてみることにする。

ぜひあなたにも僕の考察を参考に、自らの好みの深堀のヒントにしてもらえたら嬉しい。

自らの知的探求においての一助になれば幸いである。


直感は最大の知性である。byフランシス・ベーコン


腦(脳)の処理する速度で一番最速で精度の高いものが「直感」だとすると、考えるまでもなく知ってるんだよね。

直感は、自分のことを一番よく知った上での回答だから正確な場合が多い。

一番はじめに感じたことは正解が多いのはこのためだ。

そして、守護靈(守護霊)やガイドの見えない存在が僕らをサポートして居るのだと思うように僕はして居る。

そして自分で考えるまでもなくすでに知ってることってすごくあるんだと思う。

今までの人生で自分や人やものに関するデータ量って知らないうちに半端ないことになってるんだと思う。

「好み」に関するデータの蓄積量もそうだし、

人に関する判断材料の多さや普段から受け取る情報の多さにも関係して居るのだと思う。

もちろん守護靈(守護霊)さんたちならばその経験値は膨大なものになって居ることだろう。


人の腦(脳)や靈感ってすごい。

「なんとなく」に関して言えば、

靈感(霊感)または 第六感 でもあるとも思う。


「言葉にする必要がない速度でその物事をそうであると認識する知性のこと」を直感というのではないか。

おそらくものすごい速度でそれをそれと認識する力が人間にはあるのだろう。

直感がよく当たる觀(かん)のいい人は自分自身や人や物事を経験則的に熟知して居る人が多いのだと思う。

それは魂レベルでそうなのかもしれない。


また知性や直感とは、言語認識能力や処理速度の速さのことをいうのかもしれない。


ここではその直感に内在されて居ることであろう言葉の認識と処理の部分において、

「なんとなく好き」の「なんとなく」に注目して書いていこうと思う。



僕は、美や感性(センス)に関して言えば、

結局のところは「個人の好み」であって、


「好き」という感情は


人やもの、出来事、その対象から受ける「心地良さ」や「快の状態」「感情の揺さぶり」「刺激」や「状態や状況」「今ままでの経験則」で決定されて行くのだと思っている。

流行りや、人氣があるとか、みんなから評価されているというのは、

参考対象であり、興味や関心の対象にはなるが、果たしてそれが自分の「好きか嫌いか」の基準とは必ずしも一致しないというのが基本的な僕のスタンスだ。

それはあなたも頷けることなのではないだろうか。

個人の感想や自分の好き嫌いは尊重されるものであるし、

その感想が何よりも、

自分の世界観や良し悪しの基準のベースであり、

「自分を知ること」でもあるのだと思う。

まず美や感性や好みにおいて語るのに、

その基準や指標というものが人によって違うので、

ここでは有名な 「シンプルイズベスト」という言葉についてちょっと掘り下げて考えてみたいと思います。

なぜシンプルなものは良いとされ、心地よさを人に与えるのか。

具体的に明瞭にその良さを隅々まで答えられる人はいるだろうか。

ちょっと考えてみてください。


なんでシンプルなものっていいんでしょうか?


