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コメディ礼賛 (5)小説「帰ってきたヒトラー」 《本質》をえぐる、ギリギリの風刺劇

高校時代の友人で、主に試験答案に ── 従って試験中に ── パロディ小説を書いていた男がいた。我々ファン側の問題は、答案が返却されるまで待たなければ、作品が読めないことだった。
彼は当然のごとく大学入試に落ち続けた。しかし、何を思ったのか、2浪に入ってから猛烈な《勉強》を始め、関西の名門国立大学医学部に入学した。

私はその頃、東京で生活していたが、ある日、彼の書いた、スラップスティック・コメディ小説のコピーが送られてきた。医学部の文芸誌に原稿を頼まれ、書いたものだという。
フツーに笑えるその話の中に、当時政財界でブイブイ言わせていた右翼の大物をパロディったキャラクターが登場していた。
(……こりゃ、当人が読んだら怒るだろうな)
しかし、そのコピーに添えられた彼の手紙には、
『この小説を読んだ周りの人間から、お前は右翼か、こいつの仲間か、と糾弾された』
とあり、心底驚いた。
新左翼がまだキャンパスで勢力を持っていた時代ではあったが。
(……どうみても、逆だろう)
サンプル数は限られるので、彼の学部周りの人間に特異点があるのかもしれないが、《受験偏差値》と《コメディ理解力》は、(彼自身のような例外はあるにしても)《負の相関》があるのかもしれない、と思った記憶がある。
《コメディ》全般、とまで一般化しなくても、《パロディ》や《風刺》がそもそも通じにくい、下手すると誤解して怒りだす ── 人々が少なからず存在することは間違いないだろう。


前置きが長くなりました。
久しぶりにスポットライトを当てるコメディ(だと思う)は、ドイツのジャーナリスト、ティムール・ヴェルメシュの傑作(と私は思う)、《帰ってきたヒトラー》です。
映画にもなりましたが、私は小説しか読んでいません。
しかし、かなり忠実に映画化されているらしいので、どんな内容なのか、ざっくりお伝えするために予告編を貼り付けておきます。

1945年に自殺したはずのアドルフ・ヒトラーが2010年代のドイツによみがえり、政治的主張を繰り返す。誰も《ヒトラー本人》とは信じず、《そっくりさんネタ》だと見なされ、《人気芸人》としてまつりあげられていく、というストーリーです。

なにせ、《本物のヒトラー》ですからね、《ユダヤ人》はもちろん、現在のドイツに大勢移民して住んでいる《トルコ人》も、容赦なく罵倒します。

この小説はドイツでベストセラーになるのですが、
《ヒトラーに対する数々の肯定的な描写》
との見方をされ、物議を醸し、私がこの小説を読んだ時点では、イスラエルでは出版されていなかった。

結局、この小説は、ヒトラーを《狂人》扱いせず、《信念を持ち、それを一貫して主張する、論理的で頭のいい人間》として描いた、つまり、《彼が過去に行ったこと》ではなく、《彼はどういう人間だったのか》を描いたので物議を醸したのでしょう。
また、あまりにリアルなので、ナチス・ドイツに苦しめられたり、親族や友人を殺されたりした人は、条件反射的にこのような小説を《拒否》することは十分理解できます。

最近、NHKでドキュメンタリー「映像の世紀」シリーズが何度も再放送されています。その中に「独裁者 3人の“狂気”」と題した回がある。
ムッソリーニ、ヒトラー、スターリンの3人を描いていますが、彼らに「例外的に生まれた狂人」的レッテルを貼るのはとても危険だと思います。
時代や支持者と共鳴し合うことにより、誰もがこのような《怪物》になりうる。


なお、《ヒトラー》という言葉は、過去の人間の《固有名詞》からひとり歩きして、《普通名詞》、いや、それすら通り越し、《符丁》として使われることがあります。
特に、自分が好ましく思わない人を引きずり下ろす意図で『ヒトラー』になぞらえる人物が時々現れる。
このような人物(もちろん、そう呼ばれる人ではなく、呼ぶ側の人物です)に対しては、我々は注意深く対処しなければならない。
このような人物の言うことは、── それ以外の事柄も ── 信用しない方がいい、とさえ私は思っています。

例を挙げます:
総理大臣・小泉純一郎が、2005年に「郵政民営化法案」を国会に諮り、参議院で否決された時に衆議院を解散し(郵政解散)、しかも、
「郵政民営化が、本当に必要ないのか。賛成か反対かはっきりと国民に問いたい」
として、《郵政民営化に賛成する候補者しか公認しない》という方針で衆議院選挙を戦ったことがありました。

《解散》も《非公認》も、小泉総理の信念の政策を通そうとするためとはいえ、きわめて強引なやり方でした。
それに対し、敵対する政治家の中で、
『まるで、ヒトラーだ』
と何度も連呼する人物がいました。
この人が意識しているかしていないかはともかく、単に『独裁的』と呼ぶ以上の《大きな負のイメージ効果》を狙っていたのは間違いありません。
インタビューなどで、この、
『まるで、ヒトラーだ』
を耳にした時、この人は、いかに政治的に追い込まれているとはいえ、
《大衆をバカにしている》
と思いました。
敵対する人物を、
『まるで、ヒトラーだ』
となぞらえることにより、《印象操作》ができるとたかをくくっている
のでしょう(この件に関して、私は政治的にはニュートラルであることを強調しておきます)。


「帰ってきたヒトラー」は、ヒトラーとドイツ国民の間で過去に起こったのかもしれない本質をえぐる、とても怖いコメディです。

でも、この記事の表題だけチラ見して、中身は読まず、
「ヒトラー《礼賛》」って書いてたぜ。
と言う人がいれば、それはもっと怖いことかもしれません。

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