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「読み聞かせ」について

こんにちは。
本の、主に絵本の読み聞かせに関する講座に参加してきました。実際に絵本の読み聞かせをしているボランティアの人から、子どもたちと本の関わりについての貴重な話を聞けるのは本当にいい機会でした。私が聴くことができたのは基本中の基礎の部分です。しかし、この基礎、実生活においてもかなり応用ができて重要な事が詰め込まれていたので個人的に受けてみて、大変興味深いものでした。

たかが、絵本って思われたでしょうか?それとも、たかが子どもって思われたでしょうか?ばかにできないです、「読み聞かせ」。
ご自身はされた記憶はどうでしょうか。もしくは、現在進行形でしておられるでしょうか。どちらかに該当される人は知らない間に恩恵を受けているかもしれません。ほんの些細なことですが、それが意外な場面でそうだったのではという気づきになることもあるかもです。

いくつかに分割して、書いていこうと思います。

読み聞かせ、とは
この言葉は広まって約20年ほどになるそうです。そして、これは「家庭」でと「集団」の環境の違いでその働きが異なるというのには、驚きでしたが言われてみればというのもありました。
家庭・・・これは誰が、誰に読むでしょうか。概ね、親が子にが多いかもしれません。これの特徴は場所や時間を選ばなかったり、途中で止めたり、ページを戻ったり、もう一度読むが効いたりする、子どもたちが言葉を吸収するのや覚えた言葉の実物を、実生活の中でそれが「なに」かを見つけて結びつける為の鍵になります。読んでいる途中で止めたページには読み手の子どもの関心がなにか見つかることもあったりするので、そのサインを見逃さないのも「家庭での読み聞かせ」の醍醐味のようです。
例えば、果物に注目して、そのものが蜜柑があったり、林檎があったり、桃があったり、バナナがあったり、いろいろあります。それを絵と大人の言葉で物体を知っていくという感じです。半ば図鑑ですね。字を音から覚えていくのに最適なようです。ただし、図鑑そのものは最新の物を持つべきと言われていました。
また、もしあまりよくない言葉があったときはどうしたらいいかという事に対しては「まずは、それを読んであげてほしい。そして、その後に自分はその言葉はやめてほしいと伝えるといいでしょうね」と言われていました。そうか、ちゃんとそれを認識させてから説明をするんだとちょっと目から鱗でした。

集団・・・最近は図書館や学童、学校の数分間、老人施設などでも読み聞かせを行うところがあるようです。講師の方曰く、施設での訪問読み聞かせが年々かなり本当に増えたようです。忙しくて家で出来ないから、我が子の為に外でやってもらえるならそれがいいって思われる人もいるかもしれませんが、家でのと集団とのでは全く齎される働きが違います。なぜかと言えば、集団とは限りなく公共に近い環境だからです。集団への読み聞かせの特徴は恐らく家庭とは、逆に場所が決められている、時間をかけて通しで読んでいく、戻るがあまり効かない、からです。そうするのは、その話を聴く時間を共有すること、同じ時間の中で得た内容を他者と確認する、あるいは、共感を知る為と言われました。あまりと表したのは、多くの人から、あっ待って待って!となにか気づきが見つけられた際にそれの部分の絵をしっかり見せる必要があるようです。それから進行を再開するとのことでした。
老人ホームでの読み聞かせは、認知症予防にもつながってくるらしいです。

この二つの働きを聞いて、納得しました。知り合いの子に読み聞かせした時、職場で子どもたちに読み聞かせをする時、何かが決定的に違っていたように思いましたが、それがまさにこれら環境の違いだったのだと思わされました。
知り合いの子に読み聞かせした時は、興味のあることにはものすごく何度も聴きたがったり、続きの催促があったりしましたが、エネルギー切れになるといつの間にか寝てたりしていました。そして、また読むときには「一番面白いところを読んで」と言われたりしました。
職場での場合、時間が限られていました。でも、限られた中で隣同士で物の名前を言いあったり、何色があったねと言ったりして、その場の事を共有していたなと思わされました。

絵本、とは
講師の方は絵本とは「絵と言葉の共同作品」と言われました。言葉は読み手が口で伝えるもの、聞き手は言葉から映像を浮かべるものとのことでした。例えば、年端も行かない子に「海」を言葉だけで背景や情景を、「子ども」って言って人物を思い浮かべてっていうのは中々難しいですよね。言葉は語り(書いてあること)だけでよし、それ以上に足すのは聞き手の自由。