この中身を言語化することは非常に有益なことだと僕には思えるので、

具体的に明確に隅々までとはいかなくとも、ちょっと考察して書いてみたいと思います。

まずあげられるのは「シンプルなものには無駄がない」

無駄を省かれたものは、どうやら人は心地いいと感じる人が多いらしい。

なぜだろうか。

僕が思うに、人は目に入る情報量が多いものに関していえば、

無意識レベルでのストレスを感じているのだと思う。

それは視覚情報を脳内で処理する際、

使用されるエネルギーを無意識に使っていることになるのではないだろうか。ということが考えられる。

それはつまり情報量が多いと脳が休まらないということにつながってくるのだと思う。

好きか嫌いか、快か不快か、の基準は

人の腦(脳)が処理するエネルギー量や速度に関係してくるのではないだろうか。

またそのエネルギーがスムーズに処理される場合に、人は快感を覚えるのではないだろうか。

そして、

パッとみて すぐそれと認識し、そこに不快のない状態のこともそうだと言えそうだ。


ということがまず導き出される。

そしてシンプルなものは

「ストレート」で「素直」で「単純」で「簡素」だ。

「ありのまま」だ。「誰がみてもそれとわかる。」し、

それでいて、「はっきりくっきりすっきり」している。

それを言い換えるならば

「不透明なものが何もない」「嘘がない」「不必要な飾りがない」

「違和感の感じようがない」「誠実さ」や「静かさ」すら覚えるし、

「どこにも回りくどさがない」「自然体」

そして何より「わかりやすい」ということになるのだろう。

これは人に好まれる人間性おいても非常に参考になるのではないだろうか。

下心は先に晒(さら)してしまえばいいのだと個人的には思って居る。

素直に誠実に晒せばいい。その返答は相手次第だ。

怖いから晒すんだ。

怖いから正直に素直に晒すことが一番の怖さへの対処法だと思って居る。

下心なんてどうせバレる笑 先に晒してしまえば、

秘密にするストレスもバレる心配もなくなるってものだ。

そしてそこには信頼のベースが生まれてくるのだと思う。


人はよく知らないという状態が 怖い のだ。

不透明、不明瞭、情報がない、これは不安材料になる。

いってみれば「不快」な状態なのだ。

ストレスの原因でもある。自分にとっても、相手にとっても。


相手を信頼して全てを晒して委ねてしまえばいいんだと思う。



要するにシンプルなものというのは、



【必要のないストレスを感じないようになっている】状態のことなのだと思う。



人が「心地よい」と思うのは言ってみれば

「ストレスがない状態」ということではあり、

「ストレスがない状態」というのを言い換えてみれば

「調和が取れている。」

「バランスが取れている。」

「必要なものだけがぴったりそこに当てはまっている。」

それが「ちょうどいい快適な状態」をその空間に生み出しているということになるのだと思う。

また、「違和感のない状態」とも言えるのではないだろうか。



では「ぴったり」とか「ちょうどいい」とは一体どういうことなのだろうか。



昔から「いい塩梅」「良い加減」などという言葉が日本には存在する。

そこには主観や個人差はあるものの、

「歯車やパズルのピースが噛み合う」

「プラスとマイナスがバランスよく出会う」

「凸凹が絶妙に組み合わさる」

そこには「必然的な奇跡」が存在しているようにすら見える時がある。

そういう時には「あるべくしてあるのだ」という状態が存在するということになる。

それは一見自然すぎて普通のことにも見えるのだが、

そこで起きている調和は無意識に人に「快」を与えているのだと思う。

というか、「快」のもっとも基本的なベースになるものが「調和」や「スムーズさ」「フィット感」なのではないだろうか。

そこにあらゆる要素が加わってくることだろう。

自分や他者の「心理的状態」「心理的環境」はもちろんのこと、


例えば、

「シンクロニシティ(共時性)」 というものの影響力を例にあげてみよう。


人は自らと「同じ」ということに対して、相手やものへの「親み」と「拒絶」が時と場合によって発生する。

そこにも、ある種の「偶然」が「必然性」を帯びて見えたりする瞬間に「快」や「親み」を感じる場合がある。

そんな経験を僕は本当に毎回感じている。

なぜそのように感じるかというと、

そこには対象や人に対して何か特別な深い「繋がり」を感じるからに他ならない。

人は無意識の深いところで、

不快感のない「繋がり」や「同じ」であることの「安心」や「自己同一性」を求めているのではないだろうか。

キーワードとしては

「繋がり」「特別」「驚き」「親み」「安心」「安堵」などがあげられるのではないだろうか。

そして、それに慣れると「変化」を欲し、

また「安心」へと帰ってくることを繰り返しているのではないだろうか。


「快」か「不快」が人の行動基準であると言われているし、

人は「不快」からは無意識に逃げようとする生き物だ。

「不快」の蓄積がストレスであり、それが溜まると様々な症状が出てきたりする。

なので、その機能は「防衛本能」でもあるのだと思う。

それが人には備わっていることをここで理解しておこう。


快という状態は上であげた「シンプル」についての考察で述べた通り、

個人差はあるにせよ

「無駄がない」「ノーストレス」「心地いい」「ちょうどいい」

「調和」「バランス」「フィット感」「自然体を感じるもの」

「ストレート」「素直」「単純」「簡素」「わかりやすい」

「違和感がない」「回りくどくない」「不透明なものが何もない」

「嘘がない」「不必要な飾りがない」

あるいはその印象から「誠実さ」や「静かさ」

「はっきりくっきりすっきり」している状態のことを

「シンプルさ」と言えるのではないだろうか。



シンプルなものというのは、

あえてこの中から一つ取り上げるとするならば「ノーストレス」なものなのだと思う。



もちろん、「シンプル」の反対には「カオス(混沌)」がある。

そこに「快」を感じる人もいることは間違いなく存在するだろう。


人には何にでも「相性」と「時期」があるのだと思う。


このように文章をこねくり回して、言語化し、違う言葉で言い換えて見たりして、

結局単純な回答に行き着くことに意味があるのだと思う。

僕がここで出す結論は

「人はストレスを避ける生き物なのだ。」ということだ。


ではここで

あなたの「好み」に対して質問を投げかけて見て欲しい。

「人」でも「もの」でもなんでもいい。


例えば、

「なぜあなたはそれが好きなのか?」という問いに対して、

「心地よいから」という答えが出てきたのならば、

「ではなぜ心地よいのか?」と

「なぜ?」と答えが行き着くところまで

自らに深堀して聞いてみて、あるいはその答えを出てくるままに

書いてみて欲しい。


その理由を掘り下げて見て欲しい。


その効果的な方法としておすすめなものは「マインドマッピング」というものが有効だろう。

マインドマップとは簡単にいうと関連するものや言葉をどんどん上げていってその対象の全体像を把握するのに便利なツールのことです。

(マインドマッピングのスマホアプリで僕がおすすめなアプリは「mindly」というものだ。無料でもできるのでぜひ検索してダウンロードして見て欲しい。)
http://www.mindlyapp.com/download

