坂元裕二さんの『初恋と不倫』を読んで、あてもなくさ迷うふたつの「孤独な魂」が、ほんの一瞬、奇跡的に重なりあう瞬間の美しさに心を揺さぶられた。
先日放送されたドラマスペシャル『スイッチ』が好きすぎて、最近は暇な時間ができると、あのドラマのことばかり考えている。
阿部サダヲと松たか子と眞島秀和と中村アンの四人が織り成す可笑しくも切ない物語は、どこをどう切り取っても坂元裕二の世界としか言い様のない作品で、というより、坂元裕二の世界としか言い様のない「セリフの応酬」で、こんだけ洒落たドラマの脚本を書けるのは、全盛期の三谷幸喜か、坂元裕二しかいないんじゃないのかなと思う。
なんて、ドラマはあまり詳しくないんで、こんなのあるぞというのがあれば、こっそり教えて下さい。
先週末、自宅に帰って、本棚を眺めていたら、ちょうどドラマ『カルテット』が終わったばかりの頃に購入した『往復書簡 初恋と不倫』が目に留まり、迷わず鞄に放り込み、新幹線の中で熟読してしまった。
本書は、2012年から2014年にかけて公演された朗読劇を書籍化したもので、タイトル通り、初恋と不倫を、二組の男女の「往復書簡」のみで描いた作品だ。
往復書簡、といっても現代では、ほとんどのやりとりがメール(LINEか?)になるわけだけど、特に「初恋」の方は、全部がメールじゃない、というのが物語のアクセントになっていて、ラストの切なさ、エモさは「往復書簡」というスタイルじゃなければ表現できなかったはず。
少し前に紹介した『アポクリファ』もそうだけど、メールやチャットのやりとりだけで構成された小説というのは、いわば「セリフ」だけの応酬で、感情や背景の説明が一切ないからこそ、読者がいろいろ想像する「行間」が生まれるわけで、余計な説明書きがない分、読み手の感傷がダイレクトに反映されてしまうのである。
つまり、坂元裕二という作家が、一番得意とするスタイルなわけで。
物語のはじまりは、ちょっとすぐには感情移入できない、奇妙なシチュエーション。
でも、途中から、だんだんと「ひとごと」じゃなくなり、どんどん「私の物語」になっていく。
あてもなくさ迷うふたつの「孤独な魂」が、ほんの一瞬、奇跡的に重なりあう瞬間。
そして、重なりあったと思った次の瞬間には、もう二度と重なりあうことができないくらいに離ればなれになってしまう。
でも、それは悲劇なんかじゃなくて、多分、それこそが「幸福な恋愛」なんじゃないかな。
というようなことを描かせたら、当代随一の作家だということが、本書を読むことで再確認できる。
恋の吊り橋理論というものがある。
ゲレンデと野外フェスで出会った女の子は、5割増しで可愛く見える。
初恋のあの子は、今でも僕の心を占領している。
つまり、恋のからくりなんて、とるに足りない、些細なシチュエーションの積み重ねなのかもしれない、ということを、本書は描いている。
でも、同時に、
だからといって、
恋そのものが、恋する気持ちそのものが、
とるに足りない、なんてことは間違ってもあり得ないということを本書は描いている。
どんなに滑稽で、
子供じみていて、
誰ひとり幸福にしない、
そんな恋でも。
私が君を好きだという、
それだけは紛うことない事実だ。
本書は、なんてことを、愛する「君」に言えないままに今日まで来てしまった、すべての大人たちに贈る、とっておきの「2つのラブストーリー」である。
2012年の舞台の初演が、
酒井若菜×高橋一生、
ということで、それ、めちゃくちゃ観たかった。
(2020年6月に書いた記事です)
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