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人はみな、呪いにかけられている


呪いって、本当にあると思いますか?

例えばそれは、藁人形を思い浮かべるかもしれません。
誰にも見られないように怨念を釘打ちに込めて、他人の不幸を望むというものです。


呪いを定義づけると、「物理的手段を使わず、精神的(霊的)手段によって他者を不幸にすること」ということになります。

そんなもの、科学的ではない。ずっと昔の時代の話だろう。
そのように思うかもしれません。


しかし実際には、呪いはあちこちに蔓延っています。




いまの時代、最も身近に存在する呪いは「SNSによる匿名の悪口」だと思っています。

特に思春期の子どもたちと話していると、如何に皆がこれに翻弄されて過ごしているかを実感します。

どんなに「いやいや、SNSではこう書かれてるけど、実際に見たわけじゃないんでしょ?」なんて言ったって、駄目です。
だって、彼らにとっては目の前で起きている事じゃなくて、SNS上で起きている事の方が"裏の顔"であると同時に"現実"だからです。


つまり、「物理的現実よりも、精神的現実」が日常生活に重みを与えているというのは、いつの時代も変わりません。



私はSNSとしっかり距離をとっているから、大丈夫。
そう思う方々も、誰もがみな何かの呪いにかけられている可能性があると思ってみて下さい。

目の前の現実ではなく、その裏にある現実に縛られることはないでしょうか。


呪いのタチが悪いのは、それにかけられているかどうか認識しづらいところにあります。

誰が呪ったか(言ったか)分からない、時には誰に宛てたかも分からない呪いが周辺にたくさん存在している。
これは自分が呪われているのか?他の人が呪われているのか?
もしかしたら自分が被害的になっているだけなのか?いやいや、やはり誰かに不幸を望まれているのか?

こうした"曖昧さ"が、呪いの効力に拍車をかけます。


呪いにかけられていることに気づかないまま、ジワジワと締め付けられていった先には何があるのでしょうか。

それはまさに、精神的現実が物理的現実を侵食しきった時。つまり"裏の現実"が"目の前の現実"を消し去ってしまった時です。

精神的な死が現実の死に直結してしまうことだってあります。




呪いを解く言葉を作っていく


呪いにとって"曖昧さ"がキーとなるならば、その曖昧さが消えることが重要になるでしょう。
つまり呪いというものは、明確化された途端に効力を失い始めるということです。

自分がどんな呪いにかけられているか、つまり「誰かも分からないどこかの他者から与えられる、どんな精神的現実に縛られているか」を認識し明確にできれば良いわけです。

皆さんはどんな呪いにかけられているのでしょうか。




そしてもし、かけられている呪いが(有るのか無いのかさえ)特定できないとしても、大事なことはこれだけ。

「呪いは誰もがかけられ、誰もがかけている裏の(精神的)現実だが、目の前の(物理的)現実ではない」ということです。


そしてたとえ、かけられている呪いが(有るのか無いのかさえ)特定できないとしても、それを解く方法はこれだけ。

「呪いに対抗できうる祈りの言葉を、精神的現実に作り出していく」ということです。



(私のnoteも、祈りと思って日々書き綴っている面があります。誰が言ったか分からない、曖昧な祈りというのもまた、効力を持つと信じています。)

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