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【目印を見つけるノート】598. 福山城の黒い鉄板張りを夢見る

雨が中心の1日ですね。
最近、noteの入力用に使っているテキストアプリがよくフリーズします。データ量が多いので仕方ないのですが、どうしようかなあ。
あ、また😓

さて、今日はいくつかトピックスを見つけたので福山城(広島)の鉄板のお話を。

ものすごく簡単ですが、
福山城は1622年に完成したお城です。来年2022年がそこから400年ということで、いろいろなイベントが予定されています。

(2014撮影)
実は各種イベントは2019年からさまざまに展開されています。お城を築いた初代福山藩主・水野勝成が幕府の命で備後の大名になり、この地に入った(入封)したのが1619年だったからです。

このようなとき、どちらが起点として正解なのかと迷いもしますが、どちらも正解、二度おいしいということでいいように思います。

1619~1622年、この3年間は新しいお城と城下町を築くために使われました。城下町や周辺の整備はずっと続くのですが。

備後の中心はそれまで神辺(かんなべ)という、少し内陸の街道沿いにあったのです。勝成の前に安芸・備後を治めていた福島正則までそれは同じでした。
それを水野勝成がもろもろ考えて、一から新しい城下町と城を築くことにしました。一から、です。それが今の福山です。もろもろという言い方はあまりにも適当かなと思いますが……あなたが人口の少ない村落とだだっ広い芦原とその向こうによい港がある地域に一地方の拠点となる町を作るとしたら、何をするでしょうか。
『シムシティ』という町を作って発展させるゲームがありますが、時代は違っても発想は同じだと思います。想像するだけでワクワクします。

「あれやこれや思うとるだけではの、できんのじゃ」と言われてしまうかも。

それをしたのが水野勝成でした。

そのような「もろもろ」の中に、福山城という新しいお城の北側壁面に、黒い鉄板を張るというのがありました。北側は守備が手薄だから、敵に攻め込まれたときに頑丈だから、西国の要害だからと理由はいろいろあると思いますが、それが福山城の目印でした。

お城は76年前、空襲によって灰塵に帰し、55年前に市民や自治体の尽力で再建されました。
2021年の今、お城(福山城博物館になっています)は改修中ですが、鉄板張りの復元もなされることになりました。

このようなニュースが最近ありました。
『福山城改修、鉄板張り復元の見直しで6800万円増 工期も延長』(中国新聞)
https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=808556&comment_sub_id=0&category_id=112

当初予定より少し延びるようですが、もとよりこのご時世です。8月末までに完成の見込みとのことで、とてもとても楽しみにしています。

また、当初その鉄板を鞆(とも)で作っていた?というニュースも見つけました。
『福山城 鉄板の謎に迫る』(読売新聞地域版)
https://www.yomiuri.co.jp/local/hiroshima/news/20210715-OYTNT50121/

鉄板や釘は大きな産地から取り寄せたと考えるのが合理的かもしれませんが、もし、産地から鍛治職を招いてスーパーバイザーになってもらったのなら? 地元の鍛治職は新たな技能も得られるし、補修や改良もすぐにできます。
水野勝成ならこう考えるだろう、と考えるのが私は好きなのです。

(頑丈な筋鉄ーすじがねー御門)

いずれにしましても、来年は福山に行きます。それが私のアファメーションです😊

なお、なぜ水野勝成がお城の北側の壁に鉄板を張ったのかの原点について、お話として書いています。お話ですので、私の仮定です。
よろしければ。
『天下無双の居候 六左衛門疾る 水野勝成報恩記』
番外編 はぐれやさぐれ藤十郎

(該当の部分です)



今日は壁にちなんで。
OASIS『Wonderwall』

この曲が結構好きで、この曲の入っているアルバムをかけっぱなしにしていたことがありました。

♪あなたは守ってくれるひと
あなたは守ってくれる大きな壁

それでは、お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽

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