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"平等"と"無配慮"の間で揺れる教室。

先日、私の通う語学学校のクラスが混沌としているという記事を書いた。
そんな混沌としたところこそ「世界」なのだと自分の中で納得したというかなんというか……そんな感じなのだが。
ここに来て、一つ変化があった。


私の通う語学学校の1番下の入門クラスでは、3週間の授業期間を半分に割り、2人の先生が担当するシステムになっていたらしく、週の半ばに急に先生が新しくなったのだ。

前半の先生は先日の記事にも書いた通り、英語などを交えて解説してくれる先生で、英語とドイツ語の割合は3:7か4:6でドイツ語が多いくらい。授業で最初に配られた教科書に乗っ取った授業を行い、どの生徒を強く叱責することもなく、個性を尊重する先生だった。
あまり細かい配慮まではしないけれど、例のウクライナ人とロシア人を同じグループにしないなど、適度な配慮は行っていた。

一方、後半の先生は前半の先生とかなり大きく違っている。
まず1番違うのは、先生がほぼ英語を話さないということ。
英語とドイツ語の割合は1:9かそれ以下で、英語の質問にはドイツ語で答える徹底ぶりだ。動詞などの意味を説明する時は英語に頼らず、ドイツ語+ジェスチャーで説明をする。それはそれは粘り強く、皆が理解した顔をするまで延々と続ける。
教科書はあまり使わず、自分で作った手作りの紙資料やアクティビティを使って授業を進めていく。
生徒個人への配慮は一切なく、「ドイツ語を教える」ということに徹底している先生だ。


最近美術館で出会った彫刻。
どういう構図やねん。


この変化によって起きたのが、英語話者イングリッシュスピーカーの混乱だった。母国語が英語で英語の解説によって授業を理解してきた人たちと、英語で質問をしていた人たちが一気に授業の最前線から振り落とされた。

英語で質問してもドイツ語でしか返事はない。
ドイツ語が聞き取れない彼らは先生が変わった日からはっきりと授業に置いていかれるようになり、暇そうにあくびをしたりコソコソと私語をしたりするようになった。

もう一つの変化は、学習機会の平等性を保つため、いつもいの一番で問題に答えようとしていたハーマイオニーが注意を受けるようになったことだ。

彼女はどんな先生の問いかけにも先陣を切って解答するタイプだ。
それが新しい先生には気に入らないらしく「ストップ。今、皆が考えているの」と言うようになった。
それによって他の人が回答するのを待つことになり、彼女が授業中に待つ時間が圧倒的に増える。その結果、彼女は授業中にため息をついたりイライラするようになった。
とても優秀で時間を効率的に使いたい彼女にとって、次に進ませてもくれなず待たされるだけの時間は、苦痛でしかないのだろう。



そんな先生の変更による生徒の様子を見て思ったのは、
「これが『 平等 』ということなのかもしれない」ということだ。



全員が平等に理解できる(もしくは、理解できない)状態にするために、授業中に使う言語を習っているドイツ語のみにし、クラスにいる人に平等に学習機会を与えるために、遅れをとる人を助けるだけでなく先に進もうとする人を待たせるのだ。


授業中の言語がドイツ語だけになるについては、私も賛成だ。
全員が英語を理解できるわけじゃないのに英語で解説し、英語の分かる人だけがそれを享受するのは、少しずるいと思っていた。
もちろんハーマイオニーやそのほかの人のように非英語圏の人が努力して英語を習得している人ばかりならまだいいが、母国語が英語の人がその状況を享受するのは、かなり優遇されているように感じていた。

私が英語の解説でもわからず辞書で単語を調べている間、先生の英語の解説ですぐに分かった英語圏の彼らは楽しそうに無駄話をしている。それを見ていると、恨みはしないけれど自分が英語圏に生まれてこなかったことで損したな、と感じてしまうことがたびたびあった。
ドイツ語ができなくて「 最初からドイツに生まれたかった 」と思うのは良いけれど、ドイツ語の学校に来て英語ができない自分に後悔するのは、どうも納得がいかなかったのだ。

講座も後半になり、文法が複雑になり始めたところでこんなかたちで振り落とされたのは気の毒だけれど、それまでにドイツ語での解説を少しでも理解しようとする気がなかったのは彼らの怠慢のように私には見える。


他の生徒のためにハーマイオニーの学習スピードを抑え込むことについては、少し難しい問題だと思う。
実際、日本でも教育の現場で似たような問題が発生しているという話を聞く。個々の持つ学習スピードをどれだけ許容するか、規定の枠から出てしまう生徒をどう対応していくかは、教育の問題としても話題に挙がることがある。

ここは義務教育の場では無いし、先に進める人をほかの人のために止めるのは……とも思うけれど、誰かに先へ進むことを許すことは、同じ料金を払ってきている人へ与えるサービスとして、平等性が失われる可能性も高い。

どこの何をもって「 平等 」とするかにもよるけれど、この先生は「 決められた学習内容に対して、平等の学習機会と理解を与える 」ということを大事にしているように見えた。

