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憂鬱と創作

ここの程は、noteの投稿も煩雑に済まして、生活においても格別徒に時の過ぎるのを茫っと待機していたような感が強くある。

だが、思えば12月の頭前後は、一段創作に意欲的だった。12月1日に「自殺してみた」という並ならぬ心境を込めて書いた投稿をし、それを書くに当たって、過去の自分と対峙し、また、色々と感傷の古傷が痛み出した。謂わば、創作に意向出来た時期というのは、憂鬱に浸っていた時期に重なるのである。

然るに、私の創作への資源為るものは、こうした憂鬱なのだろう。

私は苦しみからしかものを生めぬのであろうか。或いは、普遍的に人間はそのような性質なのであろうか。

恐らく、私が不幸を感じることによって存在価値を確かめて生きてきた所為なのだろう。つまり、自分に降りかかる様々な難儀を、自分が今ここに生きている理由とする為に、多様な解釈を施し、また言葉を与え、生きる理由として理解せられるようにして、その内的行為において私のクリエイティビティは醸成されたのである。

私は進んで不幸を目指さなければならない。

そして、進んで不幸を求めて生きていける生活の術を見つけなければならない。

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