余談ですが、書き言葉を口で伝える事は、聞き手にとってはストックされた語彙として頭に刷り込まれていくそうです。「しりとりゲーム」をしようとなった場合、そのゲームを知っている子はやる!というのに対して、それを知らない子は知らないから、わからないからやりたくないとシャットアウトに繋がるそうです。講師の方がちょっとした息抜きの提案をした時に、こういう反応があったそうです。わからなくても「なにそれ、やる!」というリアクションになるのはどんどん減っていってるようです。何と言いましょう、わずかなことでもやってみようと思う事が乏しくなっているのが衝撃でした。
「読み聞かせ」で言葉に興味を持った子どもは少なからず、親からの影響で読書や言葉を主体的に取り込んでいこうとしていくようです。自然なことであっても、なんというか興味深いです。

絵本の一番のポイントはそのページの絵をしっかり見せること、だそうです。言葉がまだわからない状態だと一番記憶に残るのは表紙、見返、などの絵のようです。子どもたちに見せる前の下準備で、選書をしっかりする、読み手は絵の情報をしっかりくまなく見る事、文章とその絵の情報を照らし合わせておくこと、色彩の変化に注目するなど、ただ読むだけではない事がひしひし伝わってきます。
ページや読むスピードはその時によって緩急をつけることが肝のようです。集団では、それの全てを読み手が握っていますが、逆に家庭では聞き手がその全てを握っています。自ら本を読むようになればそれも読み手がそのスピードや情報の摘み取りなどを掌握します。

最近の絵本
これは聞いて驚愕だった点が2つありました。
一つは、最近の絵本は出版社が売れるように、アニメや漫画らしい絵を扱った絵本を作っていること。ですが、配信やテレビなどで見慣れているから、そうでない絵本のような絵本、言うなれば「ぐりとぐら」みたいな絵は反って子どもたちの興味を惹くようです。児童小説の「不思議の国のアリス」のあの古典的な絵も変な絵として興味を持たれるとのこと。あれは確かに個性的な描写ですが、子どもたちにも真新しと思われるのは新鮮でした。
もう一つは、絵が素敵になっていく一方で語りが圧倒的に少なくなっていく、言葉や文章がシンプルになり過ぎていくことでした。日本語の修飾語、擬態語、擬音語はかなり豊富です。それは、聴いているだけでも充分に語彙としても役に立ちます。ですが、それが削られつつあるとのことです。年齢にもよりけりがありますが、シンプルすぎる文章に講師の懸念が滲んでおられました。紹介していただいた「これは本」レイン・スミス氏の絵本が的確に物語ってました。個人的に拝見させてもらって、私はとても怖くなりました。なんて、からっぽなのかと。でも、絵本としては成立しているのだとなんとも言えず愕然としました。

講師おすすめの絵本の一部
・ハンダのびっくりプレゼント
・わすれられないおくりもの
・ぐりとぐら
・はらぺこあおむし
・おおきなかぶ
・スイミー
・地震が来たらどうすればいいの?
・字のないハガキ
・ちいさなあなたへ
・ピーターラビットシリーズ

これらはその時教えてもらったものの一部です。その時の年齢や興味に合わせて、読んでみるのがベストだと思います。これが全てとどうか勘違いのないようにお願いいたします。選書の基準は状況によって異なります。ですから、自分の今に合うものの参考になりますように。

この講座を聞いてから、アニメや漫画は目に入ってくる情報はあくまでアニメなどが持っている時間が主になるから、視聴している側から戻るというのが難しい事に気づかされました。昔はよく見ていたので、それが分かり易くて楽であることは言うまでもないことでしょう。伏線もあれば勝手にストーリーの上で解説してくれるから、ほとんど考えるという作業を要しないようです。言葉から物体を想像するというのもあまりないでしょう。キャラクターの全体像や動きはその作品中で、感情などは音や声で表されています。なので、受け取る情報は受動的に思います。そこから、これってなんだろうかという興味や本人にとって必要な物が見つかるのに繋がるのはまた素敵な事だと思います。
私がよくMV動画を見ます。これも言うなれば、動画から情報の一方通行にはなります。でも、歌詞に注目して巻き戻ったりその内容に集中したりします。一動画というよりも形態の違う一冊の本のように思われます。

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