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教師に金銭的、精神的余裕が必要だと思う理由

少子化に伴い、介護職に勤めている方の給与や福利厚生についてよく議論されるようになった。

私は教師についても、同様に考えてほしいと思っている。

これには理由があって、お金と精神的な余裕が関係している。


金銭的余裕と精神的余裕はいつだってイコール


やはり、金銭的余裕のない人間が精神的余裕を保つことは難しい。

余裕のない大人がどうなるかは、挫折を経験した方なら分かるのではないだろうか。

金銭的に余裕があり、社会的に肩書きもしっかりしてる人の家の子どもを想像してほしい。

一方、金銭的に全く余裕がなく、ギャンブルに惚け、仕事も不安定な人の家の子どもを想像してほしい。

偏見を抜きにしても、金銭的余裕のある人の家の子どもの方が、虐待に遭う確率は低いだろう。

なぜか。

金銭的余裕がなければ精神的余裕もなくなるからである。

そうならない方法もあるが、それが自己啓発や錬金術と呼ばれる、世間が胡散臭いと思っているやつだ。

冒頭になぜ教師の勤務環境を見直せといったかというと、子どもは大きくなればなるほど、親より教師や友人と過ごす時間が増える。

特に私のような問題児は、大抵、最初の非行として家に帰らなくなる。

昼間は教師に追い回され、夜は母に追い回されていた。

子どもの持つパワーは凄まじい。

担任に部活まで受け持っている教師は、相当疲弊しているだろう。

私はなんでもハラスメントにされるこの時代、圧倒的に人は金銭的余裕がなくなっていると思う。(もちろん精神的余裕もない)

アベノミクスはインチキで、人の購買意欲を掻き立てるのは昔よりも複雑になった。インターネットの普及により、自分を晒すことなく他人を私刑することもできる。

なんでも便利になったせいで、人は逆にイライラするようになっただろう。

もっと早く、もっと便利に、もっと簡単に、もっと楽に。

AIに乗っ取られて人類が滅亡する可能性が、あながち笑えない状況であることに誰も気づいていないのだ。

なぜ不便な沖縄に、毎年多くの人が移住しているか分かるだろうか。

結局人がもので満たされることはなく、精神的な幸福を求めて生きているという証拠である。

私も漏れなく沖縄に移住していた時期があるが、東京生まれ東京育ちの私には不便で仕方なかった。けれど、とても幸せな時間だった。

それでも多くの人が元いた場所に帰るのは、精神的な幸福だけでは生きていけないからである。

綺麗事を言うのはもう終わりにしないだろうか。


おかしいと感じることに子どもも大人も関係ない


自分の子どもが悪いことをして、教師に叩かれてなにが悪いのだろう。

子どもは無知だ。

無知な人間の振るう暴力は、時に笑い事では済まなくなる。

子どものいじめは冗談半分では済まないことがほとんどだ。川崎の事件を思い出してほしい。

陰湿さや執拗さ、残酷さは大人に勝るものがある。

嘘をつけば誰かが傷付き、ものを壊せばそれを直す人がいる。

「自分のことだけを考えて生きていれば、いつか痛い目に遭う」

と知らなければ、その子はいつまでも正当な理由を後付けして独りよがりに生きるだろう。

教師が、どのくらい子どもに暴力を振るわれているかご存じだろうか。

どのくらい子どもに暴言を吐かれ、親に因縁をつけられ、学校のためだと頭を下げているか知っているだろうか。

少なくとも医療少年院の刑務官は、腕に痣ができるくらいの怪我も「いつもよ」と笑い飛ばすほどだ。

自分の仕事で取引先や客から、そのような扱いを受けたらどう感じるか。

私なら即労基に駆け込み、マスコミリークで一儲けしてやる。

だが、教師だから、子どもだから、とそれらは許されている。

そう言うなら、金をやれよ!

