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排除屋。

 この街は、闇で溢れ返っている。
 1つの闇が消えようと、空いたスペースに新たな闇が雪崩れ込む。ここから闇を消滅させることは不可能だ。
 だが、どんなに街が穢れているからと言って、崩壊するわけではない。闇に塗れた住人にも秩序というものはある。街を壊し切って、棲息地を失うわけにはいかないからだ。
 資料や塵で溢れ返った机でも、使用している本人はどこに何の書類があるのかが分かる。同じように、どんなに穢れた街の住人でも、どこにどんな闇があり、どこまでが手を出していい範囲なのかを理解している。
 だが、時たま、その汚く整った机の上を、下手に整理したり、掻き回そうとする奴がいる。
 醜い街のルールですら、守れない獣が。

*

 妖しい照明に照らされた、夜道を歩く。
 ここは、ラブホ街。両側には、色々な種類のラブホが立ち並んでいる。
 街娼と共に歩く中年サラリーマン、大学生っぽいカップル、老夫婦……。様々な組み合わせの人々と、欲望漂う道をすれ違っていく。
 左側にある2つのラブホが見えて、立ち止まった。「惡」と「HOTEL EAT」だ。惡は廃墟ビルのような見た目の建物、HOTEL EATはディズニーランドのホテルのような上品で豪華な見た目の建物だ。
 2つの建物の間に、細い路地がある。その道に街路灯があるわけでもなく、また、外部の照明も入り込まない為、真っ暗で奥まで見えない。
 恐る恐る、闇夜に満ちた空間へ足を踏み入れた。
 暗闇に目が慣れていく。奥へ進むにつれ、外の音が遠退き、騒がしい程の静寂が僕を包み込む。
 両側を挟むラブホの壁には凸凹の配管が這い、小汚い室外機が生温かい風を排出している。お世辞にも綺麗とは言えないこの空間に、鼠や蜚蠊等の生き物がいても不思議ではない。だが、生き物の気配を一切感じない。蟻一匹、存在しないように感じる。今ここにいる生物は俺だけかもしれないという恐怖と孤独が粘液となって、嫌になるぐらい心臓を包み込む。
 それでも、僕は先へ進むしかない。アングラ街ライターとして、街に蔓延る闇を取材するのだ。
 1分程歩いた時、前方に仄かな明かりが見えた。
 吸い寄せられるようにして、そちらに向かう。
「……これは……」
 思わず、足を止めた。
 赤色の鳥居が、1基設置されていた。高さ2メートル程の小さな鳥居だ。その先は、出っ張ったHOTEL EATの壁があり、行き止まりとなっている。通路を阻む壁に室外機が1台設置されており、室外機の両脇には1基ずつ、微かな光が点滅している街路灯が置かれていた。
 異様な光景に、言葉を失った。
 ラブホに挟まれた道の先にある鳥居。祀られているように置かれた室外機。それを照らす街路灯。見てはいけないものを見たような気がして、今すぐにでも逃げたくなった。
 しかし、まだ駄目だ。せっかく勇気を振り絞って、ここまで来たんだ。最後まで確認したいことがある。
 室外機の上に、3枚の皿が横並びになって置かれていた。左右の皿に、1つずつ果物が乗っている。こちら側から見て左側が洋梨、右側が林檎だった。洋梨には「排」という文字が、林檎には「除」という文字が刻まれている。また、真ん中の皿には、厚みのある茶色の封筒が1封置かれていた。
 噂通りだ、と興奮してしまった。
 この街は、闇で溢れ返っている。
 1つの闇が消えようと、空いたスペースに新たな闇が雪崩れ込む。ここから闇を消滅させることは不可能だ。
 だが、どんなに街が穢れているからと言って、崩壊するわけではない。闇に塗れた住人にも秩序というものはある。街を壊し切って、棲息地を失うわけにはいかないからだ。
 資料や塵で溢れ返った机でも、使用している本人はどこに何の書類があるのかが分かる。同じように、どんなに穢れた街の住人でも、どこにどんな闇があり、どこまでが手を出していい範囲なのかを理解している。
 だが、時たま、その汚く整った机の上を、下手に整理したり、掻き回そうとする奴がいる。
 醜い街のルールですら、守れない獣が。
 街にとって害でしかない人間を、排除する奴等がいる。
「排除屋」という都市伝説を、聞いたことはないだろうか。
 排除屋は、「排」という男と「除」という女の2人組らしい。彼等に依頼すれば、殺したい人間を消してくれるとのこと。ただし、殺し屋とは少し違う。排除屋が抹殺するのは、街の秩序を乱す者のみ。
 排除屋が絡んでいるのではないか、と噂されている最近の事件は、「裏風俗店連続放火事件」だ。一時期、何者かが街にあるちょんの間を放火する事件があった。12軒のちょんの間が事件に巻き込まれたが、その後、連日の放火が嘘のようになくなった。犯人が警察に捕まったわけではない。ただ単に、飽きただけたのかもしれない。だが、街の住人の間では、排除屋の暗躍が噂されている。
 排除屋に依頼する方法は、茶封筒に殺したい人間の情報が記された資料を入れ、室外機の真ん中の皿に置けばいいとのこと。その後、排除屋が茶封筒の中の資料を元に吟味し、動くか否かを決めるらしい。
 お礼は、2人が好きな果物を室外機の上に置かれた左右の皿に乗せること。こちら側から見て左側が洋梨、右側が林檎に、捧げる相手の名前刻んで置く必要がある。実は洋梨と林檎は、ただの果物ではないとの情報もある。「都内のとある街から仕入れた、果物の見た目をした麻薬ではないか」という噂。何でも、ふざけてこれ等を食べた人が奇行に走ったという話があるからだ。
 僕はカメラを手に取り、辺りの撮影を始めた。
 こんなにも暴力と盗みが繰り返される街で、落書きもなく、よくこの空間は存在つし続けていられるよな、と思う。
 もしかしたら、得体が知れない恐怖というが、誰の手も出せなくしているのかもしれない。
 排除屋の姿は、誰も目にしたことがない(何故、性別や人数が分かっているのかは不明だが)。目で存在を確認出来ないものは、様々な妄想を掻き立てる。
「ここを荒らしたら、その姿を監視していた排除屋が殺しにくるかもしれない」
 ただの想像が、彼等への攻撃の抑止力になる。
 また、彼等が人間とは限らない。男女2人組というのは単なるデマで、呪いや幽霊といった目に見えないものかもしれない。もし仮に排除屋に実体がなかった場合、彼等へ悪さをしたら、抵抗することも出来ずに殺される恐れもある。誰も彼等を目撃していない為、呪いや幽霊の類だと考え、手を出さない人もいるのかもしれない。
 その時、ぞくっと背筋が冷たくなった。
 実体のない存在だったら、今、ここにいる僕も監視されているかもしれない。
 薄暗い空間にある、鳥居、室外機、皿、果物、茶封筒、街路灯、全てが気味悪く感じた。
 誰も見たことがないという事実がどれ程の恐怖を生み出すのかを、ひしひしと肌で感じた。
 もう、限界だった。
 鳥居に一礼をすると、ラブホとラブホに挟まれた細い道を早足で進んだ。手に汗が浮かび、喉が乾涸びる。
 出口がこんなにも遠いと感じたのは、初めてかもしれない。
 鳥居に背を向けてから、ずっと誰かに見られているような気がして、怖くて怖くて仕方がなかった。

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