見出し画像

この世に「しないといけない事」など存在しない

現代において人は「こうしないといけない」「これをしないといけない」という「しないといけない事」の為に生きている。

勉強や仕事、家事や子育て、その他雑用など、「これもしないと、あれもしないと」という言葉をよく聞く。

そのせいでしたい事はあるけどそれも出来ていないという人もたくさん見てきた。

「○○がしたいんだけど出来ないんだよね」と言う。「どうして?」と聞くと、「今の仕事しないといけないし」とか「お金稼がないといけないし」とか、「しないといけない事」のせいでしたい事が出来ていないという言い分がほとんどである。

しかし、僕は「しないといけない事」など存在しないと思っている。

人は自分の欲求からしか行動しない。

お腹がすいたらご飯を食べる、眠くなったら寝る、欲しい服があったら買う、という風に人は基本自分のそこに秘めている欲求によって行動する。

これはフロイト理論の主張に聞こえるかもしれないが、他の考え方にも通づる。

例えば、アルフレッド・アドラーの考え方の根幹にあるのは「劣等感」である。アドラー曰く、人は自分の劣等感によって行動していると述べた。

これも「自分をより良くしたい」という欲求によるものである。

B.F.スキナーやジョン. B. ワトソン、イアン・パブロフなどが確立した行動主義だって一見違うように見えて同じである。

行動主義では、我々のすべての行動は環境から学ばれるものであり、先天的な欲求や感情よりも大事なのは環境や学習であるという考え方である。

なので、一見欲求なんて関係ないように見えて、実はすべての生物の学習において重要なのは「こうしたい」「これが欲しい」「こうされたい」「こうなりたくない」などの欲求なのだ。

このように人は、人に限らず生き物は、自分の欲求を持ってしか行動しない。

例えば、「仕事をしないといけない」という人は、職と収入源を失いたくないという欲求があるし、

したくないのに「テスト勉強しないといけない」という子供は、テストで悪い点数を取りたくないだけである。

このようにすべての行動には何かしらの欲求があり、その欲求の裏には何かしらの恐怖が存在する。

例えば、職を失う恐怖や、テストで悪い点数を取って進級できない、卒業できない事への恐怖など、何かしらの恐怖が必ずある。

最近で言うと、コロナウイルスの影響で「外食に行きたいけど行けない」という人がたくさんいる。

僕からすれば、彼らは別に行きたくない人だと思っている。

「行きたいけど行けない」という人は、ウイルスに感染したくないという欲求、もしくは「この大変な時期に外食に行くなんて自分勝手だ、非常識だ」と思われたくないという欲求が行きたいという気持ちを上回っているに過ぎない。

つまり、感染への恐怖や周りの目への恐怖が彼らの行動の根源にあるという事である。

このように人は「したい」「したくない」という欲求でしか行動せず、その奥には必ず恐怖が存在する。

「こうしないといけない」「こうすべきだ」という考えに囚われ苦しむのは、その奥にある自分の恐怖と欲求を無視しているからである。

あなたの欲求は何なのか、あなたはどうしたいのか、考えてみると意外と行動は変わるかもしれない。

この世に「しないといけない事」など存在しない。


最後まで読んで頂きありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?