思い出を作りに父親と余呉湖へ行った

昨日父親が帰って来て、今日はどこかへ遊びに行こうという話になった。行き先は余呉湖である。琵琶湖の北側にあるこの小さな湖には、近江人でありながら一度も行った事が無かった。更に、この余呉湖周辺には賤ヶ岳の古戦場がある。余呉湖そのものにも古戦場にも興味があり、行き先としてふと思い付き、それならば是非行こうという話になった。鉄道でも行く事が出来るが、折角父親が帰ってきたので自動車で連れて行ってもらいたいと思い、名神高速に乗って向かう事にした。しかしまあ、暑い。車内では冷房を効かしても中々気温が下がらなかった。

余呉湖に着き湖岸の道路を走っていると「賤ヶ岳 1.5km」という看板を発見した。矢印の先には山道があった。どうやらこの山道の頂きに古戦場の陣跡があり、更にその場所は琵琶湖も余呉湖も見渡せる絶景であるとも近くの別の看板に表記されていた。なので、ちょっと山頂へ行ってみよう、という話になった。が、いざ山頂へ進み始めると実際にはその道は山道というよりは傾斜もキツくただ木の階段らしきものがあるだけの登山道であり、思いがけず登山をする事になってしまった。当然手ぶらで飲料も所持しておらず、山頂での絶景は見てみたいが、本当にこのまま登ってゆけるのだろうかと不安になった。危険を感じて途中で降りようという話も挙がった。だが実際には休憩を挿みながら山を登ってゆく事になった。少しずつ頭上に山が見えなくなってくるのがわかり、着実に進んでいる事が把握出来た為、不安は徐々に解消されていったのである。

なんとか山頂に着くと、そこには東屋があったり碑石があったりした。麓の看板の内容通り、余呉湖も琵琶湖も見渡す事のできる場所であった。多少危険な判断であったとは家に帰って来た今も思う。とは言え、この景色を見逃してしまっていてはあまりにも勿体無いとも思った。成程この場所は絶景である。近江に縁のある人は是非この景色を見て欲しいと思う。視界に姿の全てが収まる余呉湖が北側にあり、向こう岸が全く見えない広い琵琶湖の姿が南側にある。かつてここで大戦があったという事は、この場の第二の魅力になっていた。昔から今日までこうして絶景があるという事が、この場の第一の魅力であると思った。

登りと比べ、降りは一瞬であった。麓に降り次第自動販売機を探した。そうして、ポカリスエットを買ってもらった。汗だくになっていてかつ水分補給を全くしていなかったので、ポカリスエットがとても甘く感じた。直ぐに飲み干してしまった。登山道は木が茂っており気温が若干低かったが、それでもそういう身体の状況であった。それから暫くして、長浜市街まで向かった。昼食の為にココイチに入った。父親とはこれまで何度も一緒にココイチへ行っているが、結局今回もココイチへ行く事になった。インドから帰って来た父親であるが、やはり日本のカレーは美味しいらしい。私は、またこうやって父親とココイチに入る事が出来て妙な安心感を得ていたのであった。

この所私は、贅沢恐怖とも幸福恐怖とも言える不安を常に抱えている。自分の欲が満たされていくのが怖いのである。いつか欲が何も満たされなくなるような気がして、その時になったら過去の充実が悲しみに変わってゆくような気がして、とても怖い。父親とこうやって遊びに行く時も例外ではない。喜びが、常に悲しさと裏表である。そういう悲しさが常にあるが故に、近頃よく泣くようになった。人の人生というものが悲しさで溢れているような気がしてならない。今夜も恐らく泣くのだろうと思う。とは言え私は、今日のような時間を本当はただ喜びたい。ただただ楽しかったと言いたい。そういう私を許して欲しいのである。こういう時間を大切にしたい。二度とない時の輝きを、見つめていたい。

夢中になって山を登っていた時とは少し変わって、そういう事を思いながら、帰り道である湖岸道路の景色をずっと眺めていた。当然父親とは話していた。時事ネタ、政治、歴史、野球、大相撲、話は尽きない。地元に帰って来た時は、案外早く着いたものだと思った。今日の外出は夕方には終わった。どうやらまた夕立が降るとかそういう予報が出ているが、雨音はしない。現在はプロ野球を観戦している。我等が阪神タイガースはバンテリンドームでの試合である。現在は、負けている。そこの日記を書き始めた約二年前までは、毎日こうやって父親とプロ野球中継を観ていた。そういう日々が、今も鮮明に記憶にある。思い出とはいいものだ、とも思う。それがあるから今もこうして生きていられるような気がする。今がどうであろうと、楽しかった事は楽しかった事として生涯記憶に残り続けるような気がする。そう思えるような、思いたいような、よくわからないが、そういう時間を過ごしているのである。

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夏の思い出

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