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自分の地図をつくる洞察力とは【本:建築のエッセンス】

2000年に、建築家の斎藤裕氏により発行された『建築のエッセンス』という本からは、建築家の情熱と奥深さ、そして日本の空間と色彩美を学んだ。

「日本の建築って、なんで色彩が無くてつまらないんだろう」そんなことを南米や東南アジアで考えていたけれど、まさか日本の茶室や書院造に美しい空間と色彩を学ぶとは。そういえば、今思えば旅籠や書院造も、籠るだけ、書くだけ、という質素でいて壮大な花鳥風月を感じる場所だったんだ。

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籠りまくった越後湯沢のHATAGO井仙を思い出す。

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斎藤氏は、高校生のとき、近くにあったアントニン・レーモンド(チェコの建築家で、フランク・ロイド・ライト氏(アメリカの建築家でル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれる)のもとで建築を学び、帝国ホテル建設の際に来日、多くのモダニズム建築を残す)設計の木造校舎に感銘を受け、建築家を目指し、卒業後独学で設計を学ぶ。初めて設計したのは21歳のときに建てた自邸。1970年、齊藤裕建築研究所を設立。

木、紙、土、医師、コンクリート、鉄、ガラス、色、五感と気配、光、変え、空間、素材、導線、時代、風土、古今東西・・・本物の素材に囲まれて生きるとは?非常に鋭い洞察力、世界の歴史、宗教、文化、風土、細部への知識と情熱を受け取った気がする。

一貫して興味を持っていることは、時代や風土の枠を超えたところで、建築のエッセンスを抽出して再解釈すること

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西洋建築の上下に空間を繋げる意識と日本建築の水平に連続させていく構造

風土や文化によって培養されてきた独特の手法や美意識のルーツを、自分の足で探し廻り、自分の目で見て解釈してみる。それは楽しいですね、何しろ宝石箱の中に頭をつっ込んでいるようなものですから。

美しい建築が、幾何学をどのように組み込んで秩序をつくってきたか
建築というものは、空気に触れたり、手で触ったり、声の響き方を感じたりしないと、上っ面だけでは絶対にわからない。調和と美

杉:秋田杉、日光杉、吉野杉、霧島杉・・・
軽井沢にある「好日山荘」

日本の木といえばヒノキ
法隆寺を建てた時代は直径3メートルのものが関西圏にはあったよう
狂わず腐らず加工しやすいという三拍子
今、大きなものは高知や台湾などで僅かにしか残っていない

東大寺と伊勢神宮
小さな部材を組み合わせて大きな建造物をつくるときには、東大寺に行って考えてみるとよい

材料そのものよりも、つくる人のサイクルが20年ぐらいでちょうどよい

白神山地のブナ林のブナの木は狂いやすくて建築には使えないため、家具やフローリング向き。だから、白神山地は伐採しなくて正解

木を適切に使う方法で、乾燥と木目は知る必要がある

行って、そのときの勢いとか相性があって、何か着想がひらめいてくる。
点として見てきたそれぞれの作品が、あるところでつながっていく。
西洋も東洋も、古建築も現代建築も包含して、自分の地図ができあがっていく。

谷口吉郎の河文
紙の真価を発揮させる使い方を世の中の建築家はもっと試みるべき

アールヌーヴォーやデコの時代
青森のねぶた祭り

ハイテクとローテクの掛け合わせ

イェール大学ベイネッケ図書館
大理石と花崗岩、銅、ガラスでできた特殊な壁により、読書には充分な量の光が入るように工夫されている

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屋久島の家
石代と石を運ぶ運賃が同じ離島の辛さ

目白にある東京カテドラル
世界の建築界に影響を与えた作品

日本では建築基準法により、レンガブロックの構造は一室の面積と天井高において制限を受ける。空間の自由度が非常に限られていて、解放感のある空間がつくれない

「百日紅居」
中国の黄色や赤錆び色の土を使って、かなり大きな面積を左官で塗る
短い時間に人の気持ちを日常から切り替える、それを色の要素でつくる

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1960年代に美術評論家の東野芳明さんから、「どうして日本の現代建築には色がないのか」といわれ、日本の色を意識した「るるるる阿房」と「好日居」を建てた。

