見出し画像

ぼっち在宅介護 『食う』『出す』『寝る』は代役がきかないと言う話

おかげさまで、先程、本日の訪問看護が終わり、無事に摘便が終了しました。

数日間のお天気痛から解放されて、爆食いした父は、お腹をスッキリ出せまして、ただ今爆睡中でございます。


いやはや、何度しんどくなり、何度復活するのか?本当にアスリートを見てる気持ちになってきます。

あー、私にとっての介護は、部活のマネージャーのような感覚かもしれませんね。

選手にMAXのパフォーマンスをしてほしいと願って、ドリンクを作り、洗濯をして、落ち込んだら励ましたり…

このジジイが、どこまで生けるか追求し続けているのを見届けたい気持ちが強くなっているかもしれないなーと、今思います。


いろんな薬ができ、医療技術が上がり、AIとかいろんな代役を選べる時代になってきて。
うまく取り合わせられたら、すんごい不死の時代が来るのかもしれませんけれども。

なんというか、「生きている」という実感、感覚があってこそ、死んでないんではないかと思いますと…

本体があって、本心があって、はじめて生命な気がしています。


どうやっても
『食う』と『出す』と『寝る』に関しては、人間という生命体で生きるには、代役は立たせられないんだなぁ…と、父を見ていて思います。

食事を口まで運ぶのは代わりに誰かやロボットがやってくれてもなんとかなるし。
トイレ介助にオムツ交換を誰かに手伝ってもらったってかまわない。
眠れないからお薬をいただいたって、いいじゃん。


けれども、本体の中で、ガシャポコ動いて考えたり休んだり、そう言う核の部分は、本人以外のだれにも止められないし動かすこともできない。

だから、父は、見た目が悪かろうが、痛々しかろうが、わき目もふらず『食って』『出して』『寝る』ことを諦めないでいるのかなぁ?と思ったりします。


代われない場合、何ができるか?と言うと、応援するくらい。

便を出す時、知らず知らずのうちに、めっちゃ応援しています(笑)

出せたら「やったね、よかったねー。これで眠れるなー」と何かの大会で完走したか優勝したかのように、看護師さんと3人で喜びます。
互いに何故か「頑張ったね、ありがとう!」と賞賛していて、ちょっとイタイ人たちかもしれませんが、なんだか晴れ晴れしい気分になるんですよね。


そう、部活のマネージャーですね。

とにかく、選手に「いいパフォーマンスをしてほしい」それだけです。


父は、大学駅伝をしていたらしいです。
箱根の大会は、毎年テレビを楽しみにしています。

箱根を走ったのか、沿道で応援したのかはわかりませんが…
足が速いコトが自慢だった彼が、大学で実に悔しかったらしいのです。もっと速くなりたいと『ナニクソ!』と練習に励んだらしいです。
せん妄の時に話してくれました。


今、彼は、人生最後の大きなRUNにトライをしてるのかもしれません。


苦しくても食べて、前へ前へ進みたいんではないでしょうか。


足がもつれたら、周りが担いでもいいし、車椅子に乗り換えてもいいし。
ただ、父の本体が、ゴールテープを切ると言うことが大事であって。
そこに至る『食う』『出す』『寝る』は誰にも代われないし、本来は誰にも制限もかけられないことだなぁと思ったりしています。
もちろん、環境とかいろいろ個別の事情はありますけれど。


そのかわり、
『食う』『出す』『寝る』
以外は、頼ってもいいんじゃないかなぁって思いもしてきました。

できなくなっていくことは、経験を積んで、場所を譲っていくことであって、みっともないコトではないんじゃないのかなぁ…

ぐぐっと人に頼ってみて、委ねてみて、余力を自分の体の中に作るコトで、また、ちょっと前に進むんじゃないだろうか…とか思います。


『食べる』を諦めない父を見ていて…
ふとマネージャーは思いました。

「明日もがんばれよー!ファイト〜!📣」
そんな今日でございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?