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わたしは、今ここに生き延びた。~虐待サバイバーから親への手紙~

あなたが生き延びた、その世界の記憶を広い世界に伝えてみませんか。

それが現実にあったことであり、それを受けたのが非力な子供であり、その後の深い心の傷があなたを苦しめているのなら。
あなたが今ここにいることを発信することで、誰かの心や生命を助けることができるかも知れない。

11月に開催される東京における講演イベントにて、親への気持ちを手紙にしたため、朗読してくださる一般の当事者さんを募集します。
文章作成が得意でない方にはお手伝いを致します。ツイッター公式アカウント、または代表ツイッターアカウントまでDMを送ってください。

虐待の夜は、まだ夜明けを知りません。


あなたの声をどうか届けてください。


虐待サバイバー「いち」による、親への手紙


「毎日寝顔を見ているぞ」

 得意気な父。

「そんなことでは仕事なんてできない、ちゃんと学校へ行きなさい。勉強しなさい」

 育てることを祖母任せにして、成績と進路だけには口を挟む母。

 ふたりともとても頭のいい賢い品行方正な人。学歴から職業まで、本当に眩しいくらい。運動も勉学もできて趣味は高尚、もう頭が下がるばかり。

 わたしは後になって生まれつき広汎性発達障害に協調運動障害と極端な短期記憶障害を併せ持ってたことがわかった。
 でも、生まれつき弱視で生まれつき糖尿のあったのは知っていたじゃない。3月生まれもハンデだったじゃない。ついでに噛み合わせも逆だとか。
 見た目も性格も可愛くなかった子供時代の悲しみは絶対になにかに昇華させたりしないよ。だってそんな人に出会った時に、励ましなんて可哀想なことをしたくなんかないから。

 成績は奮わなくても、頑張って中学では生徒会役員を二期務めて学校でとても評価されたよ、部活でも賞を取ったし副部長だったよ。行きたくなかったとはいえ一年は頑張って通った高校を辞めたても、大検取得して四大まで卒業したよ。
 それでもわたしが仕事ができなかったのは、わたしには仕事なんか務まるはずがないと自分で信じて疑わなかったから。就職活動はするのも意味がないと思ってしなかったんだもの。だってわたしは社会に出てはいけない状態が変わらなかったからだよ、違う?
 知っていたよね、家でも学校でもわたしは落ち零れ以外の何者でもなかったこと。成績表が酷い有様だったこと。
 これじゃダメだとずっと言われて育ったら、人間は本当にそうなっていく。恐ろしいことに。

 15歳から仮面鬱になった。18で摂食障害になった。小さい頃から解離性離人発作があったけど、これは普通にみんななるものだと思ってた。抜毛症やらチックやら、病気と思わなかったから伝えなかったこともたくさんある。

 大学を卒業した頃には、もう文字通りの満身創痍。深夜のコンビニで買うものは酒瓶と昔ながらの剃刀。
ジンをラッパ飲みして剃刀で切る、腕や脚や胸や首や顔まで。それで毎日酔っ払っては友達に泣きながら電話して、すぐに周りには誰も居なくなった。
 見つからないようにしても、毎回縫うほどじゃさすがにバレちゃうね。止めずにお金も自由に使わせて、お酒と剃刀は溜め込むほどだったね。
 その頃よく高級デパートでブランド品の服や靴や化粧品をたくさん買い与えてくれたけど、それ別にそこまで欲しくなかったんだ。それはごめん。

 でさ、わたし36だよもう。それでもまだ発作で喚くわたしに合わせて激昴してるなんて情けないよ。

 もう、親としてのあなたたちが要らなくなってしまったんだ。

 だからもう捨てさせて欲しい。そしてわたしという娘がいたことなんて思い出すことなく、ゆっくり老後を過ごしてね。恨み呪うほどわたしは暇でもないんだ。次の芝居やライブ出演があるんでね。

 あとは、お金で育てたものは最後までお金で面倒を見てもらいたかった。
 ひとりになったら家を売って相続税を払い、アパートを借りて生保を受けろと言われた時は「そんなふうに生きるために生んで育てたのか」と失笑ものだったよ。

 ごめんよ、不幸にしかなれない人間だったから、あなたたちを親として生まれてきたことには後悔しかない。

 生きていたくなかった。生まれてきたくなかった


寄稿:いち

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