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ばくふわ ~ばくぜんでふあんなやつ~


書くことがなくなっちゃった

 11月から復職することになった。3ヶ月ぶりに仕事のPCを立ち上げ、これから来たるべき(本当に初歩的な)仕事の勉強を進めている。以前noteを書いていたのは、休職期間の空いた時間(んておいおいおい~!!全て空いた時間やろがい!)に喫茶店で書いたり、復職直前に仕事を始められるための訓練の一環として、という確保する時間があった。そして、明確に書きたいことがあった。これが大きい。マルチの本を燃やしたときは、部屋中が焦げ臭くなった後、本当に悔しくなって一連の出来事をまとめる決心をしたし、ディズニー紀行は書くまで少し時間が空いたが色々思うことがあったので、あんなに長くかけた。「明確な出来事」に対して自分があれこれ思ったことを書き連ねるのは楽しかった。今は感情を思いっきりぶつけるような出来事もない。復職して大した仕事もやっていないくせに、まーたこの日々が続くのか…と少し嫌気がさした。書こうと思っていた事柄はメモしていたが、これもセンシティブで自分がどう思われるかを考えてしまい、まだ温めている。
 記事になるような「明確な出来事」はない、ならば今の自分を取り巻いている「漠然とした不安」だったら書けるんじゃないか。れんげ食堂東秀で東秀セットを食べながらそんなことを思いついたので、「漠然とした不安」略してばくふわ(ちいかわみたいでちょっとかわいいね)について書いていきたい。

れんげ食堂東秀の東秀セット
これぐらいで食べ過ぎてしまったと後悔する

ばくふわに押しつぶされていたとき

 休職した当初は寝ようとするたびにばくふわに押しつぶされるような感覚を味わっていた。この何かに押しつぶされるような感覚というのは仕事でミス連発し明らかに調子がおかしくなり始めていたころから感じていた。何かプレス機のようなものに胸から体全体にかけて押されていき、やがて四肢の感覚がしびれていく。手足がずっとビリビリして自分の手足という感覚がなくなっていたので、ずっとエクゾディアってこんな気持ちだったんだなと考えていた。仕事をしていた頃は押しつぶしている何かというのがプレッシャーや罪悪感等仕事に関わるものというのは分かっていたので、休職すると決めてからは押しつぶされることもないだろうと安心していた。
 全然そうじゃなかった。休職してからも押しつぶされる感覚は確かにあった。確かに体感は軽くなったかもしれないが、以前は中身が見えていたのに対して、そのときは透明な実体、質量をもった残像のように感じる。自分が何に悩んでいるのかが分からないという事実が一番怖かった。頭で考えれば、休職した後の未来、これから自分はどうなってしまうのかというのがばくふわになっていたというのは分かる。そう考えれば、じゃあどうすればいいのかという解法のない問題を解いてる気分になった。このばくふわを医者に相談したところ、今は仕事のことは考えないでいましょうとアドバイスされた。そりゃそうだ、休職してるのに仕事のことなんて考えちゃいけない。その頃は家にいるとずっとこの感覚がつきまとっていたので、なるべく外に出ていろんなとこに行っていたらすぐに忘れて、押しつぶされることもなくなった。
 復職してからは、以前のように押しつぶされるようなことはないものの、またばくふわが頭によぎるようになっていった。己の敵と立ち向かうなら、まず敵のことを知る必要がある。ばくふわを何個か絞って書き連ねてみた。

ばくふわ①「世間」「社会」

 キングオブばくふわ、「世間」「社会」。これらが漠然とした不安として襲い掛かるのは、やはり実体がないからなのだろうか。
 自分にとっての「世間」の窓となるのは、X(元Twitter)でみることのできるフォロワーの数々だ。「世間」をみると、皆要領よく仕事をやっているんだな…と仕事のできていない自分がひどくちっぽけに感じてしまう。みんなChatGPT等の生成AIを仕事に活用できているし、みんな仕事のできない周りの人間に対して文句や愚痴が言えている。ここでいう「みんな」というのが主語として広げてしまっているのは自覚している。誰もが人生うまくいっているわけじゃない。そう分かっていても、SNSツールで世間を覗くとこう一面的に見えてしまうのだ。こーれSNSのよくないとこ。こんなのやめた方がいいとは何度も思ったが、テレビをもっておらず、現状ツイッターが唯一の「世間」を見るツールとなってしまっていて関係を断ち切れないのだ。「世間」の窓はSNSだけではない。久しぶりに友人と会うのは本当に本当に楽しいだが、どうしてもどうしても足踏みしている自分との差を感じてしまう所がある。この前も久しぶりに会った友達に仕事を聞いたら、残業が100時間超えてた時期があるといって愕然した。その後、M-1にアマチュアで出たと聞いてもっと愕然した。自分は精々ラジオで電話出演して、身を切った話の割にウケなかったというのに…
 SNSは自分と「世間」の差をハッキリさせる一方で、明らかに自分よりきつそうなのに、なぜ仕事を続けているのだろうと思う人たちがいる。SNSのフォロワーを取り巻く厳しい現実が「社会」のように見える。泣いてしまったり、吐いてしまったりするほどきついなら、社内のメンタルケア相談室にかけこめばいいのに。(これってマリーアントワネットの「パンがなければケーキを食べればいいじゃない!」と同義か?)今読んで少しでも心当たりがあったら、そういうの検討してほしいし、心療内科の予約に1か月かかると聞いて絶望してほしい。俺でよければ話聞くよ?

