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【目印を見つけるノート】681. 時のはざまか、ニューオリンズまで

きのうテレビで『美の巨人たち』を見ていたら、こちらを発見しました。

あややや、不覚なり。
この前書いた刀の本物が出ているではないですか。道理で最近、やたらと「安綱」という単語(平安時代の刀工です)が耳に入ってくると思いました。気づけよ、と言われているようです。はい、気づきました。3月25日までですか、見に行きます。
刀の話はこちらに。

えーと、簡単に書いていますが、実は東京でそのようなお品がまとめて見られるというのは稀有な機会なのです。そうですね、絵はボストン美術館から来ているし、この時期だし、ある意味でミケランジェロ以上に貴重かもしれません。月岡芳年さんの絵がいっぱい出ていると……ああ、呼ばれている……あの方の絵はちょっと特別なのです。

歴史に関する絵が多い方ですが、時代小説の絵柄の原型って、あの方なのだと私は思っているのです。そのような端緒であり、時代劇の世界が終わるターニングポイントになっている。その際にいた方ですね。
時間としてはつながっているものの、大きな切れ目がある。
江戸の末期と明治の初期の切れ目というのは、とても興味深い時期でもあります。

時代の境目というのはいくつか書いていますが、資料を読むと比較的行きつ戻りつするパターンが多いように思います。一気にガラリとは変わらないのです。それは日本だけではありません。例えばフランス革命も後で恐怖政治という反動が起こり混乱がしばらく続きました。

ただ、江戸と明治の間だけは切れ目と言っていいぐらい不可逆的なように私は思っています。
いや、月岡さんの天岩戸の絵ではないですが、「裂け目」かもしれません。
産業革命と植民地主義も増幅器だったでしょう。単に政体が変わっただけではないということです。

「なーんだ、歴史の話」と思われるのを承知で言上しますが、刀『安綱』と月岡さんの絵の間には1000年の時の隔たりがあります。翻って、現代と月岡さんの間には150年あまりの隔たりしかない。それは「歴史だ」というのにはまだリアルが残っているようにも思うのです。歴史ですけれど。

それが展覧会で一堂に会しているのはなぜかというと、つながっているからです。
時間の捉え方ということにもなるのかな。流れというか。

そう、150年あまり経ちましたが、今との間に1枚栞をはさむとしたらどこになるでしょう。1945年でしょうか。どう思われますか。



刀と月岡芳年さんを時代の切れ目の話に持っていってしまいましたが、今日はものすごく久しぶりの街に行ってきます。天気が今一つですが、その分落ち着いていられるような気もします。

今日はこんな気分です。
Johnny Cash『Me and Bobby McGee』

列車で旅をしているのですが、雨が降る前に/ニューオリンズまで/赤いバンダナ/運転手さんの知っている歌を全部歌った……など断片だけで風景が浮かぶような曲ですね。Janis Joplinの歌唱が有名ですけれど、こちらもいいです。
特に、「自由っていうのは、失うものがないということの、別の言いかた」という一節がいいですね。

ボビー、ニューオリンズまで、さあ行きましょうか。

それでは、お読みくださってありがとうございます。

尾方佐羽

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