そのマインドマップで真ん中に「好き」の対象を置き、その理由を関連づけて掘り下げて見て欲しい。

*他にも「人生」「人の名前」「特定のテーマ」を中心においてやってみると面白いと思います。


そこにはあなたの好みに置ける「あらゆるものに共通する」

「コンセプト」や「コア(核心)」や「状態や状況」、

あなたの腦(心・感性)が「快」を感じるもののベースになっているものに全てたどり着くことだろう。


その試みは「自分自身を喜ばせるための方法」や「自らの好みを知る」上で重要になってくるし、

あなたがクリエイターであるのならば(というか、全ての人にはクリエイティブな性質が備わっているのだが。)

自分の作品や世界観やビジョンを作り上げる上で重要なキーワードになってくるのではないだろうか。


そしてそのコンセプトを元にアウトプット(作品を生み出す。作り上げること。)をしたのならば、

そこに「共感や共鳴」が生まれ、今までにない深い「繋がり」が生まれてくるのではないだろうか。


ということは、

自分自身の好みや感性を深堀する(あれやこれやと言語化する)ことは、


今までにないレベルで深く、その感動を新たなる角度から再認識することができるようになるのではないだろうか。


そして、自分自身の新たな発見に行き着くことになるのではないだろうか。


結果的にこれからの人生においても重要になってくることであろう


【自分自身とのコミュニケーション】あるいは、

【自分自身とのパートナーシップ】を取ることにおいて、

良い効果を生み出すことに繋がるのでないかと思うのでR。



自分の好みを深く認識していれば

時間やお金やその上での人間関係でさえも

選択に無駄がなくなり、人生の幸福度が高まって、

「自分自身のする選択の居心地のよさ」とその精度がどんどんよくなっていき

すごく快適で生きやすくなる一助になるのではないだろうか。

だってそれに素直になればいいだけなのだから。


【自分を知ることは自分を愛せるようになる上で必要なことである。】


苦手や嫌いもしかりね。

またその克服で人生も器も大きく変わってくるのだと思うなぁ。


以上です。

ご購読ありがとうございました。


PS.

ここでのこの文章が生まれたことに僕はなんだかときめいているのだけれども。笑

なんか嬉しいんだよ。すごく。笑

あなたがもしこの記事を読んで少しでもいいなと思ってくれたのならば

よし良かったらでいいので、ぜひ人にこの記事をおすすめしてもらいたいです。

「シェア歓迎」です。感想やコメントもくれるとすごく嬉しいです。


こっちでもいいよ。

メールアドレス renkaname.333@gmail.com



首を長くしてお待ちしております。笑

なんでもいいんだ。一行でも委員だ。(何委員だ。笑)


僕は福祉委員でした笑


なんやねんその情報ww(いるのかw)


まぁええけども笑 ꉂꉂ(ˊᗜˋ*)


自己紹介するね

名前は要(かなめ)です。

29歳で、1989年3月21日生まれのAB型 牡羊座 

動物占いは子鹿のゴールド 新潟県出身で 新潟県在住です。


人生のモットー

・美味しいものを好きな人と一緒に食べること

・心から笑いあえる人たちと時間を過ごすこと

・居心地の良い快適な睡眠環境を自分に用意してあげること

・好きな人と愛を交わすこと(家族・恋人・友人・動物・植物・地球)

・全ての人や生き物にはどんな欲望や感情や思考があっても全て許されていて自由であり尊重されているということ(好みはあるとして)

・好きな時に好きなことができるという幸福に感謝して過ごすこと

・なんか知らんけど、結局どんなことも最終的には大丈夫だし、感謝に行き着く自分に感謝してます。


こんな感じかな。


ここまで読んでくださった「あなた」にありがとう。

すごく嬉しいです。


これからnoteでは、

「あなたと僕の人生がより居心地よくなること」を願って

書いていくことになると思いますので

これからどうぞよろしくお願いいたします。  ぺこり。


書いてみて感想


あー楽しかった。この文章書いてて本当に素直にそう思うのであった。

なんか自分で居れる場所が世界にあるというのは本当にいいものだね。

自分の在り方や居場所を見つけていくというのは、

自分の世界に安心基地を作るようなものだね。

ここが僕の安心基地になるように書いていこうと思ったし

それがあなたにも伝わればいいなと思うのであったぁぁ。

そうなのであったぁぁぁあそうなぁぁぁぁ


(日本昔ばなし風ww)

(↑待ってw そうなのであった「ぁぁぁあ」ってあをそんなに伸ばさなくてよくね?w )

(え?wあwほんまやw)

(笑)

(まぁええかw)

(まぁええよw)

(んw)

w


書くならばいい状態(自由)で書いて生きたいからね。

基本感想は自由に書こうと思うw


それじゃあまたここでお会いしませう。

ご購入くださり本当にありがとうございます。

それではまたお会いできればと思います。


サポートしてくださったお氣持ちは記事を書く上での資料などに大切に使わせていただきたいと思います(*´꒳`*)