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徒然なる想い その十五〜再生研究に足を踏み入れて〜

 先日の「The mystery of jellyfish〜クラゲの神秘的な世界〜」という記事で、現在私が扱っている生物3種(クダウミヒドラ、ヒトツアシクラゲ、カタアシクラゲモドキの一種)の紹介をさせていただいた。この記事で述べたように、それぞれの生き物が魅力的な性質を持ち、その謎の一端を解き明かす行為は非常に楽しいものである。

 しかし、学校の自由研究と異なり、アカデミックな研究の場合は単に面白いというだけでは価値がない。アカデミックな研究においては、そこに新規性があるのかということが問題になる。つまり、既に分かりきったこと、或いは既に明らかになっていることから推測できることを確かめても、アカデミックな研究としての価値は非常に低い。このことは、学部生(私も単なる学部3年生)の頃から耳にタコができるほど言われることであると思う。そして、このことが卒業研究のテーマを決定する上で、私を悩ましてもいる。

 私の扱っている生物を研究の新規性という観点から改めて捉えてみると、カタアシクラゲモドキの一種とヒトツアシクラゲに関しては全く問題がないと言えるだろう。カタアシクラゲモドキの一種に関しては本当に何も知られていない状態であり、ライフサイクルの制御方法を明らかにするだけでも十分に新規性がある。また、ヒトツアシクラゲに関しても少なくとも日本では中山晶絵さんの研究しかなく、研究を開拓する余地は十分にある。このように、カタアシクラゲモドキの一種とヒトツアシクラゲでは先行研究が少ない、或いはないため、それなりの結果さえ得られれば新規性は十分に認められる。

 一方、クダウミヒドラの場合は、研究の新規性という観点から見ると非常に難易度が高い。なぜなら、クダウミヒドラでは再生現象$${^{(注1)}}$$をテーマにすることになるが、再生現象は淡水ヒドラやプラナリア、イモリ(最近はヤマトヒメミミズも加わっている)などのモデル生物で研究がよく進められているからである。再生のモデル生物が他にも存在しているにも関わらず、敢えてクダウミヒドラを再生のモデル生物として扱おうとするからには、クダウミヒドラをモデル生物として扱う意義から説明しなければならないことになる。つまり、クダウミヒドラはこのような点で他のモデル生物よりも再生現象のモデル生物として優れていますよ、というところまで提示して始めてアカデミックな研究としての価値が生まれるということである。文章でサラサラと書いているから、そんなに難しい印象を持たれないかもしれないが、全く以てそんなことはない。再生現象そのものはよく研究されている分野である$${^{(注2)}}$$ため、最先端の研究結果も知らなければ、そんな大それたものは提示できない。そのため、クダウミヒドラの再生研究をテーマにするのは、決して容易なことではないのである

……ここまでの話を踏まえれば、きっと多くの方はこう思われるだろう。大学の卒業研究のテーマなのだから、新規性を見出すところからして大変なテーマよりもその点に関しては楽なものをテーマにしたら良いだろう、と。非常に尤もな理屈である。研究者としてやっている研究なら楽である、楽でないは全く以て問題にならないが、所詮は単位取得に関わる卒業研究である。単位が得られなければ何の意味もないのだから、結果を出し易い方を選ぶのは当然となるだろう。実際、私も再生研究はお遊び感覚でやり、ヒトツアシクラゲやカタアシクラゲモドキのライフサイクル制御を本命でやろうかと思っていたこともある。

 しかし、先日再生実験で非常に面白い結果を得ることができ、以前から漠然と興味のあった再生に関して益々関心を向けることになることになった。再生実験と言っても、今のところ古典的な手法になっている自作の道具による切断しかできていないが、ヒドロ花上の口の部分を2つに分割するように切断したところ、何と口が2つあるクダウミヒドラができたのである!写真をお見せすることはできないため(研究結果ゆえ無闇には公開しないようにしています)、無理に人間に例えれば、口を裂いたら口裂け女ではなく、二口女ができた(しかも2つの口が1つの胃に通じている)といったところであろうか。口が2つあったら食べながら話すのも楽になり、病気のリスクも減りそうな気もするが、勿論人間では口を裂いたからと言って口が2つになるようなことはない。仮にこんなことがあれば、口裂け女もびっくりであり、二口女の方がよほど見た目のインパクトがあるため、「私綺麗?」などと聞きながら日本全国を徘徊することもないだろう。--

