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「本当の親」って誰? (エッセイ)

日本語の表現で《違和感》を覚えるもののひとつが、「本当の親」あるいは「実の親」です。

英保健省は27日、妻や夫以外から提供された卵子や精子を使って生まれた子供が成長した後、自分の「本当の親」について情報を知りたいと考えた場合に備えて、法改正を検討する方針を明らかにした。
 現在、卵子や精子の提供は匿名で行われていることから、年明けから委員会を設置して協議を始める。委員会では、卵子・精子提供者の氏名開示まで踏み込むのか、提供者が持っていた病歴など一部の情報伝達にとどめるのか多角的に検討するという。
[時事通信社 2000年12月28日]

かつては上の記事のように、➀受精に使われた卵子や精子の提供者を指す場合の他、➁誕生の後に養子などに出された子供にとっての生物学上の親を指す場合などに、最も普通に用いられていました。
稀にですが、➂産院で取り違えられた子供が、取り違えられなければ共に生活していたであろう親を指す場合にも使われます。

元原稿を確認していませんが、「英保健省」の発表の中では「本当の親」という表現は使われていないはずです。

英語では、➀➁➂いずれの場合も《biological parent(s)》つまり、生物学上の親、という表現が使われます。最近の日本の新聞も、この言葉を使おうという傾向にあり、「本当の親/実の親」と併記する傾向にあるようです。
「英辞郎」で「biological parents」の和訳を調べると、「実の親、実父母、生みの親、生物学上の親」と出てきます。つまり、やはり一般的には、「本当の親/実の親」が使われています

例えば最近の下記記事(2021/11/5 日経電子版;記事中の実名はAさんと仮称しました)では、訴状で「生物学上の」を用いる一方、当事者は「実の」という表現を使っているようです。

東京都立の産院(閉鎖)のミスで他の新生児と取り違えられ、血のつながりがない両親の元で育った男性(63)が5日、都に対し、生物学上の親の特定などを求める訴訟を東京地裁に起こした。男性の代理人弁護士によると、同種の訴えは初とみられる。
男性は都内に住む自営業、Aさん。提訴後に記者会見し、「自分が何者かを知りたい」と話した。
訴状によると、Aさんは1958年4月に墨田区の都立産院で生まれ、2004年にDNA鑑定で両親と血縁関係がないことが判明した。両親と共に起こした損害賠償請求訴訟では、東京高裁が06年に「(取り違えという)重大な過失で人生を狂わされた」として都に計2千万円の支払いを命じた。判決は確定している。
Aさんは「実の親を調べてほしい」と要請してきたが、都側は「法令の定めがない」として拒んだという。今回の提訴では、「(産院を運営していた都は)分娩を助け、新生児の看護をする役割を担い、付随的に生物学上の親を特定する義務を負う」と主張。慰謝料など計1650万円の支払いも求めた。

「それぞれの人がどんな言葉を使おうと勝手じゃないか」
そのとおりです。
しかし、人は言葉で考える生き物です。使う言葉によって、考え方や物の見方、人間関係すらも、ある程度、影響を受けます。
「生物学上の親」に対して「本当の親」「実の親」という言葉を使うならば、「生物学上のつながりのない親」は「本当の親ではない」「実の親ではない」「not real parent(s)」「not true parent(s)」ということになってしまいます。

言葉って本当に大事です。

例えば、「いじめ」という言葉が、今、あまりに広い範囲で使われています。
ある段階から、たとえそれが学校の中であろうとも、事実認定により「人権侵害」「名誉棄損」「器物損壊」「窃盗」「暴行」「恐喝」という言葉を適切に使っていくべきだと思います。

脇道に逸れました。

私は最初に引用した、2000年12月の記事を見て強い《違和感》を覚え、この記事をワードファイルにコピペし、簡単なメモを添えておいたのですが、それから10年余りが経ち、2013年制作の是枝裕和監督の映画「そして父になる」を見た時、改めて、
「うーん」
と唸りました。

この「うーん」は言葉で説明しない方がいいですね、きっと。

他人の心の中に立ち入ることはできませんが、
➀➁➂のケースとも、言葉の《初期値》としては、
《本当の親》《実の親》より、《生物学上/遺伝学上の親》なのかなあ、と勝手に思っています。

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