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観察日記1355

観察日記1355
おはようございます。
『「待つ」ということ』をまとめていきます✋
自分にとってあらゆるものとの向き合い方の原点と感じている「待つ」を解きほぐしていきます。

■防御としての、存在の閉鎖
・「祈り」の型も防御の姿勢のひとつかもしれない
 ・両掌を合わせることで、身体のなかのさまざまな衝動や顫動をおのれの内でぐるぐる円環させ、身体の動性が外部へと拡散しないようにする
  ・困惑したとき、迷いに迷うなかで、ひとが頭を抱えるように、額に手をやるように
 ・裏を返せば、他者の拒絶ということになる
  ・その拒絶をはっきり表明するのが腕組み
 ・逆に他者の明確な拒絶に尻込みするとき、他者への訴えの中身が自分でも不明なとき
  ・ひとは爪を噛んだり、自分の手や髪をいじったり、脚を抱え込んだりする
  ・環のなかに退引して、閉鎖された自分のなかで起こる微かな感覚のざわめきに浸ろうとする
・閉鎖から「祈り」へとふたたび開くことは、どのようにして可能になるのか?
 ・残された微かな産毛を総動員して、「祈り」へとよろよろ立ち上がることができるのはどのような力によってか?
・マルセルの「祈り」についての考察
 ・「祈り」はあくまで〈待つ〉ことのひとつのかたちであり、「神さま」への要求ではない
 ・「祈り」が、ひととしてのひとつの試練のただなかにあるとしても、それを制御するのがなにがしかの徳であるとは考えない
 ・『存在の神秘』
  祈りの行為は要求の行為とは反対に、それ自身のなかに、すでにその祈願の成就としての答えを含んでいるのだと思い込みがちである。
  …もっとも熱烈な魂による祈りとはいえ、いかなる場合にも、それ自身のなかにその祈りの成就が含まれていると解することは不可能である。
  むしろ反対にそれは、われわれにはその意図を推し量ることの不可能な、理解を絶したひとつの力の神秘的意思に依存するものと考えられる。
  祈っている人は、その祈りに対する答えに関しては、自分自身まったく分からないものであると考えているのである
・お宮の前に立つひと
 ・身を閉じることから身を開くことへの最後の力は、じぶんのうちにはなく、宛先も不明なまま誰かに届けようとする「祈り」そのもののなかにしかないはず
 ・おのれのイニシアティブを放棄したところにしか訪れないものを待つ、その覚悟が、憔悴しきった中でかろうじて立ち上がってくる、瘦せ衰えてはいるが確かな「祈り」のかたちをとる
(閉鎖)

昨日は18kmランニング次の日とは思えないぐらい筋肉痛が残りませんでした🙌
前回は歩けるけど歩き続けたくないぐらいには筋肉痛だったので、今回の回復ぶりにちょっと驚いております(笑)
徐々に体が慣れてきたことや、終わった後のストレッチなどが効いたのでしょうか。
今週はほぼ雨なので筋トレで体を整えておきたいと思います👍

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