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満員電車で悲しい気分を味わったのです。

先日の出張帰り、満員電車に乗った。

私は満員電車に乗るときには、中心付近で押しつぶされるのは危険だし、気持ち的にもイヤだなと思うので、なるべくホームでは列の後ろに並び、ドア際を確保できるよう努力することが多い。

今回もいつも通りそのようにして、電車に乗り込んだ。

前の人に続いて何とか体を車内に押し込んでいたそのとき、ドアが閉まり始めた。それを見て懸命に体を引っ込めたが、私の体のど真ん中をドアに挟まれた。

なんとか体だけを引っ張り込んでみた結果、私の左足のふくらはぎが完全に挟まれた状態でドアが動かなくなった。

駅のホームドアも閉まってしまって、もしこのまま気づかれなかったらそのまま出発してしまうかも、という危機感の中、何とかしようとしたが、地面に足がついていないので力が入らず、中にいた数人が手伝ってくれてもドアは開かなかった。

幸い、ホームにいた駅員さんが全力で走ってきてドアをこじ開けて助けてくれたので、何とかなった。

普段あまり満員電車に乗らないから、自分がこういう体験をするのは初めてだった。

それにしても、こういうときって再度ドアを開けてくれたりしないんだ、ということも感じた。まぁ確かに、足が外に飛び出ていたのは下の方だったから単に気づかなかっただけかもしれないし、一度閉まったドアがもう一度開くことによって別の箇所で別のトラブルが発生する可能性もあるから、何回も開け閉めしたくないという気持ちもあるのだろう。

ひとまず何とかなったことに胸をなでおろしてそのまましばらく乗車していると、次の駅に到着して再び同じ側のドアが開いたので、一度ホームに降りて乗車列の最後尾に並び直した。

他の人が乗車するのを待ち、最後の1人で乗ろうと体を車内に入れようとした瞬間、早々とドアが閉まり、私1人だけホームに締め出された形になった。

ドアが閉まった直後、ホームにいた遠くの駅員と目が合ったが、特に何の対応もなく電車は発車してしまった。

ぽつんと1人ホームに取り残された私は、去り行く電車を見送りながら、なんだか悲しい気分になった。

普段私はこういう出来事が起きても、おそらく普通の人よりは動じないタイプだ。

しかしそれでも、今回の件に関しては釈然としない気持ちは残った。

状況から推察するに、ドアを開閉する車掌からは間違いなく私の姿は見えていたはずなのに、乗車を待つ猶予もなくドアを締め切ったのである。

怒りというよりも、そういう少しの情けもかけてくれないのだな、という思いで悲しくなったのが正直なところだ。

ただ、確かに冷静に考えれば、時間的にシビアな満員電車の運行中において、ダラダラとゆっくり乗ろうとした私が悪いところもあるし、私が取り残された後に情けをかけてもう一度ドアを開いたとしても、他のドア箇所の方が数が圧倒的に多いわけで、前述のトラブル増加の観点からもそれは望ましくないだろう。

そのように考えて、まぁ仕方ないか、と気持ちを落ち着けることにした。

こうしたことに腹を立てず、「お先にどうぞ」の精神と余裕を持つことによって、穏やかな気持ちで対することが人間性の涵養につながると意味づけて、反対側に止まっていた各駅停車に乗り換え、ゆっくりと帰路についたのだった。

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