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「るるるる阿房」日本海独特の色
玄の色。記憶の中の黒い色に、郷愁ではないけれど、何か心のどこかを駆り立てられる感覚。日本海の冬の空の色というのは、モノトーンではなくて、黒に緑と青が含まれている。雲の向こう側にある太陽の光が海の中を潜って、それが陸側の海面に光と共に色がほのかに現れ出てくる。そのときに緑色がふわっと浮いて、空の鈍い青味と溶け合う。

色の構造である色相、明度、彩度についての基本知識を得る。次に、補色の組み合わせと、三色の組み合わせの原理を知ること。2色の補色どうしなら、明度と彩度は自由に決めていい。3色の組み合わせなら、明度か彩度を必ず揃える。決めた色のほかに、周りの緑や木や石など別の素材の色が必ず入ってきますが、まずは他要素を一切考えない。

日本建築の色彩感覚
如庵(愛知県犬山市の有楽苑にある茶室)

マヤ文明などのメキシコのピラミッドは、ほとんどが内も外も極彩色。内部を再現したものが、メキシコ・シティの国立人類学博物館にある。鮮やかな色を何かに塗って、それが元気の素になるとか、色を慈しむような感覚は、土着のメキシコ的な文化が継承されているのではないかと思う。

色に感応する感受性と想い

ルイス・バラガン(メキシコの建築家・都市計画家)
白を基調とする簡素で幾何学的なモダニズム建築であるが、メキシコ独自の、たとえば民家によく見られるピンク・黄色・紫・赤などのカラフルな色彩で壁を一面に塗るなどの要素を取り入れ、国際主義的なモダニズムと地方主義との調和をとった。

バラガンの色とメキシコ・ルネッサンス
ブーケンビリア
メキシコの太陽の下で見る色
ジャカランダの花

バラガン邸
彼の自宅・アトリエであったバラガン邸は、2004年にユネスコの世界遺産に登録された。

バラガンの自邸を見学すると、そこには日本に関する本が数多く残っていました。写真集をはじめ、日本の寺や彫刻、建築や庭園に関する書籍などが並んでおり、彼が日本の建築からもインスピレーションを受けていたのだろうことが伺えました。

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バラガンの場合、一番強い影響を受けたプロポーションというのは、メキシコの民家であり、もう一つは修道院。民家は、一般人の民家ではなく、アシエンダと呼ばれる広大な荘園領主の邸宅。(1920年代にメキシコで農地改革が行われるまで、スペインからの支配階級にとって古き良き時代を象徴する生活空間の在り方だった)馬と人間の暮らしがあり、馬に乗った人間の高さや目線の位置といったことを考え、おのずとアシエンダに特有の天井高をはじめとしたさまざまなスケール感、プロポーションが決まってくる。暮らしを知っていたからその知恵。また、バラガンの内省的な体質があり、彼は若い頃からあちこちの地方へ旅行して、修道院の廃墟を見て回るのがとても好きだったそう。世間から完全に隔絶された中にある独特の静けさや、さらにその中にある中庭の平穏、そういう空間の質に非常に魅かれたと語っている。彼の建築には必ず中庭があり、壁で囲われて空しか見えない、非常に抽象的な屋上庭園がある。

日本庭園とバラガン
日本の庭における導線のつくりは考え抜かれて洗練されている
飛び石の中にも渡れる石と見せる石がある

メキシコのトラコタルパン
漁師町、住宅の一軒ずつ全部違う色を塗装してある町だが、公共建築はすべて白で統一してあって、白い役場や教会が見通せる
Hotel Doña Juana Tlacotalpan

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昔の建築家には、現場で最後の味加減をする人が多かった。最終的に仕上げるときには人間の感受性が大いに関わってくる。

ル・コルビュジエの手法は「色には光を」
学問的な色と感覚的な色
空間にからくり的な工夫がしてあって、それを色で表現した

インドの「風の宮殿」ジャイプール
素材の色だけでできた街
土そのものに色があるプラスター、ベージュ色のセメントなど、そういう素材の色をどうまとめるかを研究して、自分なりに再構成するだけでも、ひとつのアプローチとして、新しい空間と色の関係ができるのでは

