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信じる

どうもこんにちはこんばんはおはようございますおやすみなさい。にょです。これからはどんな時間でも寄り添える女になりたいと思います。

突然ですが、みなさんは信じてる人や物はありますか?なんでもいいです。神様でもいいですし偶像崇拝でもいいです。何かを信じるということをしたことはありますか?

私は中三の春まで友達や先生、家族や夢。色んなものを信じていました。努力も信じていました。でも精神疾患になって全てが信じれなくなりました。

友達や先生は私の精神疾患を見えないからや明るいからと言って仮病扱いしました。「にょは学校をサボってる甘えている。」そう言われていました。それを聞いて、私は落ち込みませんでした。そうだよなと思いました。確かについ最近まで明るくてムードメーカーだったやつが学校に来なくなったら仮病と思うだろう。私は割り切りました。そして心を閉じました。

心を閉じたのは友達だけではありません。私のことを心配してくれた家族にも心を閉じました。必死に子供でも見てくれる精神科を探してくれて薬代診察代を払ってくれたのにも関わらず、私はこの人たちも心のどこかでは仮病だと思っていると思ってしまいました。

夢も私を裏切りました。中学3年生で精神疾患になった私は高校受験を控えていました。成績はそれなりに良かったので、ある高校に行くのが夢でした。でも精神疾患になって学校に行けなくなって勉強が遅れて模試も受けれなくて、勉強もパニック発作と戦いながらで全然頭に入ってこなくて。受験の日もパニック発作が起きて息が苦しくて今すぐにでも受験会場から逃げ出したかったです。その時自分で見つけた夢まで信じられないのかと絶望でした。

それから努力です。私は頑張ればそれなりのことができると信じていました。だから受験勉強は必死に頑張りました。それがいけなかったんです。オーバーワークで精神疾患になりました。馬鹿だよなあと今では思います。それからずっとどれくらい頑張れば健康でいれるんだろうと思っています。

どの宗教も信じるものは救われる的な教えをときます。私は信じた。でも救われるどころか地獄に落ちた。

そこから私は何も信じませんでした。些細な褒め言葉でさえも。

でも一つだけ裏切らないものを最近発見しました。それは文です。私が書いてるこの文章も誰かが書いた文章も1度書かれたら書き換えられない記憶となって私の糧となる。そして嬉しいことに私のnoteを読んで何か得たと言ってくれる人が不特定多数います。

私は少し文章を信じてみようと思います。

この考えが吉と出るか凶と出るか分かりません。

皆さんも何も信じられなくなる時があるでしょうそんな時に何か一つでも信じられるものが見つかりますように。


ではにょでした。

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