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時代を変えるにはタイミングとやり方があるのだろうが+祭りとしての報道

時代を変えるタイミングとやり方

#時代を変える には #タイミングとやり方 があるのだろうが、

タイミングは運で決まったりするから

運がない場合もある。

やり方は #工夫の余地 があるが、

それも時代のタイミングに乗れなければ、

工夫が及ばない場合もある。

#誰とやるか はまさに偶然で、
世界中探しても私と志を共にするその誰かは
全くいない場合、
いても生きている間に会えない場合
何らかの行き違いや勘違いで、
コラボできない場合もある。

ま、そんなことを考えても、ことは解決しない。

だから #自分で動く しかない。

少しづつでも #できることを積み重ね る。

そうしよう。

#祭りとしての報道

さて、話は変わって、#日本のマスコミ の酷さ。
私は、NHK、東京新聞以外は見る気も読む気もしないが
東京新聞はここ高知にいればとってないので読む機会は滅多にない。
方やNHK、ほぼラジオだが、
その #報道内容の取捨選択 やその #伝え方には違和感 がある。

例えば、先日(2024年1月30日頃)NHKが、
ある程度名の売れた日本のどこかの
「#祭りが今年限りで無くなる 」
というのを
特集っぽく扱っていた。

その原因として、
1 #少子高齢化 で祭りの #担い手の若者 #後継者 が居なくなり、
 若者が担うべき役割を #高齢者 がやっていたが限界
2 #産業構造 が変わり、#ライフスタイル も変わり、
#祭りと離れた生活 が浸透したこと
3 #東京一極集中 で、祭りをにぎわかす #人が地域にいない
 だから、#やりがいがない、ハリもない

を分析結果として報じていた。

しかし、この #報道は何のために 誰のためにあったのだろう。

#伝統文化#伝統芸能
11 #守る必要 があるのか
12 残す必要があるのか

逆に
21 守らなくてもいいのか
22 残さなくてもいいのか

これらを #祭りの当事者 に問いかけたのだろうか?

件の報道の祭り当事者
(過去の担い手等で、生きていて意見の言える人たち)
は11から22ではなく、

担い手がいなければできないし、
「担い手を作ることから始める」ほどの力もない。
その #力の限界 を知った。
だから、
祭りを止めることを決めたのだろう。

祭りは・・・
権力や富を支配するものが
人類に生まれるまでは、
「#祭りは自分たちのもの」だったはずだ。
しかし、
支配者は、その支配力を強化したり、
被支配者の不満の矛先を誤魔化したり
ガス抜きするために
#祭りを都合の良い道具に した。
と私は考えている。

ということは、
今回のNHKの報道に見られる類の、
「#結局諦める しかないのか」
みたいな雰囲気を醸し出す
新手のガス抜き手段としての報道の役割が
うまく権力者に使われ始めた。

「#祭りの変種としての報道」
なのかもしれない。

#進撃の巨人 たちの高い壁は、
その高さをいや増しているのだろう。






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