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【目印を見つけるノート】643. カラスにやられた朝と「けれんみ」

やられたー😱
カラスに網をめくられたー😖
張り方が甘かったー🙍
ご近所さまに手伝ってもらってしまったーm(_ _)m
おかげさまで速攻収拾できました。ありがとうございます。
野菜、皮まで使えばよかったです😢
カラスからすれば、おいしそうですよね(カー)。
あ、生ごみの分解機、こういうときにあるといいなあ。
↓去年書いた記事です。

今日は寒いのですが、そのようなことで朝からしゃかりきでした。



私は文章を延々書いているわけですが、ベースは小説でエッセイは余暇&練習のように思っています。毎日というのはそれなりに時間も取るのですが、基本は取って出し、なりゆき任せです。

ひとつだけ、どんな文章でも書くときに注視していることがあります。
「けれんみを出さない」ということです。
「けれんみ」は「外連味」のことですが、こんな言葉に置き換えられるかと思います。
はったり、
俗受けを狙う、
かっこよく見せるーーなど。

これは悪いという意味ではありません。例えばおしゃれな雑誌やカッコいいお店にはある意味で「けれんみ」がたいへん重要です。それがなければ人気が出ないですもの。それに、商売でなくともハッタリを効かせた方がいいときもあります。あくまでも、私が文章を書く上でーーということ限定です。

もう少し補足しましょう。
ある程度の年齢まで、私は自分の書いたものが嫌いでした。どうきちんと書いたと思っても気取っていて、かっこつけていて、適度に落ちをつけて、きれいに取り繕っていて、本当のことを書いていてもすごく嘘っぽいと感じていました。
それは、クラスで作文を誉められて読まされても、読書感想文コンクールで一等賞を取っても、演習の発表で誉められても、レポートでAを取っても変わりませんでした。

それは「けれんみがたくさんあった」からだと今では思っています。

そうではない文章を書きたいとは思っていましたが、なかなかできずにいました。そのとき突破口になったのは「詩」でした。
ワーズワースやブレイクなどたくさんの「詩」を読んで、言葉の重みというのをよく感じるようになりました。今でもワーズワースを読めば、コッツウォルズの風景のイメージがパッと浮かびますし、ブレイクを読めば天使をイメージできます。

そのうち運よく、詩の同人に加わって詩や文学に恐ろしく通暁している方々の世界を垣間見ることができました。
不思議なのですが、そこからようやく、「けれんみのない」文章を少しずつ書けるようになりました。

気取っていなくて、かっこつけてもいなくて、ハッタリをかまさず、落ちを無理に作ることもせず、きれいに取り繕うこともなく、本当のことをそのまま書き、咀嚼し、知らないことは知らないままで後の発問にするーーというようなものです。

少しずつエッセイを書き続けてから小説を書き始めました。
小説は歴史を参考にしても、何かにモチーフを取っても、フィクションです。世阿弥の「虚実皮膜」というようにできたら理想ですが、そのフィクションをいかに眼前において書くかというのが今のテーマです。

そして、noteを見ていますと、「書かれたものは人を表している」と改めて感じます。別人格で書いているといわれる器用な方もいらっしゃるでしょうが、それでも人が出てくると思います。
本質的な「その人」です。
いずれにしても出てくるものならば、はじめから出せる部分は素直に出しておこうかなと思ったりもします。もちろん、ヒューマンリテラシーは基本ですが。

それですので、カラスにやられた話も出てくると😅



このような遠回りをしなくても、美しい文章を書ける人はたくさんいると思います。例えば三島由紀夫さんの十六歳の頃の手紙というのを拝読しましたが、非の打ち所のない完璧な、美しい文章でした。
この時点で完成されていたのだと思います。それをご自身もよくご存じだったのでしょう。

ただ、自分のこととして引き寄せて考えると、完成するのは少し先でもいいのかと思っています。寄り道しながら、足止めを食いながら、知らなかった景色を見つけて喜び、ゆっくりそこを目指してもいいのかなと思います。

どのような完成になっても、
これは私の旅です。

Talking Heads『Road To Nowhere』

雪が降っています。

それでは、お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽

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