見出し画像

ササミ和えを噛み締めながらヴィーガンやオーガニックについて考える

昨日が地獄だと思えば今日は目覚めた時から調子がいいのがわかる。『ツレがウツになりまして』では、うつ病のことを「宇宙かぜ」と称するが、本当にそうだと思う。

調子がよかったので、amazon primeから『フードインク』をチョイスして観た。私たちが食べている肉や様々な食品がどこでどのように作られているのかを追ったドキュメンタリー。スーパーマーケットの内装や食料品のパッケージにはまるで長閑な牧場や農場からこの食べ物が来ているように勘違いさせられるけど、それはもうファームではなく「工場」であり、世界でも有数の大企業の儲けのために全てが動いているというもの。果てしなく過酷な現場。家畜のひどい扱い。今手にしているササミのパックからは想像できない巨大な「システム」。

昨今肉を食べない人が増えるのも頷ける。これを見れば、大豆製品やコーン製品も食べたくなくなるけれど、それでも私たちの口に入るもののほとんどに大豆やコーンの成分が入っているのだから、もう既にシステムに巻き込まれているとしか思えない。

少し前に『菜食への疑問に答える13章』という本を読んだ。菜食(ヴィーガン)の立場から「なぜ肉を食べないの?」「健康は大丈夫なの?」といった質問に細かに答えていく。ここでハッとしたのは、ヴェジタリアンやヴィーガンは「健康のため」というよりむしろ「動物愛護のため」にその主義を貫いている人が多いということだった。私はそれまでてっきり健康やダイエットのためだと思っていた。彼ら彼女らは、それまで口にしていた肉類がどこでどのように生産され加工され自分の口まで来ているかに気づき、その惨さやあまりに自然と乖離したシステムに辟易したのだ。

2年前にオランダに視察に行った際、「オーガニックスーパー」に寄り道をさせてもらった。日本で言えば、もっと日常的にある成城石井のような感じか。普通の規模のスーパーマーケットの売り物全てが「オーガニック」だというから驚いた。中でも記憶に残るのは、卵や肉類も売っていたこと。当時の私は「オーガニックって、無農薬・減農薬という意味では?」という稚拙な考えだったため、全てが植物性の食品に当てはまる基準だと思っていたのだ。

そのスーパーでは、放し飼いされてホルモン剤を投与されず、自然に近い環境で育った鶏の卵や肉は「オーガニック」の基準を満たして売り場に並ぶ。この時私はオーガニックの概念を私的に好きになった。狭い牛舎にぎゅうぎゅうにつめられた家畜を見るのはだれだって心が痛む。でも、だから肉を食べるのをやめる?今後その選択の可能性もあるけど、でもきっと、世界から肉を食べる人がいなくなるといことはないだろう。

それなら、できるだけオーガニックを「選ぶ」ようにしよう。私たちには幸い選択肢がある。ヴェジタリアンもヴィーガンもその選択の結果であり、オーガニックも立派な選択肢だ。全てをオーガニックで固められるほどお給料は高くないけど、スーパーマーケットで少し気にすることはできる。

ただ、いわゆる無農薬・減農薬の「オーガニック」がものすごく難しいことも少しは知っている(もちろん、家畜のオーガニックだって難しいだろう)。地方卸売市場の仕事をした際に市場の野菜問屋のおじいちゃんは、「オーガニックなんてね、一時期流行りましたけど、簡単にできることじゃないんです。できるのは収益を気にしなくていい、一部の農家さんだけなんです」と言っていた。

私の祖父も自宅で食べる分の野菜を家の近くの畑で育てるが、完全に農薬を使わないのは無理だと言う。「小さな虫がついてね、人の手でとるのは無理なの」と。この狭さの畑で、自分で食べる量を育てるだけでもそうなのだ。広大な農地を管理する農家さんに簡単に無農薬・減農薬を強いるのはあまりに厳しい。

それでも、私たち選択は選択することができる。いいと思う方を選択しよう。頑張っている農家を応援するのはもちろんだけど、ニーズがあればビジネスになる、つまり大きなシステムにだって影響を与えられ得る。選択を主張することだ。そうだ、もうすぐ選挙だし。

===

▼2年前、オランダでみたオーガニックショップ群と店内に設置された「オーガニックエッグ」の図解



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?