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317.人の不幸は蜜の味「そう、天罰なのよ!」Human misery is the taste of honey


1. 新たな、はじまりのために


最近のテレビ、マスコミ報道を見ていて不思議な感覚を覚えるようになった。おそらく大半の方々も同じように感じているはず?
また、この感覚を感じる人たちは、これらの状況に何かしらの疑問を思うようになっているのであれば、ある意味、それが救いのような気がするcoucouさん。
 
それは「恐怖報道」にある。

現在も567による恐怖報道が蔓延して、消え去らない567の恐怖というよりも、マスメデアの与えている報道によって、次から次へと恐怖心が植え付けられていることだ。(実際は567は終わっているのに、その余韻を残し続ける)

検査すれば陽性数に驚かされ、接種が始まればその副作用に怯えさせる、怯えながらも接種は3回目から4回目を政府もテレビ番組も専門家たちも、すぐにできなければ感染することを恐れさせる。

地震や天気予報なども同じだね。

余震はまだ続いているため、さらに注意してください(これは待ったなしなので良いかも)。
明日は寒波が訪れる、温度が上がりそうなため水分補給を、強風が吹くため、大雪が起る、大雨が続く、花粉が、と毎日無限な恐怖心を情報発信している。
テレビ番組などもこれを食べないといけない、これは食べてはいけない、水分を摂ろう、水分を摂りすぎないように。
この食べ物は免疫力を高めるため病気を防ぐ力がある。
部屋の中は雑菌だらけ、塩分が強すぎる、糖分がありすぎる、
というように私たちの生活のすべてに恐怖心を与え続けている。
 
その中の最たるものが不要不急の外出はさける、4人以上だの8人以上の会食は控える、食べ終わったらすぐにマスクを着用する。
567の場合、陽性者が完全になくならない限り、またさらに新種が現れるたびにすべてのマスコミやメデイアは騒ぎ立てる。

これでは永遠に終わりなき567時代となるかもしれない。
医師会の発言により、もう、二度とマスクを外す生活が訪れないのか、と信じてしまう。
 
マスコミやメデイアの報道合戦によって政治家までも自由な発言や真実を話すことができなくなり、政治自体、国策までもそれらの恐怖心によって動かされてしまった。

567は本来であればインフルエンザと同等の風邪なのだが、そのような考えや発言などをしてしまえば世の中から抹殺されるぐらいの勇気が必要となってしまう。
このようにして、政治家だけでなく国民なども少数派と呼ばれる者たちの言論の自由というものが失われてしまった。
そのことで一番困ることは真実の声が、
正しい事が誰も伝える事ができなくなることだ。

coucouさんの言いたいことは、別に567のことではない。567によって今まで見えなかった人間の本性とか、性質を伝えているんだ。

いつのまにか、
誰も本当のことを言えない時代、
言えない世界になった気がするからね。



©NPО japan copyright association Hiroaki

2.  不思議な国


でも、どうしてこのような世の中になってしまったの?

人間は、もともと原始時代より怖れや恐怖心があったため生き延びてきた種だよね。その時代は電気もなく暗闇という恐怖、いつ殺されてしまうかわすらないという恐怖、今日、明日生きて行けるかという恐怖、病気という恐怖、争い、戦いなどによる恐怖を抱えてきたため、私たちのDNAには自動的に、上書きされており、それが危機感を感じた時に本能として呼び覚まされている。
 
でもね、平和ボケした現代ではそのような闘争心や恐怖心などは一見消滅したかのように思えるのだけれど、「目に見えないものの恐れ」は一段と激しくなってきたように感じているcoucouさん。

そのため、見えなかったものがテレビの映像やネット上の画像、写真などには深く反応してしまうんだ。

例えば、東京に雪が降っていなくとも、地方の大雪の映像を流され続ければ身近に起きたかのように錯覚をしてしまう。
阪神大震災や東日本大震災などの映像などは、誰が見ても恐怖心しか残らない(事実を知り、命を守る意味では知る情報の一つだと思うけれど)。

ただ、過剰な報道によってトラウマになる人もいる。
今や、診療内科や心のクリニックは何週間先の予約しか取れないという変な副産物まで登場し始めてきた。

567によって567の死よりも、20歳から40歳の女性の自殺者数の方が上回ってしまい、その予備軍と呼ばれる人たちは増え続けているという。

coucouさんの仲の良い医師はこういう、「鬱病や精神的なことで自殺する人は少ない、ほとんどは精神安定剤、睡眠誘導剤などの薬物による副作用によって、精神のバランスが狂い始めているのが原因だ!」と言い切る。
そして、その副作用に対してまた薬物による追加治療による副作用が起きる、副作用が次々と副作用を呼ぶ、ともいう。

なんと、恐ろしい世の中だろうね。

そして、インフルエンザにかかり謝罪やお詫びは行われていないのに、567では謝罪やお詫びが繰り返され、その責任を感じて命まで絶ってしまった女性もいた。おかしなことは3年目に突入してもかかったものは周囲にお詫びを続けている。

どうして謝罪やお詫びをしなければならないの?
 
