受精卵のゲノム編集が解禁

▼受精卵のゲノム編集が解禁になることをニュースで知ったのは、今年の秋だった。以下の記事は産経新聞2018年9月28日配信。

〈生物の細胞が持つ全遺伝情報(ゲノム)の中で、狙った遺伝子を自由自在に改変する「ゲノム編集」技術を使って、ヒトの受精卵を操作する研究が来春にも解禁されることになった。厚生労働省と文部科学省の有識者合同会議が28日、研究に関する倫理指針を了承した。現時点で医療への応用はできないが、受精卵が胎児になるまでのメカニズムを解明することで、不妊治療などの生殖補助医療に役立つことが期待される。〉

そして12月5日付の日経新聞に〈受精卵ゲノム編集 来春解禁へ/基礎研究に限り容認/文科省指針案〉という記事が出た。

文部科学省の生命倫理・安全部会は4日、狙った遺伝子を効率よく改変できる「ゲノム編集」を人の受精卵に施す研究について指針案をまとめた。不妊治療などの基礎研究に限って認め、人や動物の母胎に戻して妊娠させることは禁止する。厚生労働省や内閣府の同様の専門家会議の了承を経て、2019年4月にも運用が始まる見通しだ。

中国の研究者がゲノム編集を使って受精卵の段階で遺伝情報を改変した双子が生まれたと主張し、安全性の問題や倫理面から議論を呼んでいる。日本では同様の問題に一定の歯止めがかかることになる。ただ、指針は大学や研究機関の研究者が対象で、違反しても罰則はない。民間クリニックの医師が医療目的で使うことも規制できない課題がある。

指針で新たに認められるのは、不妊治療を目的とした研究。

▼心配でならない。以前にも書いたが、10年後には、人類の生命観が激変している可能性がある。変わるのはいい。心配なのは変わる方角だ。

▼須賀敦子の『ユルスナールの靴』で、ドミニコ会士だったジョルダーノ・ブルーノの悲劇に触れたくだりがある。ブルーノを描いた映画を見ながら、彼の行く末を知っている彼女は彼に感情移入していく。

修道士でありながら(中世以来、それまでのプラトン主義に代って教会が奉じるところとなった)アリストテレス主義を公然と批判したり、コペルニクスの地動説を支持するかと思えば、自然哲学について熱心に語るジョルダーノ・ブルーノの身の安全を、いつのまにか私はこころのすみで祈っていた。〉(『須賀敦子全集』第3巻、183頁)

▼史実のとおり、ブルーノは火あぶりになる。

神を信じ、教会を信じてはいても、その不当な圧力には屈しようとしないブルーノの僧衣に火が音をたてて這いのぼる。/こんな人たちの苦悩を経て、現代科学は生まれたのだ。ホールの暗闇で私は肩をこわばらせていた。それなのに、私たちは無知に明け暮れ、まるですべてを自分たちが発明したような顔をして、新幹線なんかに乗ったり、やれコンピュータだ宇宙だといばっている。なんというまぬけだろう。〉(同184頁)

▼この文章が書かれたのは1996年。もしも2018年に書かれていたら、「コンピュータ」や「宇宙」の列に、「ゲノム編集」も加わっていたのではなかろうか。

人間の哲学や思想は、「近代」という時代や「資本主義」や「国家主義」にその都度、その都度、真剣に対応してきた。それは「自我」の肥大化とどうつきあうかの闘いでもあった。

この延長線上で、ゲノム編集とつきあえるのだろうか。つきあえるかもしれないし、つきあえないかもしれない。どちらにしても、この延長線上で知恵を尽くす以外に道はない。

(2018年12月28日)

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