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大沼 ほのか/大沼農園

法人名/農園名:大沼農園
農園所在地:宮城県南三陸町
就農年数:4年
生産品目:栗、桃、ぶどう、ブルーベリー、いちじく、りんご及び自社栽培の作物や、父が運営する養鶏場の卵を使ったクレープの移動販売
Instagram:大沼農園(自然卵のクレープ 南三陸店)
SNS:大沼農園┆南三陸町

no.234

12歳で東日本大震災を経験。帰郷後、思い出の栗園は無くなっていた。「復活させたい!」

■プロフィール

 1998年、宮城県南三陸町歌津(うたつ)地区で生まれる。サラリーマンの家庭に育つが、祖父が水田を持っていたので幼少期から親戚が集まって田植えや稲刈りなどの作業を手伝うなかで育つ。

 12歳で東日本大震災に被災。仮設住宅に入れなかったため、北海道江別市に受け入れもらって、2年間を過ごす。南三陸町に帰郷後、父が地鶏の平飼いを行う「田束(たつがね)山麓 自然卵農園」を開始し、以前より移動クレープ販売を行っていた母は、父の卵を材料にするようになった。

 高校3年生のときに、授業がきっかけで農業に興味を持ち、卒業後は県内の農業大学校に入学。そこで果樹栽培を学び、果樹のなかでも栗に興味を持つ。卒業後、南三陸町の入谷地区に農地を借りて就農。
 
 栗や桃、りんごなどの栽培を行う一方で、果樹園で収穫した果物を使用したクレープの移動販売など6次産業化にも挑戦、農家カフェの開業も予定している。

■農業を職業にした理由

〜震災をきっかけに移住、帰郷、そして農業へ〜
 宮城県南三陸町生まれ。幼い頃から祖父の田植えや稲刈りなどを手伝い、農作業に親しんで育ったが、父親は会社員、母は移動クレープ販売を営んでいた。

 小学校6年生で東日本大震災が発生。自宅は津波で流され、移動クレープ屋の母は気仙沼で被災したが、幸い、両親も3人姉妹も無事だった。その後、一家で北海道に移住。

 その間、「いつか農業したい」と夢を抱いていた父は、移住先の江別市の養鶏場で働くなどして、就農準備を進め、帰郷後に平飼い地鶏の養鶏場「田束(たつがね)山麓 自然卵農園」を始める。また、母は父の卵で作ったクレープ屋を営むようになった。

 高校3年生で将来を考えたときに、子供の頃に手伝った田んぼでの作業や、栗拾いの楽しい記憶が重なって、農業をやるなら栗を作りたい、と思うようになる。

  というのも、果樹は野菜に比べると単価が高いうえ、日々の手間も少ない。そのうえ、加工してスイーツなどの商品化も可能なため、効率が良いのでは…?と、宮城県農業大学校の園芸学部に進んで果樹を専攻。

 勉強を続けるうちに、果実を間引く"摘果"に興味を持つ。栗には「生理落果」といって、栄養不良の実が自然に落下する習性があるが、それでも人の手で間引いてやる方が、品質やサイズが良くなるという研究を行なって、卒業論文を発表するまで、のめり込んだ。

〜土地を得て、果樹栽培をスタート〜
 卒業と同時の2019年4月に就農。農大時代の研修先から「栗一本に絞るのはリスクが大きい」という助言を受けて、その人の伝手(ツテ)を頼って、入谷地区に農地を借り、さらに桃園も譲ってもらうことができたので、最初は桃から生産を開始。

 「桃栗三年、柿八年」のことわざに違わず、桃は3年目に実が成ったが、栗はクラウドファンディングで苗木や肥料購入のための費用を集めることまでお金をかけて挑戦したのに、苗木がうまく根付かず、2年続けて全滅。

 原因を調べるために土壌を分析した結果、水はけに問題があったと明らかになり、2023年には土木工事を行なって土壌改良して再挑戦。このとき、果樹は肥料を多くやりすぎたりして、手をかけすぎると根が痛む(根やけする)ということも学んだという。

〜果物を使った加工品の展開と、地域活性化への一歩。
 
子供のころから母の移動クレープ販売のようすを見たり、手伝っていた影響で、お菓子づくりが好きだったこともあって、就農当初より自分で育てた果樹を材料にしたスイーツを開発したいと夢見ていた。