ばくふわ② 引っ越し

 単純にキツイ。12月頭にすぐ近くに引っ越しする予定なんだけど参っている。自分は社内の新人研修が終わったタイミングで、実家から独身寮に引っ越した。そのときは住む家も決まっていたし、親が手伝ってくれたのもあってそんなに大変じゃなかった。(ちな、実家から出るときに尋常じゃない位号泣した、恥ずかしかった。)そして、いつの間にか独身寮に住む期間が満了となり、引っ越しせざるを得なくなった訳だ。引っ越ししなきゃな…と思いながら、SUUMOを覗くまでで半年かかった。なんなら休職中の暇になった期間でもできなかった。ある日病院の帰りに見かけた不動産屋にエイヤで入ってからはトントンものが進んでいった。部屋決めでもこんなに時間かかったのに、引っ越しとなったら締め切りができて急かされる。引っ越しチラシをふと見たとき、やらなきゃいけないリストがビッチリ書いてあってギョっとした。こんなめんどくさい作業を全人類が平気でやってるのか?しかも、仕事と並行して?勘弁してくれよ。アレクサに引っ越しをどうにかしろと言ったら、「すみません、よく分かりません。」と返された。クソアホロボットや。

ばくふわ③ マッチングアプリ

マッチングアプリの通知
相手の女性:ライトニングサンダーさん、こっちも色々お話しできてすごく楽しかったです!そちらがよければもう一回会えませんか??

そんなわけねえだろバーーーーーーーーーーーーーーーーーーカwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ファーーーーーーーーーーーーーーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww彡(^)(^)彡(^)(^)彡(^)(^)彡(^)(^)彡(^)(^)彡(^)(^)彡(^)(^)
マッチングアプリざまあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww彡(^)(^)彡(^)(^)彡(^)(^)彡(^)(^)彡(^)(^)彡(^)(^)彡(^)(^)彡(^)(^)
マッチングアプリ死ね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
FUCK YOU!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 冗談はさておき、マッチングアプリを3ヶ月続けてると、どんどんやさぐれていく。この頃にはマッチングアプリと呼ぶことはない、自己肯定感低下アプリと呼ぶことになる。こんな調子になるからいつも一旦解約して、また恋しくなるまで放置するのだが、今回は半年で登録しているのでそんなことすらできずに、毎日虚ろな目をしていいねと素っ気ないやり取りを繰り返す。こちらは、相手のことをよく知ろうと質問して、あわよくば自分のことも知ってもらったらとメッセージを送っているのに、向こうは大抵の自分のことをほんの少しだけ話して、またこちらが質問する。あのなボランティアじゃねえんだぞ、こっちは金払ってるの。いやだめだな、これ以上書いてたら本気でよくないこと書いちゃうな。最近は、いいねを押すときに「〇ね」「てめぇ〇すぞ」といった「感謝の正拳突き」と真逆の「殺意のいいね押し」をしないといいねができない体になってしまった。もう終わりだよこのアプリ。もちろん、女性に非がないことは分かっている。(今まで会ってきた女性はみんないい人だったので)悪いのは、自由恋愛を強制させるこの社会と自分自身なんだよ。頼む、殺してくれ、この腐った心ごと。
 マッチングアプリの話は、時間があれば別記事でまとめようと思ったが、こんな書いている調子だとまだまだ時間がかかるかもしれない。呪詛がとまらないんだもん。

ばくふわ④ 社会と自分

 ①~③をじっくり観察していき、根底にあるものに気づいた。社会と自分のどうやっても埋められない差だ。
 今の自分を100点満点で表すとしたら何点になる?と聞かれたとする。自分は89点と答えるだろう。残りの11点は?と聞かれたら、10点が未来の彼女(んん~!未練がましい)で1点は成長の余地になると答える。自分の周りの環境を思えば、家族とは仲いいし、友人ともよく遊ぶ、職場も今のところ色々と助けてもらっている、彼女はまあめちゃくちゃほしいんだけど…これ以上の幸せなんてないのだ。だから、残りの1点を埋めるためにほんの少しずつ成長する、1点埋めたと思ったらまた1点ほしくなる。それが自分の人生だと思っている。
 だが、社会に出るとどうだろう。自由競争のもと他者と比較され、自分の無価値さにどんどん気づいてしまう。自分のSEとしての能力なんて多分その辺の大学生にも劣るだろう。1点を埋めれました?、周りには10点20点を埋めた人がいますよ?そんなことを言われている気だってする。こういうことを考えていたら、「アキレスと亀」を思い出した。アキレスがどんなに亀に近づこうとその分亀が動いているから、永遠に追いつくことができない。アキレスが自分で、亀が社会だ。いや逆だな、亀が自分で、アキレスが社会なんだ。そもそも成長するスピードが違うんだ。どうやっても追いつけないんだと…SNS、マッチングアプリに抱く負の感情の根底には、他者との比較にあったんだ。でも、この埋められない差ってなんなんだろうと思い、正体が分かったときに愕然とした。俺って他人から認められたいのを屁理屈こねてるだけなんじゃ…

辛いはそんなに辛くない

 なんだか後ろ向きな文章を書いてしまった。キツイとか辛いとか〇ねとか〇すとかばっか並んでる。ここまで読んでくださった皆さんはこいつまだ休んだ方がいいんじゃないかと思ってるかもしれない。でも、安心してほしい。この言葉遣いはタランティーノやスコセッシ映画の「FU〇K」に近いものだ。サミュエルジャクソンとかすんごい言ってるじゃん。後ろ向きの考えだって、チョロQのプルバックで、後ろにできる限り引っ張った後は前に進むつもりだ。自分の辛いはそんなに辛くない。本当に辛いときは、「本当に辛い、助けてください。」という。つまりまだまだ大丈夫。
 ここまで読んでくれてありがとう。次は自己啓発について色々まとめたい。

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