寂しがり屋だったあの頃のわたしに
わたしは現在、一人でいることが多く、一人でいることにも居心地の良さを感じている。
ただ、先生に言われたあの頃の一言が今でも引っかかってしまう。
わたしが講義後の先生に質問というか、相談をした時。
確かにそうかもしれない。
小学生の頃から、わたしは人と上手く溶け込めないことに悩んでいた。人と同じようにしているはず、優しくするように努めているはずなのに、「なんか違う」という違和感。
なぜうまくできないのかわたしにはわからず、ただグループでボール遊びやジャングルジムで遊んでいる同級生たちを見て、わたしは一人で教室で絵を描いていた。そんなような小学生だった。
今ではもう立派な黒歴史だけど、昼休み校庭のど真ん中で体育座りをして、あの雲は何の形に見えるかとか、朝礼台の上に昇ってドラマで覚えたセリフを叫んでみたり、踊ってみたりとか(全く覚えてなかったのにそのことを先輩に指摘された)。
今思えば、こんなわたしの奇行は、誰かに注目して欲しかったからゆえなのかもしれない。
結局、わたしはずっと「憧れのあの子」「憧れのあのグループの中の子」にはなれなかった。
時折、面白いことを言ってみたり、どうすれば皆と仲良くなれるか本を借りて勉強して、「班の中で面白い子」になることはできた。
もう、その時はとても嬉しくて嬉しくて。その時あった出来事、お気に入りの言葉を自由帳に書き留めていた(必死すぎる)
でも、そんなことは長くは続かなかった。わたしには、注目され続けることは向いていなかった。
あの頃のわたしに、「学校での立ち位置が目まぐるしく変わることなんて、当たり前なんだよ」と教えてあげたい。
でも、どうしてもそこにあった幸せ、キラキラした思い出を手放したくなかった。
しかし人間は、好かれる時も嫌われる時もやってきて当然なのである。それが怖くて、わたしは自然と人と距離を取るようにした。
人から受ける影響が怖い、あの頃、皆と同じようになれないと感じた劣等感や、
人と親しくなった時、手放すことが惜しいと感じてしまうという感情。人と上手く溶け込めないことが怖い、嫌われたらどうしようという不安。
仲良くなっても怖い、仲良くならなくても、いっそのこと嫌われても不安。
こんな気持ちじゃ、一人になりたくなるのも当然だよねって思う。
そんな繊細な気持ちを押し込んで、「一人でも楽しいよ、大丈夫」と言っていたわたしを抱きしめたい。
一人で寂しくてつらかったよね、本当は仲良くなりたいんだね、どうすればいいのかわからないよねって。
なんで今まで気づかなかったんだろう。寂しいという気持ちはずっと心の中にいて、つらくて悲しいと叫んでいたはずなのに。叫び疲れて、ここまで気づいてくれるのを待っていたのかな。
今のわたしなら、あの頃のわたしに優しく微笑みかけられる。
誰とも上手く関係を持てなくてつらくて、結果一人で塞ぎ込んだ。
今も、特に誰とも関わりを持ちたいとか考えていない。いわゆる心を閉ざしている状態なのかもしれない。
きっと、幼少期のわたしと同じように今感じている人、
こんな気持ち、押し込んでしまって忘れてしまったという人、たくさんいると思う。
人と上手くやれなくても大丈夫なんてまだ思えない。人と違っても大丈夫なんて思えない。
人と関わることは怖いけど、関わらなくては生きていけない。わたしと同じように、そんな虚しさを感じている人がいるはず。
つらいよね、不安だよね、気持ちを奥に追いやって頑張ってるんだねと手を取りたい。
余談で、ヘルマン・ヘッセの「デミアン」の冒頭に、こんな言葉があった。
これを見た時に目を奪われて、これからも心の片隅に置いておきたいなと思った言葉なので、紹介したいと思う。
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