まさに不思議の国、日だね。


©NPО japan copyright association Hiroaki

3. 新型567真理教


どうしても、新型567は、信じる者は救われる、祈れば治る、治らないのは信じ方が足りないからだ、祈りが足りないからだ、という恐怖を与える新興宗教のように感じてしまう、coucouさん。

そして、人々はその新型567真理教に入信し、出家する。
専門家や専門者会議だの、そのグルの教えに添い、広報担当のマスコミやメデイアがそれらの教えを恐怖心という武器を使い洗脳をしていく。

神さまなども見えないものだから、神からの伝道師の姿(専門家)によってさらに恐怖心を撒き散らかす。
 
このように、何のためにこのような真似を強いるのか、といえば人を簡単に洗脳できてしまうからね。(これで国も世の中も安心)

このように、少数派の意見など多数派によって、多数派の都合や利害によって簡単に打ち消されてしまう。正しい情報なども、正しいデータなども同じです。なまじデータなどで、見える化にしてしまっては困るのだね。

信者を増やすには、情報の一部を歪曲化しなければならないからさ。
 

4.    隠された人間の本質


 
数年前、coucouさんの先輩が静脈瘤破裂のため突然死でこの世を去った。

その時の出来事だけど、ある女性が「天罰よ!」といった。
coucouさんはその言葉を聞いて驚いた…。

確かにその先輩は悪意がなかったのだと思うけれど、口のきき方、話し方、又はパワハラに近い乱暴な言葉をよく口にしていた。
その女性はその先輩を恨んでいたのかもしれないが、
「天罰よ!」という言葉が、それ以来、coucouさんの耳から離れなくなった。
 
また、それとは正反対にcoucouさんの父が94歳でこの世を去ったとき、
母が87歳で去ったとき、「もう充分に生きたのだから!」「往生したのだから!」という言葉を聞いた。
その時点ではcoucouさんに対する慰めの言葉が入っているものだと思っていたが、後にとても失礼な言葉だと感じるようになった。

coucouさんは、人が亡くなった人には過去の嫌な想い出や恨みなど持たない。たとえ、その人が生前の評判が悪かったとしても、そんな言葉を言うものではない。
 
もし、そうであったとしても、この世から去っていく人にそのような考え方をするのは失礼だと思うからね。20歳でこの世を去ろうが、50歳、70歳、80歳、100歳でこの世を去ろうとも、そこには誰にも理解できない、残された家族の悲しみが残されているからね。
そう簡単に、その残された家族の悲しみなど人には理解できるものではないと思うから。

coucouさんは、そんな時は誰に対しても「とても、残念でしたね…」というようにしている。

 
つい最近、私の義母が亡くなり、その娘さんが介護疲れのせいもあるかもしれないけど私に「ほっとした…」といった。

coucouさんを基準にしてはいけないことだけど、coucouさんの父や母も長い間兄弟二人で介護をし続けた。決して楽ではないけれど、正直、ほっとはしなかった…。
「もっと、もっと面倒を見させてほしかった…」という気持ちと残念な気持ち、悔やみばかりが現在も残り続けている。
 
このように人の家族によって深さは違うし、大変さも違う。

だから、たとえ長生きしたとしても「往生したね」とか「ほっとした」などとどうしても思えないんだ。

確かに介護疲れなどにより金銭面や精神的な苦痛もあるだろうけれど、実の親であることに間違いはない。この世を去る者は肉親だけでなく先輩や友人や大切な人たちもやがて誰もが去っていくのだけれど、残された者には「感謝」しかないのさ。
 
私たちは、誰もが両親によって育てられたことは紛れもない事実なんだよね。

©NPО japan copyright association Hiroaki

5. 人の不幸は蜜の味


「人の不幸は蜜の味」という言葉があるけれど、この言葉は日本だけでなく世界中に存在している。

この新型567真理教の本当の発生源は「人の不幸は蜜の味」という経典にあるような気がしている。

確かにその通りだという人もいるよね。
いや、そんなことはないという人もいる。
それは人それぞれだと思うけれど、
「人の不幸は蜜の味」が誰にでも在る感覚でもあるものなんだ。
 
「人の不幸は蜜の味」というのは、
人の不幸を見たり知って喜びを感じるという意味ですね。

有名なのは、ドイツ語が語源となっている、「シャーデンフロイデ(Schadenfreude)」だともいわれている。

これは不幸を表す言葉と、喜びを表す言葉を組み合わせて作られた言葉で、英語としてもそのまま使われているものらしい。
 
「中国」では、春秋時代の春秋左氏伝の中に、
「幸災楽禍」(災いを幸いとし、禍いを楽しむ)という言葉があり、
四文字熟語の中にある。

さらに宗教の中の「戒め」の対象とされているもの。

「仏教」では、三毒(貪欲・瞋恚・愚痴)と呼ばれる煩悩を戒める教えがあり、妬みなどの感情は三毒のうち最もよくないとされている、「愚痴」(現代語の愚痴とは違います)に属すると言われているもの。