と、思うのだ。

100万円もらえたら「クズ」や「死ねよ」と言われても、我慢できる「大人」は多いだろう。

履き違えないでほしいのだが、子どもはお金をもらってもこの言葉には耐えられない。

それが子どもと大人の違いだ。

教師だから、介護職だから、精神科勤務だからと、そんなものは関係ない。

人間は動物だ。

皮膚を噛みちぎることもできるし、手だけでものを破壊することもできる。

武器を用いて大量殺人を行うこともできるし、まじで理性を失えば人は人を食べることだってできる。

それを相手が子どもだから、老人だから、病人だからと目をつむれば、障がい者施設で大量殺人を行なった殺人犯の主張も理解できなくないだろう。

事実、彼の言う通り、医療少年院にいる少年がなんのために生きているかは分からない。

毎日奇声をあげ、ナプキンを食べ、他の少年を殴り、先生に暴言を吐いて、なぜ生きてるのか考えても一生分からないだろう。

そんな人間を税金で養う意味も価値も、ないのかもしれない。

だが、どんな子どもであれ、教師と同じである。

彼らにも守られる権利があるし、生きる権利がある。生きる上で不当に感じたことを訴える権利もある。

だから殺していいという殺人犯の主張は理解できないが、彼の言いたいことが分からなくもない。

人は便利になるにつれ、どんどん賢くなる。

小さな子どもがスマホやタブレットで遊ぶ光景は、もはや見慣れたものだ。

人の痛みが分からない、つけあがった子どもが大人になったらどうなるか。

力を持ち、権力を持ち、自由を得たらどうなるか。

もう一度言うが、人は動物だ。

よく考えて、子どもだからという言い訳を利用してほしい。


私たちが持つ武器はネット、絶対に変えられることがある


人は空腹時と満腹時、どちらの方がストレスを感じるかご存じだろうか。

満腹時の方が、空腹時よりストレスを感じているのだ。

人は与えられすぎると、無いことよりもストレスを感じる。本来、質素な生き物なのだ。

それを便利だからとものを増やしすぎた結果、今の日本に精神的な問題は片付けられないほど増えている。

ハラスメントってなんだよ。

冗談も笑飛ばせなくなった時代に、疑問を感じろよ。

みんな麻痺しているが、日本は貧困だ。

決して裕福ではない。

賢い人が儲けているだけで、貧富の差は広がっている。

なら賢い人になろう!というのは間違いだ。

根本から底上げしなければ、解決したとはいえないだろう。

物価は上がる一方、税金は増え続け、労働時間は誤魔化されながら大して変わっていない。

育休だの働き方改革だのといっているが、そんなものが現実にまかり通ると思っている政治家にびっくりである。

今年の10連休、まともに休めた人はどのくらいいただろうか。

インターネットを通して多くの人が「本当のこと」を知れるようになった。

これはとても革命的なことで、新聞やテレビといった一方通行の時代から意見交換ができるようになったのだ。

今や政治家もTwitterで国民と意見交換をする時代となり、与えられた情報だけでなく様々な視点からものを見れるようになった。

ならばもう、黙っている理由はないだろう。

異論があると声をあげ、正しいことには正しいと背中を押す。

日本人はデモをしない。

政治犯もほとんどいないし、ストライキを起こすこともない。

だが、いつまで黙っているのだろうか。いつまで臭い物に蓋をし、見て見ぬ振りをするのだろうか。

私には無理だ。

知ってしまった以上、変えたいと思ったら動かずにはいられない。

幸いなことに社会的リスクを負わずに少年院卒であることを話せるのが、インターネットという場所である。

だが、私は最終的に自分の顔と仕事で執筆したもの、その他必要な個人情報は晒そうと考えている。

こちらが正々堂々勝負を挑めば、結果は関係なく事態を前進させることはできる。

大事なのは結果じゃない。声をあげたという事実と過程である。


まとめ


次にすることは、声をあげることだ。

人はエスパーではない。言われなきゃ分からないことばかりだ。

私はノートを始めて数週間だが、たった数週間で教育関連の仕事に就く方がたくさんフォローしてくれた。

声をあげなければ誰の目にも触れることのなかった医療少年院の実態が、たった数週間で多くの人に伝わったのだ。

そうして百が千になり万になる頃には、子どもはより良い環境で暮らしていけるようになるだろう。

いいじゃないか、人間だもの。

失敗だってするし、間違いだって犯す。

大切なのはこれから、ではないだろうか。



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