見出し画像

だいじょうぶ (鎌田 實・水谷 修)

 現代社会の貧しさや哀しさを憂える二人が交わした往復書簡と対談をまとめた本です。

 そのうちのお一人は鎌田實氏。長野県の諏訪中央病院にて、患者の心のケアも含めた地域一体医療に長年携わっています。
 もう一人は水谷修氏「夜回り先生」として有名です。若者の非行防止や薬物汚染の拡大防止のためのパトロールやメール・電話での相談に献身的に取組んでいます。

 お二人が本書で語られている数々のエピソードは、日本および海外の社会的弱者の哀しい現状を披瀝しています。と同時に、そういった荒んだ社会の中でも、本当に温かな優しさをもって真っ当に生きている人々の姿も伝えています。

 水谷氏は、人としての優しさを追求していきます。
 たとえば、モノの背後にある「人の営み」を慮った水谷氏の言葉です。

(p29より引用) 私はかつて、高校の教壇で必ず生徒に教えていたことがあります。定価10万円のテレビを1万円で買って喜ぶこと、1本10円の大根を買って得したと思うことは、哀しいことだと。なぜなら、それをつくった人たちの汗と涙を、安く値切ったということですから。
 鎌田先生、今、日本から「当たり前のことを当たり前に感じ、当たり前に生きる」という、このこころが失われています。私は、そのこころを学生たちに伝えます。

 また、人を傷つける言葉が氾濫している現在を憂えて、こうも語っています。

(p36より引用) 古代日本では、ことばは「言霊」といって畏れ敬われました。ことばは、それを発した人に責任を負わせます。また、ことばはそれを使う人の人格を変えていきます。

 他方、鎌田氏の強い憤りは、小泉政権以降の社会システムにも向かいます。鎌田氏は、「一億総中流意識」だった中流の厚みのある資本主義社会を評価していました。

(p57より引用) 国の冷たい政策のため、ブアツイ中流が壊れ、たくさんの人たちが脱落していきました。一握りの超お金持ちをつくり出すために、かけがえのないたくさんの中流を崩壊させていきました。

 この点について、水谷氏も新自由主義的な思想には批判的です。

(p158より引用) 小泉さんたちの中に「やればできる」という発想がある。戦後の日本教育の一番の嘘、そして一番こどもを追い込んでいるのは「やればできる」だと思います。「できないのはお前が努力してないからだ」って。そうじゃない。人には個性があるんです。

 鎌田氏・水谷氏お二人とも、今の社会、特に子どもや若者を取り巻く社会の厳しさに大変な憂慮を抱いています。さらに、水谷氏は、子どもたちを追い込む大人たちもまた、社会の被害者なのだと思い始めたとのことです。

 しかし、お二人ともまだ今を見限ってはいません。鎌田氏はこう言います、「だいじょうぶ、まだ遅くない」。水谷氏もこう語ります、「だいじょうぶ、まだ優しさは残っている」

 「だいじょうぶ」「いいんだよ」という言葉でどれだけの人々がホッと救われるのか・・・、自分自身の日頃の姿勢を省みるとてもよい機会となった本でした。

(注:本投稿は2009年の再録ですが、2022年の今、状況はさらに悪化している中で、「だいじょうぶ、まだ遅くない」「だいじょうぶ、まだ優しさは残っている」と言い続けられるでしょうか。
 わずかな希望を持ち続けたいと思いますが、とはいえ、今、転舵できないと・・・。なぜ他責による苦しみの中にある人が、その責を自ら被り続けることを受け入れるのでしょう。被害者同士の牽制や足の引っ張り合いは全く無意味なのに。)



この記事が参加している募集

読書感想文

わたしの本棚

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?