 そこで、農大時代に獲得した「農業次世代人材投資資金(就農準備資金・経営開始資金)」という給付金を元手にキッチンカーを入手して、週1回近いペースでクレープ販売を開始。

 当初は父の農園で採れた卵を原料に、チョコバナナなどといった一般的なメニューを提供していたが、自園の果物が収穫できるようになってからは、桃やりんごを使うようになり、それが評判を呼んで「農家のクレープ屋さん」としてメディアの取材を受けるようになった。

 クレープ販売で得た収入にくわえて、クラウドファンディングで調達した50万円を足して栗の苗木を購入。

 2021年には、入谷地区をもっと活性化したいと「入谷の里山活性化協議会」の立ち上げに参加し、農業体験・交流部門を担う「南三陸農工房」として活動中だ。

■農業の魅力とは

 きれいな空気と美しい景色に囲まれた環境で、土に触れながら自分と向き合うことで、精神的に成長していると感じます。それは農業に従事することの大きな魅力のひとつではないでしょうか?

 ひとことで“成長”と言っても、目の前に立ちはだかる壁を必死に乗り越えることばかりではないと思います。私の場合、日常生活で自然に触れながら人と関わることが学びにつながるのです。

 木立が広がる美しい果樹園で、近所のおばあちゃんたちと会話をしたり、農業収穫体験で子供たちと触れ合うなかで、心が落ち着いて、自分の道が見えてくることもあります。それはとても大切で素敵な時間です。

 ここ入谷地区は、豊かな自然に囲まれた古民家がつくる景色も気に入っていますが、そこに集まる人たちもまた素晴らしい。学生時代に研修を受け入れてくれた師匠の阿部博之さん、恵美子さん夫妻をはじめ、しなやかな強さを持っている人が多く、その人たちのパワーを分けてもらっているように感じています。

 思うに、農業はひとつのツールです。それをどんなふうに展開するかを考えることこそが楽しい。私は農業というツールを使って、南三陸に人をたくさん呼び寄せたいと思っています。

 少子高齢化が進む入谷地区で、若い私が次世代を担うものとして地域活性化の中心となり、地区の存続と発展に貢献したい。農業にはそれを叶える力があると思うのです。

■今後の展望

 栗拾いの思い出がある栗園は、管理する人がいなくなり、土地が荒れ果てて無くなってしまいました。私が楽しく栗拾いできたのは、農家の人たちのおかげだったことに気づいたのは、成長してからです。

 栗の栽培を志すようになったのは、「思い出のあの場所を取り戻したい。幼いころの私のように、今の子供たちが楽しく農業体験できる場所を作りたい」と考えるようになったからです…。

 ですから、私にとって一番大切なのは、大好きな入谷地区が廃れないよう、これからもずっと続くようにしたいこと…。

 そのためにも農業を使って、県内外からたくさんの人を呼んで魅力を伝えなければなりません! 今は、イベントの時にお菓子やクレープを販売していますが、いずれは農家カフェを開いて、農園で収穫したフルーツを使ったクレープやスイーツを味わいながら、里山の景色を楽しめる場所にしたいのです。

 「入谷の里山活性化協議会」に参加したのもその一環です。宿泊業や飲食業、農家とさまざまな業種の人が集まる取り組みですが、この活動にとどまらず、今後もいろいろな企画を考えています。

 入谷地区の田んぼや畑が広がる豊かな自然と、ここに住む人の温かさは、南三陸町の町民でも知らない人がたくさんいます。この地域の魅力をもっと多くの人に知ってもらうため、2024年秋を目標に農家カフェを立ち上げる準備を進めています。

 母仕込みのクレープの移動販売をやってはいますが、クレープにこだわっているわけではなく、ジェラートやケーキも出したいし、まわりの農家が作った果物や野菜の料理や、おばあちゃん直伝の郷土料理などのレシピにも挑戦したい!

 さらに南三陸の新しいお土産として、栗を使ったお菓子も開発したいと、やりたいことはたくさんあるんです! 寄り道しながらではありますが、ひとつずつ実現させていきたい。

 何より、こういった事業展開を通じて、南三陸町や近隣の自治体の人たちにも、この場所の魅力を再発見してほしい。最終的には、60代、70代の高齢農家が引退するとき、「若い世代がいるから、南三陸は大丈夫だ」と安心してもらえる状況を作りたい。それが大きな目標です。(記:沼田実季)

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