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「生きた心地」が削られる(荒井裕樹)

連載:黙らなかった人たち――理不尽な現状を変えることば 第11回
普通の人がこぼした愚痴、泣き言、怒り。生きづらさにあらがうための言葉を探る、文学研究者による異色エッセイ。本稿は、2018年12月3日にWEB astaで公開された記事を転載したものになります。

 生活保護の受給者が、少し高価な文房具を持っていること。
 家事や育児に疲れた母親が、おしゃれなランチで気晴らしすること。
 いま、こうしたことにさえ批判が寄せられることがあって、そのたびに気が重くなる。
 輪をかけて気が滅入るのは、こうした風潮に反論しようとすると、「少し高価な文房具」「おしゃれなランチ」の必要性や費用対効果の説明を求められること。

 でも、人が抱くささやかな願いに、理屈や理由が要るのだろうか。必要性を説明して、世間に認めてもらえなければ、人は何かを「ささやかに願う」こともできないのだろうか。
 こうした論調に抗うのは、意外にむずかしい。そもそも、「ささやかな願い」は「ささやか」なだけに、それを守るために闘うよりも、諦めてやり過ごすことのほうが多い。
 こうした「小さな諦め」が積み重なった社会は、どうなっていくのだろう。なにか不気味なことが待っているように思えて仕方がない。

「生きた心地がする思い」

 一度使ってみたいと思っている慣用表現に、「生きた心地がしない」がある。「恐ろしさで生きている感じがしない」(大辞泉)という意味だけれど、なかなか巧く使えない。
 言葉としては使いたい。でも、そんな恐怖は味わいたくないから、なかなか使う機会がないのだ。

 ただ、ぼくはこの「生きた心地」というフレーズが妙に気に入っている。何というか、「今という時間を生きている」というささやかな感覚を、それほど力まず意識させてくれるように思うのだ。
 いっそのこと、「生きた心地がする思い」という慣用表現があればいいのだけど、今のところはないらしい。でも言葉は生き物だから、遣い続けていれば世間に定着して、そのうち辞書にも載るかもしれない。

「生きているという感覚」を意識して表現しようとすると、ぼくらはついつい「生の喜びを享受する」とか、「我が身に流れる熱き血潮が」とか、無駄に気負った言い回しをしてしまう。
 でも、「生きること」は、多くの人が無意識にしていること。普段のことであり、日常のことでもある。だから「生きているという感覚」も、できれば気負わずに表現したい。
 その点、「生きた心地がする」は、「生の喜び」や「熱き血潮」よりも、ささいなことに泣いたり笑ったり怒ったりするような感覚を言い表していると思う。喩えるなら、「刻まれた『おでん』に腹を立てる」ような感覚だろう。

「刻まれた『おでん』は『おでん』じゃない」

 いきなり変な喩えをしてしまったけど、これには、ぼくの個人的な思い出がある。実際に「刻まれた『おでん』に腹を立てた人」がいたのだ。それが障害者運動家の花田春兆(しゅんちょう)さん(1926―2017)だ。

 春兆さん(と長らく呼ばせてもらっていた)は、日本の障害者運動の原点みたいな人物で、「内閣府障害者施策推進本部参与」や「日本障害者協議会副代表」といった公職を歴任した、業界の長老だった。
 肩書きはお堅いのに人柄は柔和で、重い障害(脳性マヒ1種1級)があるけど行動力にあふれていた。多才な人で、著名な俳人でもあったし、「障害者の歴史」をライフワークにした著述家でもあったし、大学の教師もしていた。愛妻家でもあって、父でもあって、祖父でもあって、とにかく多面的な人生を生き抜いた人だった。

 20代後半の約4年間、ぼくは春兆さんの「私設秘書」のようなことをしていた。こう書くと格好いいけれど、実質的には「弟子」とか「使いっ走り」のような立場。どこに行くにも後ろをついて回っていた。
 ある日、春兆さんが入居していた特別養護老人ホーム(特養)を訪ねると、いつもと少し様子が違う。なんだかこう、あまり機嫌が良くないのだ。その日、予定していた外出の用を終えて雑談をしていたところ、春兆さんがこんなことを言いだした。

