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【生活保護】で生かせて頂いてます

生活保護とは

『さまざまな理由により生活に困窮している人々に対して、
生活保護法により、憲法が定める健康で文化的な最低限度の生活を保障し、積極的にそれらの人々の自立した生活ができるよう援助する制度です。
生活保護の申請は国民の権利です。』
(福祉保健局HPより)

今の私は、生活保護での生活のお陰で、
病状もここまで回復することができたと思っています。
命を助けて頂きました。

昔バリバリっと働いて稼いでいた頃を思うと、
金銭感覚が全然違うのですよね。当たり前です。
その頃は若かったし、残業も毎月80時間超えでしたし。
パキパキ働いてて、そういう自分が好きでした。

今はもう過去の事です。
あの時には戻れません。

心身の不調で、転職→退職を繰り返していた私を
結果的に救ってくださったのは、
【ドクターストップ】という診断書を作成して、
『これ以上は、今のあなたには無理なんだよ』
とした、当時の主治医の判断だったのでしょう。

手続きの事はよく覚えてません。
病院のケアマネさんが、「障碍者手帳を取る」事から、
いろいろ説明してくださった気がします。
その後、役所に行き、多分2~3回くらい面談があり、
通帳をコピーしたり、いろんな書類を書いたりして、
自治体からの審査を待っていたのだと思います。
当時は、かなりの鬱状態、神経衰弱状態でした。
自分のやっている事が、すごく大変な事に思えました。

お金が無いのは、役所のケアマネさんも承知だったので、
乾パンとかおかゆとかを少し分けて頂いた覚えがあります。
(その後は一度も貰えていません、あくまで、応急処置)

無事、審査に通ったら、当時住んでいた、
家賃、¥90.000/月の、素敵なログハウス風のロフト
のついた新築アパートから(※そもそも相場が高い)
生保受給者が住める物件を探すことになりました。
ほんの、3候補くらいしかありませんでした。

鬱が酷くて寝込んでいる毎日だったので、
通院も、定期的に通う事ができずに、困っていたところ、
なんと、通院先の隣と言っても過言ではない程に
距離の近いマンションに空き室があり、
そこに引っ越しをすることになりました。
車の通りが多く、とても騒音の酷い部屋でした。

毎日、何もする意欲もなく元気もなく、寝たきりで、
起きたら、ネットでのおしゃべりに、耽っていました。
ひとりきりで部屋に閉じこもっているのは寂しい。
かといって、何をする意欲も元気もない。
そういう人は、ネット界隈には沢山います。
(現在は随分、回復してきたので生活は変わりました)

自分が【生活保護受給者】だという事を、
親族、メンタル疾患持ち以外には、ほぼ話しません。
隠し事となっています。

主治医(今の主治医、もう10年くらいの付き合い)は、
『あなたの権利なんですよ』と言ってくれます。
仕方なくその言葉を受け取り、現状に甘んじています。

でも、いつかは生活保護から抜けたい!!!
そう強く思っています。ずっと前から。


今回は就労移行センターに通う事になっているのですが、
2年以内の訓練中に、就職活動ができるようになったとして、
もう50歳も過ぎ、就労可能な企業なんてあるのだろうか?
また、長い長いブランクを、どうやって、
私は埋めていくことができるのだろうか?
『昔みたいに働ける』というイメージから脱却できるか?
考え始めると、未来は不安要素ばかりで、不透明です。

見通しとしては、生活保護から抜けられるほどの
就労収入を得ることは、非常に難しいと考えられます。
訪問看護さんに、そう言われてしまいました。
とても残念で、何もかも放り出したくなりました。
しかし、生きていくうえで、「あの時、行動していたら」と
後悔するような事が、この先無ければいいなと思います。

相談支援の方、障害福祉の方も、訪看さんも、
就労支援のセンター長さん達、そういった福祉支援の方々が、
私が急に、無理をして、せっかく整えた生活リズム・体力が、
元の木阿弥に戻らないようにと、気遣ってくれています。

なので、
今、できる事を、始めてみたいと思います。
【無理は禁物!!!】ですが、【良い加減】で、
頑張ってみます!!!


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