 話を元に戻せば、顕微鏡下で口が2つに分かれたクダウミヒドラを見付けた時の興奮は忘れられない。と言うのも、モデル生物としての地位が確立されてるプラナリアでは頭が2つになって再生されるという現象は昔から報告されているが、群体ヒドラ$${^{(注3)}}$$ではこのような現象があることを少なくとも私は知らなかったからである(このような研究をご存じであれば、是非教えていただきたい!)。クダウミヒドラを含めヒドラの再生研究論文は幾らか目を通してきたが、大体にしてヒドロ茎の再生実験であり、ヒドロ花に関する再生実験は見たことがなかったため、思い付きでこの実験をした時は単にヒドロ花が乖離して終わりかな程度の認識でいた。ところが、乖離するどころか面白い再生をしており(普通に再生するものもいた)、こんな面白い現象を今まで知らなかったのかとさえ感じるほどであった。まるで新しい発見をしたかのような気分であり、筆舌に尽くし難い興奮があった。そして、冷静になって再生後の触手の本数を数えてみると、どうも触手の本数が一つのポイントになっているのではないかということに気が付き、研究室の先生に話をしたところ面白いポイントになりそうだと仰っていた。

 こんな経験をしたことで、これまで遊び感覚でやっていた再生現象をもっと突き詰めたいと思うようになった。勿論、先ほども述べたように再生現象に真剣に取り組む場合、長年に渡って蓄積されてきた再生研究の勉強にかなり時間をかける必要性があり、結構大変なものになるだろう。しかし、結果を出し易いからという理由だけで妥協してテーマを選ぶよりも、底なし沼のようなテーマであっても自分の惹き付けられたテーマを選ぶ方がよほど実りのあるものになることは間違いない。こういった理由から、卒業研究のテーマをクダウミヒドラの再生にする方向性で考えており、そのための勉強にも取り組み始めている。まさしく、再生研究に(片)足を踏み入れる形になったわけである。

 長々と話をしてきたが、これからの研究活動を非常に楽しみにしている。恐らく楽をして結果を出すことはできず、時には苦労をすることもあるだろう。しかし、思わぬことが分かった際には今回のように興奮し、かの有名な数学者のように服を着忘れて「へウレカ」と叫びながら駆け回っているかもしれない(公然わいせつ罪になるので止めましょう!)。

 知らないことを知るという行為は非常に楽しいが、本や論文で新しいことを知るということは飽くまでも誰かが知っていることを追っかけるようにして知るということである。しかし、研究によって新しいことを知るということは、誰も知らないものを明らかにするということであり、その喜びは本や論文で新しい知識を得ることとはまた別な次元のものである。未だ誰も見ていない世界を垣間見るということは確かに楽しいものであり、研究者という職業に魅力を覚える人がいることも何となく理解できるようになってきた。私の目標は研究者になるところにはないが、それでも自分の惹かれた再生研究に足を踏み入れた以上、何か一石を投じられるような結果を出したいと思う。

 一体、どのようなことが分かるのかは誰にも分からない。しかし、その先に何があるか分からないからこそ、真剣に取り組む意味があるというものである。結局、研究などという狭いことに限らず、人生などというものは何があるか分からないからこそ楽しいのかもしれないなどと思ったりもする。


注釈

1:生物学における再生現象(regeneration)は、生理的再生と外傷的再生に大別される。人間を例にとれば、生理的再生は毛髪の抜け替わりや血球の入れ替わりなどが挙げられ、これは代謝の過程で自然と起こる再生現象を指す。一方、外傷的再生では切り取った肝臓が元の大きさに戻る現象や怪我が治癒する現象などが挙げられ、傷を負うという物理的刺激によって起こる再生現象を指す。本稿で扱うクダウミヒドラの再生では、切るという物理的刺激を与えているため、外傷的再生に属するものである。なお、外傷的再生は分子的メカニズムに応じて更に付加再生、再編再生、代償性再生に大別されるが、詳しいことはこちらの記事で述べている。

2:再生現象の歴史は非常に古く、例えばショウジョウバエ研究で有名なT・モーガンも元々はクダウミヒドラやプラナリアの再生研究を行なっており、そこから再生現象における極性の概念を提唱したことで知られている。現在では医療への応用という観点からも再生現象が重要視されており、再生医療という分野まで花開いている。そのため、再生研究は基礎研究のみならず、応用研究の立場からも関心の的となっている。

3:この場合は、群体ヒドラであるところが重要である。と言うのも、淡水ヒドラが属する単体ヒドラでは、通常の無性生殖や再生過程で口が2つになる現象を観察できるからである。ただし、群体ヒドラと単体ヒドラでは体の構造及び部位の名称が聊か異なっており、群体ヒドラでは口と胃がヒドロ花と呼ばれるヒドロ茎とは異なる部分にあるが、単体ヒドラでは口が体主部の胃と通じた部分にあるため、口が2つになると言ってもその意味合いは少々異なると思う。単体ヒドラの再生はインターネット上に動画や写真が数多くあるため、詳しくはそちらの方を参照してほしい。

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