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最近感じたこと 〜生命の重み〜

どうも西尾です。

君たちはどう生きるか」「ゴジラ-1.0」がアメリカのアカデミー賞を受賞したこと本当にすごいことだと思います。

おめでとうございます。

こういったアニメーションは日本が世界に誇れることの1つだと思いますが、一方で、実際に携わる人(クリエイターの皆さん等)に不利になるような、自ら首をシメるような政策(インボイス等)をとる今の政府に対してはいかがなものかと思います。


最近感じたこと 〜生命の重み〜

ホームセンターのペットコーナーにて

私の住む地域にはホームセンターが何店舗かある。

コーナンが2店舗、島忠ホームズが1店舗、ニトリが1店舗…くらいしか直ぐには思い浮かばないが、ニトリはホームセンターというよりインテリア家具屋の方が正しいかもしれない。

その中でもコーナンの1店舗(こちらの方が規模が大きい)にはペットコーナーもあり、実際に犬や猫、熱帯魚、鳥類、小動物(ウサギなど)も売られている。

このコーナンに訪れた際にはペットコーナーも見に行くようにしている。

見ていると癒されると同時に、この生き物の命がこの値段で販売されているのかと思うと複雑な気持ちになる。

こればっかりは仕方のないことではあるけども。

ペットの売買を禁止する法律や決まりが出来たら別かもしれないが。

ホームセンターでは、たいがい犬や猫のコーナーを軽く見て癒された後は、魚類コーナーへと向かう。

小さい時に熱帯魚とメダカを飼っていたことがあったからだ。

熱帯魚はグッピーであった。

グッピーは色とりどりで様々な色を呈しており綺麗だった。

飼うからには世話をしなければいけない。

当たり前のことだ。

熱帯魚であるため、水槽にヒーターを入れて水温を調整しなければいけなかったし、水の濾過装置も設置しなければいけなかった。

水道水を直接使用すると死んでしまうため、カルキ抜きを使うか、丸一日溜め置きをしてカルキを飛ばした。

水槽の底には砂利を敷き詰めて、オオカナダモなどの水草も少しだけ植えるようにした。

毎日2〜3回は餌をやって、水も水槽も汚れてくるので定期的に水を替えて、水槽も綺麗にしてあげた。

グッピーは繁殖力が高く、いつのまにか水槽に稚魚が泳いでいる時があった。

メダカの場合はホテイアオイなどの水草の根に卵を産みつけるので、定期的に根を確認して、卵のみ別の水槽に移した。

移さなければメダカは卵を食べてしまう。

グッピーの場合は稚魚を見つけたら、稚魚用の囲いの中に移して、ある程度大きくなってから成魚たちと一緒にしていた。

私が餌をやりにいくと直ぐに集まってくれる。

餌やりの時間では無いが水槽の前に行くと集まってくれる。

こちらも愛着が湧いてくる。

嬉しくなる。

私の代わりに家族が餌をやろうとしても集まってくることは無かったらしい。

そう言われてまた嬉しくなった。

自分は面倒見が良いのだ、生き物の世話は自分で無ければ出来ないと誇らしく思った。

学校から帰ってきたらグッピーに餌やり。

休みの日には遊びに誘われるも水槽の水替えと掃除をしなければいけないから遊びの誘いも断る。

水草が枯れてしまったら新しい水草を買いに行く。

そんな感じで世話をしていると愛着が湧いくる。

犬や猫のように名前をつけたいと考えるのだが、水槽に2匹ならともかく、10匹近くいるのでそれは諦めた。

魚と言えども人間と同じ生き物である。

いつかは死を迎えてしまう。

朝、学校へ行く前に餌をやるために水槽を覗くと、一匹だけ水面に浮いていた。

朝から悲しい気持ちになった。

夕方、学校から帰り水槽を覗くと、また1匹、水面に浮かんでいることもあった。

この時も悲しい気持ちになった。

いくら魚とは言え、自分で世話をしていたので愛着が湧く。

やはり死んだ時は悲しい。

小学生ながらに生命の重みというのが少しだけ分かった気がした。

それと同時に生命の呆気なさと言うのか、儚さも実感した。

自分や家族が普通に生活している中で、何の前触れもなく急に生命が無くなることもあるのだと実感した。

それはメダカの時でも一緒だった。

自分には生き物の世話は向いていないのではないかと思うこともあった。

でも、まだまだだ元気に泳いでいるグッピーやメダカはたくさんいた。

そこからはこれまで以上に責任を持って世話をするようにした。

人間と同じで寿命もある。

私もそうだが、グッピーもメダカもいずれ死を迎えることになる。

死に直面するのは嫌なことだし、悲しいことだし、出来れば避けたいことであるけども、有限だからこそ生命がある意味、生きることの意味ということに深みがあるのかもしれない。

生き物を飼う時には、その命を自分が預かると思って飼うようにした。

もちろん植物の時も一緒だ。

最近は生き物を飼っていない。

正確に言うと観葉植物くらいである。

定期的に水をあげて、ネットか何かの記事で植物に声をかけると良い、と書かれていたのでたまに声をかけてみる。

生命は大切。

そんな言葉をよく耳にする。

でも本当のところどうなんだろう、と思ってしまう。

ヤフーニュースに電車の人身事故のニュースが掲載される。

人身事故の原因は分からない。

よそ見や歩きスマホでホームからの転落なのか、或いは自死なのか…

ヤフーニュースにはコメントが書ける。

コメント欄を見てみると、死のこと、生命が亡くなったことよりも、遅刻してしまうや、他人に迷惑をかけるな、などのコメントが多いように思う。

生命は大切。

生命が亡くなったことよりも、遅刻しないことの方が大事なのだろうか、と思ってしまう。

生命は大切…

どれだけの人が本当にそう思っているのだろう。

最近のニュースにしろ、世の中にしろ、他人に対して少し冷た過ぎないかなと思ってしまう。

他人に対して、もっと言うと、その人の生命に対して、その人も生きていると言うことに対して。

赤の他人かもしれない。

でもそんなことを言い出すと、家族意外は皆赤の他人になってしまう。

赤の他人同士が助け合い、支え合って世の中は出来上がっているのに、他人はどうでもいいとなると、それこそ自分の生命もどうでもいい、ということに最終的につながるのではないかと思ってしまう。

生命は大切。

生命の重み。

ホームセンターのペットコーナーから少し飛躍してしまったが、そんなことを考えずにはいられなかった。



以上です。

お読みいただきありがとうございました。







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