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イラン イスファハーン
色が欲しいときに良いのはタイル

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スペイン アルハンブラ宮殿
五感と気配、光の量と質
光こそ建築のすべて、といえるぐらい空間の存在を確かにするもの
建築のエレメントを組み立てるというよりも、むしろ光と影を組み立てるというアプローチ

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光の絞りは、暗めか明るめが好きかは個々の好みですが、基本的に室内での光は明るすぎてはいけないと思います。そればかりでは、人間て、考えることをしなくなる。太陽が燦々と降り注ぐビーチ等で本を読んでも、小説なんかを読み流すのはいいけれど、考えるという意味ではあまり集中できない。空間をデザインするということは、暗い中にもおぼろげながらにディテールが見えるほどの陰りと、最も明るいハイライトの光の、その間のグレーのグラデーションをどのように構成するかです。でも、光と影を組み立てるといったところで難しいですね。なぜなら、デザインをする人が光と影の有り様を多く体験し、その蓄積が無いとつくりようがない。豊かな光と影は、日常のちょっとした環境の中にもあるのですが、いつも自分がつくる意識をもって求めていないと、なかなか気をとめませんね。

空間や部屋の用途によって、そこにあってほしい光の質と量がある。
「均質な光」はっきりと特徴のある光をつくりだすというのではなく、1年を通して、日中のほぼ何時でもそこに柔らかい光がまわっているようなあり方。これは、北西、真北、北東につける窓。画家のアトリエなどでも、一定した光を求めて窓を北につける。あとは中庭を設けたり、ある時間にしか入射しない特別な光をつくる。

光の記憶
京都の町家の台所には必ず天窓がある
かまどのある台所の、ススで汚れた壁にお札が貼り付けてあって、天窓から落ちてくる光で白く輝いている。プランが細長いために、中間に光を採り入れる知恵がいつの間にか生まれたのでしょうか。大きな住まいは間取りが複雑になり、それぞれの部屋にそれぞれの光と風が必要になってきます。

光の見方や感じ方というのは、太陽との関係だけでなく、海や山といった自然をいかに解釈するかに関係してくる。空間の採光方法を考えるときにかなり引きずるところがある。

地域によっても光に対する接し方は異なる。赤道直下と北欧のような寒冷地帯の人達の光に対する感受性はかなり違うし、どちらかというと亜熱帯に属する日本人はまた別の接し方をする。もう一つ重要なことは、文化の高いところほど建物に対する光の扱いが洗練され、未開のところほど無抵抗ともいえるようなところがある。建築に対して光をどのように使うかは、一つの見方からすると、文化のバロメーターみたいなものが案じられる。建築と庭との関係ができているところは、光の扱い方について、洗練された答えを持っている。

蛍光灯をつかい、どこもかしこも手術室のように白々と明るい、とは日本を訪れた外国人によく言われること。日本では蛍光灯の普及を文明の進歩だと考えている人々が結構いる。光に対する感性の点で、欧米に比して日本はいまやかなり劣っています。

エアコンを代用し、人間は自然の風に対して無感覚になってしまった。地球温暖化の原因のひとつにも繋がっている。そういう意味で、光や風、音といった人間の五感に関係する要素は、これからの建築でますます重要性を増してくる。

アントニン・レーモンドの窓のディテール
自然を呼吸しているように感じさせる「生きた窓」

高山寺の石水院
風の建築

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「建築が深呼吸しているように大きく開きたい」
「木の香りを建築にする」

人の五感にそこはかと訴えるような建築の仕掛け、つくり手にとってはそれを考えるのは楽しいし、建築をもっと豊かで幅のあるものにしてくれる

「今の学生は、建物を見るという実体験がすごく少ない。建築を文字や写真で捉えている。ましてや、建物を「開く」とか「閉じる」という観点から見るということなどまったくないでしょう」

「開く」と「閉じる」、建築の呼吸度
閉じる建築はロマネスク
構造の発展にともなう採光方法の進歩によって、ロマネスクからゴシック、ルネッサンス、バロックとさまざまな様式が生まれてきた

