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母は今も、ときめいているか

私が物心ついた時から、そのエッグスタンドは我が家にあった。
でも、使われているのを見た記憶はない。

白い陶器製で、小花柄がピンクとブルーの色違いであしらわれている。ころんとした形が愛らしい。およそ五十年前、父と結婚する時に母が買い求めたものだ。
お椀や小皿、グラタン皿、ティーカップなど、さまざまな食器を二人分そろえながら、おそろいのエッグスタンドで朝食を、なんて憧れを抱いていたのだろう。それはきっと、幸福な時間だったに違いない。母がどんな新婚生活を夢見ていたのか、今の私よりもうんと若かった当時の彼女の気持ちを想像すると、かわいらしくて抱きしめたくなるほどだ。

エッグスタンドなんて使わない。その現実に、母は早々に気がついたことだろう。
ちょうどいい半熟卵をつくって殻を半分だけきれいにむく余裕も、それを優雅にすくう時間も、共働きの新婚夫婦にはなかった。それでも休日の朝には何回か使ったそうだが、その時間があれば一分でも長く寝ていたいというのが正直なところで、そもそも和食派の父が好んで使うことはなかった。
子どもが産まれると朝はさらに慌ただしくなり、エッグスタンドはいつのまにか食器棚からサイドボードへと移され、飾りものとなった。

エッグスタンドなんて使わない。それ以外にも、母の夢見た結婚と現実が違っていたことはたくさんあったはずだ。
たとえば、新婚旅行に着替えを一切持ってこない父に呆れたとか、結婚して初めての夕食にカレーライスを出したら酒のつまみがほしいと言われて傷ついたとか、最初の子を出産して丸一日たっても父が仕事で会いに来なかったとか。

そんな現実を積み重ねておよそ五十年。母は今も、父と一緒にいる。
父の身だしなみにさりげなく気を遣い、夕食の一品目には必ずビールに合う料理を出し、子どもたちに依存せず、長い時間を父と歩んできた。そして、地方移住という夫婦の夢を叶えた。
移住前の大断捨離を経てもなお、あのエッグスタンドは我が家に在り続け、今も飾り棚の一番いい場所に並んでいる。母にとってそれは、若かった頃の自分や、当時のときめいていた気持ちを思い出せる大切なものなのだろう。その記憶があるから乗り越えられたことも、もしかしたらあったのかもしれない。

エッグスタンドなんて使わない。でも、これを買った時、母はきっと幸せだった。色褪せることのないその事実を、私はずっと大切にしたいと思う。時の流れがときめきのカタチを変えたとしても、母は今日も、幸せそうにしているのだから。

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