見出し画像

曲がり角と遠い所

 ランダムで流れてくる曲がしっくりくるときは、聴く楽しさが倍増する。好きな曲だけを入れているのだから好きと思うのは当然だけど、その時の気分で飛ばす曲も多い。
 小沢健二くんの「愛し愛されて生きるのさ」。
つぶやき、誰かに話すような歌い方。そのように感じていたのだろうなと、その時の内の感情が伝わってくるかのような曲。
「僕らはどこへ行くのだろうか」
と何度も口にする。口にしたことはないけど、そう言われると何となく不安に感じる時に思っているようなことなのかもしれない。これは、いつの時代も。そして年齢に関係なく。
「とおり雨」が「僕らの心の中へもしみこむようさ」の言葉が、私の心にも沁みわたり、アスファルトが湿っていく様子を思い浮かべたりする。
 自分ひとりで生きているという曲ではない。「家族や友人たち」と共にいる。歩くのは並木道だったり、曲がり角。曲がり角とい上言葉は、彼の他の曲にも使われていたけど、すぐ先が見えない、人生のような「曲がり角」。すぐ見えないから、進んでいる先が輝くような良い場所なのか、その真逆だったりするのか、はたまた、さらに続く曲がり角に飽き飽きするのか。
 曲がり角ではないけれど『遠いところ』について歌う、「流れ星ビバップ」の歌詞も好きだ。
「流れ星静かに消える場所」
「僕たちが居た場所は 遠い遠い光の彼方に」
とあるが、流れ星を見るのではなく、消えていった場所を思うのが面白いと思っている。
 この歌詞の話ではないが、虹を見ると、幼い頃「あの虹の始まりはどこにあるんだろう。そこから登れるのかな」と思っていた。自分が今いる場所ではなく離れた所だけど、その場所はきっとあると信じている。自分にはまだまだ知らないことが沢山あるけれど、そこには、きっと幸せがある気がすると、漠然と感じていた。
 大学を出て就職すると、結婚、子育てなど人生の転機となるモノも考えないといけなくなった。何か嫌なことがあると、結婚すればこの苦労はなくなる、と思ったりしていた。それは、この曲がり角を曲がればとか、流れ星が消えた場所を見つけさえすれば、という思いになっていたのかもしれない。
 が、会社で先輩に言われたことに愕然とした。「結婚したら人生が変わると若い頃は思っていたけど、自分は自分。環境は変わっても、大きく変わるなんてないよ」と。ちょうど私が結婚する前だっただけにショックだったが、今思ってもその通りだと頷くばかりだ。先輩は、フワフワして夢見がちな私を見抜いていたのだと思う。
 ショックだと思っていた頃はとっくに過ぎ、私も随分と年を取った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?