空間というのは、個人的体験を積み重ねた上でないと身につかない

屋久島の家

空間の真・行・草
真:時間の概念では、永遠、不滅、不変、形で言うと完全な美を目指すこと
行:修行の行、人が真理を自分に内在させる過程を表す
草:刹那的感覚、うつろいそのものを尊び、そのときにこめられる人間の思いに重点を置いておこうとする、ようするに不完全、不足の中に美を発見するということ、移りゆくものの中に美を見つける感性

人間というのは、つねに矛盾、二重性をはらんでいるから、真と草の間を絶えず揺れ動いていて、天秤にかけてバランスを取ろうとする

巨匠といわれる建築家たちは、もちろん真行草という言葉では考えていなくても、必ずそれに対応するような理念や方法論をちゃんともっていて、作品によって、あるいは自分がどういうところでやっていくかという意識を頑固としてもっていたと思う

法隆寺

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法隆寺は、大陸から入ってきたばかりの仏教建築が日本の風土の中でどのように消化されて変わりつつあったかを考えてみるには最適な場所。豊かな木材資源のある日本にくらべたら、中国や朝鮮半島には大きな木は無かった。ここがまず日本独特のものをつくりだしていった分岐点。小さな材料を使って大きな建築を組み立てていく大陸のやり方を受け継いだ日本は、初めはそれと同じようにつくってみるが、じきに日本流のやり方に変えていく。太くて長い柱が一本の木から取れるし、大きな一枚板もしかり。

建築には、音楽や彫刻と違って、他の要素が複雑に絡んできます。たとえば、丘の上に建てるときと、谷間や街の中に建てるとき、あるいは中近東の砂漠に建てるときとは形のありようが違ってきますから、地形や風土というのは、形やプロポーションに大きな影響を与えます。そこで、プロポーションを再調整するということが長い歴史の中で行われてきた。素数で割り切ったり、幾何学だけではやり切れなくて、いろいろと調整する手法が必要となってくるわけです。

建築家になるためにまず最初にやるべきことは歴史だと思いますが、日本の大学ではそれが全然なされていなくて、様式論だけに終始しているのが現状です。

建築をつくるには総体的な知識が絶対条件
ギリシャ、ルネッサンス、近代建築

アンドレーア・パッラーディオ(1508年生まれのイタリアの建築家。ジョヴァンニ・ディ・ジャコモとローラモ・ピットーニの工房で働く。数学、音楽、ラテン文学などについても薫陶を受けていた。ローマ旅行などを経た後、本格的に建築家として活動)も30過ぎから建築をやり始めたにもかかわらず、つくったもののプロポーションは音痴じゃない。一人の人間に与えられた一生の時間はそう変わるものではありませんから、プロポーションの感覚を養うための秘訣がどこかにあるはずだと思うんです。

僕たちは、日本に生まれ育ったわけですから、日本の単位やプロポーションとは一体何か。ここのところを明確に把握しておくことも重要。それがわかると、現代の生活の空間づくりに、日本ということを「生かすも殺すも」自分のポリシーとして一貫性をもって建築に表現されるようになる

また、プロポーションは絶対的な数字ではない。民家にしても、雨が多い地方はこういう防備の仕方をして、雪の多い地方はこうすると、生活の知恵の中から寸法というものが経験的に割り出されてきている。そういう寸法は、理屈とか理論ではなくて、もっと生活の体験から導き出されたもの。

ぼくは、その地方独特のプロポーションがあると思います。
たとえば白川郷の民家を都会に移築しても、何か変なものという感じになってしまう。

近代数奇屋の感性、時代性、伊勢神宮、北野天満宮
アアルト、バウハウス、修道院、日本庭園、桂離宮、日光東照宮

導線をつくるには「生活をデザインするところから始める」
日本の建築で軸線と導線の関係で好きなもののひとつに、上賀茂神社がある

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私には、まだこの本に書かれている全てを本当の意味で理解することはできていない。プロポーションも空間も、建築のエッセンスの1%もわかっていないのかもしれない・・・けれど、読み終わった後、壮大な旅をした気分。sそして、この本と共に、本当に世界を旅すると、ちょっと知的な話や違った視点で物事を見ることができるのかもしれない。「本と旅」それに空間が繋がって、また身近な「生活をデザインするところから始める」ことに落ち着くのかもしれない。



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