「キリスト教」の教えの中にも、妬みの感情は七つの大罪の一つに数えられていた。
このように仏教やキリスト教などは何百年、何千年と過ぎているのだけれど、現代を生きる私たちも、他人の不幸を願い喜ぶような考えは良くない、ということは多くの人が認識していることのはずなのだけれど、もしかすると現代もそのまま変わらない時代といえるかもね。
 
私たちはそのような教えが根付いているのかもしれないけど、
「自分は他人の不幸を喜ぶようなことはない」、
それこそ、よくない人の考え方であると主張する人もいるよね。

でもね、自分はそんなことはない、と考えていても、現実はこのような感情は誰にでも多少はあって当たり前のものかもしれないんだ。
 
その理由は、人は誰でも必ず主観的な善悪という基準を持っているからだといわれている。この善悪の基準は小さな子どもでも大人でもお年寄りでも心の中に存在しているものだ。

それがあるために「人の不幸は蜜の味」になってしまうのだといわれている。

「善悪の基準」をわかりやすくいえば、
「人の命を奪うことは悪」という善悪感。

これは主観的なものだけど、
「私はこんなにも苦しんでいるのに、あの人は楽をしている」
「あの人は楽をしながらお金を稼いでいる」
「あの人は私の気持ちなどわからない」
「あの人は私よりお金を持っているのに」などと、いう理由をつけて自分を正当化することによって相手を悪と考えてしまう場合がある。

つまり、常に自分が正しく(善)で、相手が悪という図式となる。
このように多くの人は、自分を基準(主観)に他人と比較して善悪の判断をしてしまうんだ。
 
すると、悪とみなした相手が不幸になることによって、
自動的に喜びを感じるようになるんだ。
「ほら、私が正しかった」
「私のいう通りにしないからそうなるの」
「だから当たり前」という蜜に変わる。
 
「ニーチェ」は、善悪というものに絶対的な基準はなく、全て人間が決めてきたもので、道徳的な善悪判断の起源となっているのは、身分が低いものが高いものに対して持った妬み(ルサンチマン)だという。
 
このことをさらにわかりやすくいえば、テレビやマスメデイアの報道のほとんどが「人の不幸を中心」にしていることがわかるよね。

有名人が不倫でもすれば大騒ぎ、スキャンダルが発覚すれば視聴率は上がり、週刊誌は飛ぶように売れる理由なども同じ意味がある。

成功者が失敗すれば、「それみろ!」といい、
そのことにおいて悪い気はしなくなる、喜びとなる人もいるのさ。

だから、人の悲しみや失敗、苦労やスキャンダル、不倫や発言なども大きく取り上げ、人の足を引っ張ることで喜んでいる視聴者がいるために、視聴率がある。おそらくその視聴者たちがそのようなことに興味をなくせば、そのような報道や番組は消滅するでしょうね。(現実には無理ですがね)
 

あ~あ~。嫌だね、人の不幸は蜜の味は…

©NPО japan copyright association 

coucouさんです。
みなさん、ごきげんよう!

coucouさんの~YESshortstory~「challenge my life」第1作目から読み続けていただいている人たちがいた。

これが、どれだけの励ましなのか、
cocuouさんはまだまだ、365日、頑張り続けようと思う。

それが、読んでくれている人たちへの、
恩返しだと勝手に信じているcoucouさん。

ありがとう、みんな~

本当に冥利に尽きるとはこのことだね。
だって、316作品を連続で読み続けるって、
coucouさんも努力しているけれど至難の業だといえる。

確かに毎日書き続けるというのは大変だけれど、
毎日、または第1作から読んでくれる方が大変な作業だと思う。

凄すぎる~

ただ、この本日までの316作品、これからも続く作品のほとんどは、coucouさんの失敗体験、経験から学んできたものなんだけれど、おそらくcoucouさんほど馬鹿な人生、おかしな人生を歩んでいる人はあまりいないような気がする。

その理由はね、あまりにも酷すぎたからさ。

それらは全部、自分が勝手に蒔いた種を、自分で植えて、自分で育て、最後には自分で刈り取らなければならない、という使命もあるんだ。

せめて、生きなおし、
やりなおしのできない、
酷すぎたcoucouさんの異質な人生に対して、この世を去る前に…。


そう、自分の人生に落とし前をつけなければならないのさ。



※今回317.「人の不幸は蜜の味」318.「人の不幸は苦い味」319.「自分の不幸は蜜の味」320.「誰よりも悲惨な結末を喜ぶ」という4部作となります。
この4部作は、coucouさんの哀しみの体験をまとめたもの。

人として大切なことだと思うcoucouさん。
平和な穏やかな世の中を望むcoucouさん。
人間の本質にある厭らしさではなく、
優しさを願うcoucouさんからのメッセージ。

相変わらず一つに収まり切れず、最後までおつきあいしてくれたら、
coucouさんはとても嬉しい!




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