「刻まれた『おでん』は『おでん』じゃないよな」

 どうやら、特養の食事で出てきた「おでん」が刻まれていたようで、それが納得できなかったらしい。普段は天下国家を論じる人の、人間味あふれる一面を垣間見た気がして、思わず吹き出しそうになったけど、でも、確かに真理をついた言葉でもある。
 そのあと、ぼくらは行きつけの居酒屋へと繰り出した。某有名大学に近い、格安のチェーン系列のお店。春兆さんも愛車の電動車椅子ごと入っていって、大きなアナゴの天ぷらをバリバリと平らげていた。
 ご本人はそのとき、確か80歳をいくつかまわっていたはず。いくつになっても、「美味しい」「楽しい」「嬉しい」を、満面の笑みで表す人だった。

介護現場の難問――食事を刻むべきか否か

 少し、「おでん」の事情を説明しておこう。
 特養では、介護を必要とする高齢者が生活している。中には歯が悪い人や、食べものを呑み込む力が衰えてしまった人も多い。
 だから、食事の際は食べやすさを考慮して、具材が小さく刻まれていたり、呑み込みやすいように「とろみ」がついていたり、という配慮がなされる。春兆さんに提供された「おでん」も、そういった事情で刻まれていたのだろう。

 ただ、そうはいっても、「おでん」のほくほくとした食感を味わいたいのも人情だ。長らく施設で生活していると、どうしても生活が単調になる。淡々と流れる一日の中で、食事は大切な節目だから、それなりに楽しみたいという人がいるのも当然だ。

 でも、入居者の中には認知症が進んだ人もいるし、身体の自由が利かない人もいる。食事の介助に職員の手が回らないこともある。そもそも「誤嚥(ごえん)」が恐ろしいことなど、介護現場では基本中の基本だ。

 そうだとしても、中にはまだ歯がしっかりしている人もいるのも事実で、そうした人は普段から、ある程度かたちのあるものを食べておかないと、すぐに咀嚼力も嚥下(えんげ)力も落ちてしまう。だから、日々の生活の、ちょっとしたことの積み重ねで、身体機能を維持していくことも大切だ。

 ――という具合に、いま頭に浮かんだ範囲で「おでんを刻むこと」への賛否を書いてみたけれど、この問題、実はなかなか解決のつかない難問かもしれない。

それでも、やっぱり食べたい

「おかずを刻んだら美味くない」という入居者に、「そう言わずに食べてください」と返す職員。こうしたやりとりは、もしかしたら、あちこちの施設で起きているかもしれない。
 職員さんは不測の事態が起きないように刻むのだろうけど、入居者が温かいものを美味しく食べたいと思うのも自然な欲求で、それ自体はとてもよくわかる。

 本来であれば、ひとりひとりの入居者に合わせて、それぞれ刻んだり、刻まなかったりするのが良いはずだ。でも、ご本人がどれだけ咀嚼・嚥下できるのか、丁寧に観察し、適切に対応する余裕のない施設もあるだろう。
 特に人手不足に悩まされる施設では、「ひとりひとりと向き合う」ことが、理念として大事なことはわかっていても、現実としてむずかしいこともあるだろう。入居者の安全に責任を負う職員としては、絶対に事故を起こしてはならないからこそ、少し過剰に思えても、予防的な措置をとらねばならないこともある。
 そうなれば、「おでん」は念のために刻んでおかれることになる。とりあえず全員分を刻んでおけば、誰にどの皿を提供するかという手数も省けるし、配膳ミスによる不測の事故も起こりにくくなる。

 でも、誰かに対して、こうした「先回りした配慮」や「予防的措置」を重ねることが、当人の気持ちを傷つけてしまうこともある。一個人である「○○さん」として扱われず、「注意が必要な高齢者」と括られてしまうことに抵抗感を覚える人もいるだろう。
 特に春兆さんは、「自分の意思」を大事にする人だったから、「食べられるか食べられないかは自分に判断させてほしい」という思いがあったはず。
 とはいっても、春兆さんは百戦錬磨の運動家。言うべきことは、はっきり言うけど、現場で忙殺されている職員を追い詰めるようなことはしない。むしろ、介助者・介護者をめぐる深刻な社会問題(人手不足・長時間労働・低賃金)を案じていた人だったから、職員を大事にしていたし、職員からも慕われていた。

