入管法改正 外国人と害国人の間

▼入管法(出入国管理法)改正案の審議が混乱している。ずいぶん前から、これは「入管」という言葉の範疇を超えた問題であることを真摯に訴えてきた良質なルポが、山ほどある。今回は、珍しく産経新聞も朝日新聞も法改正の成立に反対している。もちろん、反対の理由は異なるが。

〈なぜ外国人を大規模に受け入れなければならないのか。法案の目的は依然としてはっきりしていない。/政府・与党は今国会での法案成立にこだわらず、土台部分をしっかり築き直すよう求めたい。〉(2018年11月15日付産経新聞)

〈日本語教育や社会保障のあり方など、本来、受け入れと一体のものとして議論すべき事項も不透明なままだ。今国会で法案を成立させるという考えを取り下げて出直す。政府がとる道はそれしかない。〉(2018年11月15日付朝日新聞)

▼「政治の経済化」をよく示す今国会だ。以下は「移民」という言葉にこだわる愚かさについて指摘した、2018年11月10日付朝日新聞から。

国際的にみると、もはや「移民かどうか」を議論すること自体に意味がなくなっていると言うのは国立社会保障・人口問題研究所の是川夕・国際関係部第二室長だ。交通手段が発達した現代では、移民は必ずしも永住を意味しなくなっている。「国内でしか通じない言葉遊びのようなものです」〉
〈新たに入国する外国人の数で、日本はすでに欧米諸国に肩を並べている。新たな在留資格で永住権を得る道筋が増えれば、この流れが加速すると是川さんは考える。「欧州などと比べてもごく標準的な入管政策だといえる。外国人受け入れでは、日本はすでに『普通の国』なのです」〉(編集委員・真鍋弘樹)

▼「われわれは労働力を呼んだが、やってきたのは人間だった」。最近よく目にする、50年ほど前に書かれたスイスの作家マックス・フリッシュの言葉は、「移民」という言葉を使いたがらない人々の底の浅さを炙り出す。たとえば、はるばる日本へやってきた真面目な人たちに、私たちは日本人にとって「外国人」ではなく、「害国人」なのではないか、と悩ませるような社会では、「移民」という言葉を使おうと、使うまいと、本質は変わらない(田中宏『在日外国人 第三版 法の壁、心の溝』岩波新書)。

「移民」の問題は、「経済」の問題である以前に、迎える人と、やって来る人の「生活」の問題であり、「人生」の問題である。

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