ドイツ国内旅行で出会った彫刻。
どういうシチュエーションやねん。


ただ「 平等 」には弊害がある。

先程のハーマイオニーの話もそうだが、新しい先生が個別対応をしないがゆえにクラスの雰囲気が急速に悪化している。

例えば、ウクライナ人とロシア人を同じグループにして、ウクライナ人をガチギレさせたり(生徒がものすごい顔で先生を睨んでいた)、年齢や性別や人種などについても配慮のないことを平気でしてしまう先生でもあるのだ。
国際問題を持ち込まないスタンスなのは許せたとしても、人種や性別などの差別ととられかねない言動は、この場が教室でなくても教師という立場抜きにしても、良いことではないと思う。


これは平等性とは違う話になるけれど、
入れ替わった新しい先生は、人種(顔や髪の色)で出身国を特定しようとするという、なかなかナンセンスな行動を初対面の日にやってきた。

日本でも最近少し問題になっているけれど、人種で出身国を特定するというのは世界的にもかなりナンセンスな行動だ。実際それを差別と言う人もいる。
ヨーロッパでもその雰囲気はあるようで、色々な国の人とコミュニケーションを取る人であり、正義感の強いハーマイオニーも先生に意見こそしなかったけれど、めちゃくちゃ怒っていた。


先生が変わってからの2日間、先生の行動を見てきて、平等性を意識している先生なのかと思っていたけれど、見方によっては「ただ配慮ができない人なだけ」という可能性も出てきて、私自身も困惑している。
それくらい、クラスにいるだけでヒヤヒヤする言動を平気でするのだ。


それに本人は気づいているのか知らないが……気づいていても気づいていなくても、気にせず授業が進められるタフな人でないと、色々な国の人が色々な事情で来る、語学学校の教師は勤まらないのかもしれない。


ドイツ国内旅行で出会った、ロダン作の像。
やれやれだぜ。

一方生徒側は英語ネイティブの人たちを中心に、語学学校にクレームを入れ、前半の先生に戻すように伝えたようだ。
彼らは多分、今までが恵まれすぎていたなんて思っていない。彼らには、自分たちの分からない授業を展開する先生に問題があると考えているようだ。

優位な立場にいる人は、自分が優遇されていたということになかなか気づけないものだ。俯瞰しない気づけないというのもあるし、もとからあるものが優位かどうかなんてそもそも考えないからだ。


例えば「 水道 」などもそうだ。
日本では水道があるのは当たり前だけれど、世界には水道がない国もまだまだある。しかも水道の水がそのまま飲める国は世界でも稀で、実は日本の水道は世界的にも優位だったりする。
日本で暮らしていて、常日頃から「日本の水道はすごい、私は恵まれている」と感じながら生きている人はそんなに多くないと思う。でも、いざ水道の水質を飲めないレベルに落とすようなことになったら、かなりの騒動になるだろう。

今まであったものがなくなると、大抵の場合はそれを不満に思うし、本当に困れば何かしらの行動を起こす。
自分が今まであったものがなくなったのだから、それを取り返すというシンプルな理由だ。そういう意味では、彼らがとる行動もわからなくはない。

とはいえ、傍から見ていると事情が事情なので応援すべきかは悩むところではある。けれど、思い立ったらすぐさま行動に移す彼らの機動力についてはとても感心している。
ハーマイオニーはドイツ語のみの授業に不満はないようだが、彼女も英語話者であり単語の説明を英語ですれば済むところを延々とジェスチャーし続けることを時間の無駄だと思っているらしいし、勉強する姿勢をやや否定されている側なので、先生のやり方に不満があってクレームは送ってないようだが英語話者たちと結託中だ。


私は比較的先生に同情的なところがあって、昨日までは英語話者と対抗して先生を応援するメールでも送ろうかと思っていた。
初日のナンセンスな行動は気になったが、1回くらい目を瞑ろうと思えるくらいドイツ語オンリー授業を歓迎していたのだ。

けれど、新しい先生になってから授業のスピードが異常に遅くなっていて、残りの1週間で学ぶことが、これまでの2週間と同じ量になっている。

授業スピードが上がることについては、頑張って勉強すればなんとかなるかもしれないけれど、スピード感のある授業を雰囲気の悪いクラスの中でやるのは、周りの空気に影響を受けやすい私にとって、かなりのマイナス要因だ。新しいことを急いで学ぶだけでも疲れるのに、学ぶ場の空気が悪かったら余計に消耗するに違いない。


今回もだいぶ長くなったが、
そんなわけで語学学校が一旦終わるまで残り1週間となった。
しかしこの残りの1週間が今までで1番ハードになることは間違いない。

この期に及んで「気にしない技術」や「鈍感力」を習得している時間は無い。
過酷な学習量と学習環境を乗り切るため、週末はゆっくり休み、みっちりと勉強をして、来週の授業に臨みたいと思っている。


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