 それでも、やっぱり食べたいものは食べたかったのだろう。だから、ぼくのような「弟子」を引き連れて、「飲みに行くぞ!」と憂さを晴らしたのだと思う。

「仕方がない」が切り捨てるもの

「美味しいものを美味しく食べたい」というのは、本当にささやかな欲求だ。「生きた心地がする」というのは、まさに、こうした欲求が得られたときの感覚なのだろう。
 でも、世間は時に、こうした感覚にさえ規制をかける。自分でできないのだから。万が一のことが心配だから。他人のお世話になっているのだから。だから、「おでん」を刻まれるのは仕方がない――という具合に。そして多くの人は、こうした時に「諦めてくれる人」のことを「思慮深い」「わがままでない」と評価しがちだ。

 たしかに、「諦め」は集団生活を円滑にするし、保護者や管理者を困らせない。でも、一度強いられた「諦め」は、更なる「諦め」を引き寄せる。
 今回の文章を読んで、「おでんくらい、どうでもいいじゃないか」と思った人もいるだろう。でも、「おでん」がどうでもいいとされたら、その次は、何が「どうでもいい」とされるのだろう。きっと、「おでん」に続く何かが「どうでもいい」とされてしまうはずだ。
 香ばしいコーヒーを飲みたい。きれいな花を愛でたい。気持ちいい風に吹かれたい。こうしたことも「どうでもいい」とされてしまうかもしれない。こんな「どうでもいい」が積み重なったら、そのうち、生きていることも「どうでもいい」とされてしまう。

生きることは、闘いだ

 さすがにそれは大げさじゃないか、と思われるかもしれない。でも、春兆さんは大正生まれ。戦前戦後の動乱を生きて、この国やこの社会が、「障害者に対して何をしてきたのか」を自分の目で見てきた人だ(第7回を参考にしてほしい)。
 障害者にとっては、「何かを願う」ことさえ反抗的とされることがある。「生きた心地」を味わうことさえ闘いになることがある。「差別」や「抑圧」は、何気ない日常が舞台となって、平凡な「生きた心地」が犠牲になる。春兆さんは、そのことを骨の髄まで知っていた。
 だから、「刻まれた『おでん』は『おでん』じゃない」という一言は、単なる「愚痴」や「わがまま」だとは思えない。ぼくには、どうしても思えないのだ。
 やっぱり、あれは一つ抵抗の言葉だったのだろう。自分の中の「生きた心地」を削られないための抵抗の言葉。飄々とした身振りで「抗いの言葉」を繰り出せるのは、春兆さんにとって、それだけ「生きること」と「闘うこと」の距離が近かった証拠だろう。

 冒頭に書いたような、「ささやかな願い」にさえ牙を剥くような風潮。戦争を知る春兆さんなら、きっと、猛烈に怒るはずだ。
「もんぺ」を履かないだけで「非国民」と罵られたり、「贅沢は敵だ」というスローガンが街にあふれたり、そんな時代と変わらないじゃないか。たぶん、そう言って激怒すると思う。
「非国民」「贅沢は敵だ」という言葉を吐く人の、同じ口から「(障害者は)米食い虫」「生きているだけで贅沢」という言葉が出てきたのだから。
 こうして「生きた心地」を削る言葉があふれたら、社会はどうなっていくのだろう。そんな社会は、きっと、生きた心地がしないだろう。

荒井裕樹
1980年東京都生まれ。2009年東京大学大学院人文社会系研究科終了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員、東京大学大学院人文社会系研究科付属次世代人文学開発センター特任研究員を経て、現在、二松學舍大学文学部専任講師。専門は障害者文化論・日本近現代文学。著書に『差別されてる自覚はあるか――横田弘と青い芝の会「行動綱領」』(現代書館)、『生きていく絵――アートが人を〈癒す〉とき』(亜紀書房)、『隔離の文学――ハンセン病療養所の自己表現史』(書肆アルス)、『障害と文学――「しののめ」から「青い芝の会」へ』(現代書館)がある。

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