「孤独」について
「孤独」って何なのだろう。
漠然とそんなことを考えていたので、あらためて調べ直してみたという話です。
そして私なりに考えたことについてもお話ししたいと思います。
孤独とは
「孤独」とは人々との接触や関係、連絡がない状態のことを一般的に指すと複数のサイトには書かれていました。
仲間や身寄りがなく、ひとりぼっちであること。思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいこと。また、そのさま。「孤独な生活」「天涯孤独」
参考⇒ weblio、goo辞書(※いずれも同じ内容が掲載されていました)
最近の出来事
最近、TwitterのDMに「孤独で...」といった内容のメールが頻繁に届きます(ここにリンクしていない、もうひとつのアカウントです)。
冬が近づいているからでしょうか?
それともウイルスの影響で、家にいて時間ができたから?
もしかしたら私も孤独に見えるのかもしれない。
なぜこんなにも似たようなDMが同時期に届くのだろうか?という疑問は置いておきますが、
私自身その孤独に付き合えるほどの心の器を持っていないことに気づきました。
孤独じゃない
まず、私自身孤独ではありません。
家族はいるし、友達も2人ほどいるし、特殊枠もいます。
私の場合「孤独」=その時が来ないとわからない
という考えなのですが、
DMを送ってくる人の場合「孤独」=寂しいから話し相手がほしい
という考えがあるようで、ここに大きな違いが生じています。
「友達2人?孤独なんだね」「ひとりで過ごしてるの?孤独なんだね」等と昔から数々の人に言われてきましたが、意味が理解できませんでした。
聞きたい。
なぜひとりを孤独だと思うの?
孤独は自らが抱くものであり、相手が孤独であるとは限らないのでは?というのが今回の話のポイントです。
ひとりだから寂しいとは限らない
2つ前の項目でお話しした「孤独に付き合えるほどの心の器を持っていない」という点についてですが、「ひとりの何が寂しいのかわかっていない私では話し相手ができない」というのが本音だと思います。
逆に「いつ誰と何をしても孤独であると感じる」人の場合、家族の誰か一人がいても、友達ができても、交際相手ができても、結局は心のどこかで「寂しい」と感じてしまうのではないでしょうか。
どうしても「孤独」「寂しい」と感じる方の場合、考え方を変えるのも手です。
どのように考えるか
相手の心に寄り添ってあげられるだけの器を持っていないような悪魔から的確なアドバイスなどできませんが、
相手のことを信じることと、連絡を取ることや会う事だけが繋がりだと思わないこと。
このふたつは孤独感から解放されるためには大切なのではないかと私は思っています。
そして自分の期待値に相手を合わせようと相手を批判したり攻撃したりすると、相手は相手で繊細なもので、攻撃されたことにショックを受けて離れていってしまうかもしれません。
そういったことが続いた結果、一般的に考えられている寂しさから来る「孤独」に自らなってしまうことも。
「信じること」と「期待値の押し付け」は別物だと思います。
人間はロボットではないので個体差があるということについても視野に入れておくといいかもしれません。
人は自分が期待している通りに動くとは限らないこと、こちらが思っていることを話すとは限らないということも頭においておくと、より安心して過ごせるようになるのではないでしょうか。
特に常日頃寂しいと感じながら過ごしている方は、繊細で傷つきやすい一面を持っている方が多いのではないかと思います。
ひとりに慣れすぎている私が相手だと
「何かの拍子に一撃をくらわしてしまってはいけないな」という思いもあり、話し相手には相応しくないだろうなと(むしろ断ろうと思う理由は、これがメインかもしれません)。
心の傷って、一度ついたらなかなか消えないでしょう。
以前 HSPの診断結果 の話をしましたが、私はこういう部分の繊細さに欠けるのだと思います。
はじめに「こどく」と入力した時になぜか「蠱毒」と出てきた時点でアウトです。
★この話の続きと答え合わせ⇒ 「孤独」について新たに気づいたこと
次の記事⇒ 音楽とドーパミンの関係
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