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あなたと創作すること

みなさん、こんばんは。禧螺です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


一昨日の半袖、涼しいルームウェアは、一体どこへ行ってしまったのでしょうか。

秋は夏があまりにも居座ったため、怒って季節を飛ばしてしまったのでしょうか。

私の地域は、冬手前くらいまで寒いです。


さて、私は今、あるフォロワーさんと共作を進めているのですが、そのやりとりの中で、深く眠っていた私の聲を聴きました。

「私、一人でも頑張ってみたいけれど、誰かと共に創造をしながらも、夢を叶えて、生きていきたい。」



💓

突然ですが、私は他の誰かと何かをするよりも、一人で黙々と創作をしたり、学習することの方が好きです。

人が嫌いなわけではないのです。

兄弟姉妹がいないので、一人で遊んで、一人で本を読んで、一人で創造して、そうすることが当たり前の環境で育ちました。

なので、一人ですることが苦になりませんでしたし、むしろ楽です。

選択も判断も行動も、全て自分一人でできるからです。


ですが、学校という社会をはじめに、自分の行動範囲が広くなればなるほど、一人でできることなど、限りなく少ないことを知ります。

その代わり、複数の似たような志を持った人たちとともに集まり、創造し、選択し、判断し、行動していくと、もっと大きな夢やワクワクを実現出来るということが分かります。

私は一人が好きだと言いつつも、みんなと何かをやってみたい気持ちは、多分、他の人以上にありました。

なので、みんなのやりたいことを、手伝う、一緒にするということををやっていきました。

こうしていれば、いずれ自分の番がくれば、自分のやりたいことも叶うと思っていたのです。


どこで間違ったのかが分からないのですが、私が手伝うことを当たり前に、命令してくる人、嫌な事のはけ口にしてくる人が多くなりました。

自分の手伝い・支援具合が足りないのだろうと思った私は、さらに頑張ります。

ですが、頑張れば頑張るほど搾取され、酷い扱いを受けます。

周囲にはバカみたいに頑張る私を見て、笑っている人もいました。

それでも頑張り続けて、その結果、こころが一度死んだのが、中学一年生の時です。


そこから、出来ないものが多くても、一人で全てできないといけないと思っていました。

正確に表現するならば「一人で全てできないと、怖い目に遭う」という感覚です。

自分で自分を守れるようにならないと、誰も助けてくれないし、頼れないし、そもそも助けて欲しいなんて言ったら、いじめの格好の的になるし、頼ったら酷い目に遭うと、ずっと言い聞かせて来ました。


みんなはみんなで、集まってすればいいけれど、私は絶対一人でいい。

一人でないと、怖くて何もできない。


そんな私が、今、誰かとの共同創作で得ようとしているものの1つが、遠い昔に封印した、自分の内なる気持ちでした。



💓

本来、そのフォロワーさんに絵を描いていただく予定だったので、普通に考えれば、私は待っているだけでもよかったのです。

頻繁に絵を掲載され、いろいろな絵柄を描かれる上に、さらに絵を描く技術を学ばれ、ご自身が成長される姿をありのままに見せてくださることからも、多くの方に応援されながら、夢に向かって一歩ずつ歩まれる方です。

こんな方から絵をいただけるなんて、いつもなら、舞い上がって、完成をソワソワしながら、ただ待っているだけです。

ですが、この時は違いました。


どうしてか、その方の製作風景とか、感想とか見ていると

「この人と共同で創作できれば、きっと楽しいし、何かを掴めると思うよ?自分が『もうできない』『手にすることも・体験することもできない』と諦めた何かが、掴めるかもしれないよ?」

という、気持ちの方が強くなったのです。

自分の中で「もういらない」と泣きながら諦めた気持ちが、とてもうるさく自分の中で響きました。

相手は、絵を本気で志す方です。

生半可な気持ちで、共同創作の話なんてできないと思いましたし、私自身が、また自分の判断に失敗して絶望することを、何としてでも避けたい気持ちがありました。


結果、私は「相手に提案してみたい欲」に勝てませんでした。

相手に、「一緒にやってみたいのですが、いいですか?」と聞きたい気持ちを、押さえられなかったのです。

かなり前から、何度も交流を重ねていただき、親しくさせていただいている方なのですが、

相手のしていることを、自分も一緒になって体感したい
”記事”という”表”では、見えない姿を見てみたい
この人を、さらに深く知ってみたい

と、この時は、より強く感じて、自分自信の行動抑制も無視して、相手に「一緒に創らせていただけませんか?」と、ダメもとで、お願いしてみました。



💓

現在、私はその方と、かなりの頻度で連絡を取り合いながら、共同で創作を進めています。

相手の方から、すぐに快諾いただけるとは思わなくて、一瞬、胸がいっぱいになって聲にならない聲を上げたのは、今だから言えることです。

それと同時に「こんなふうになりたかった!やりたかった!!」と、内なる自分は大喜びです。

こうして記事を書いている隣には、共同製作するための資料が散らばっていて、部屋がめちゃくちゃで、思考も複雑になっていくのですが、それでも、こころはとても幸せです。

またこうして共同に進めていっているうちに、

自分一人でもやりたいことはあるけれど、誰かとこうやって発信していくこともしたい

という、自分の聲が聴けました。

「一人がいい」と思うのも確かですが、そう言った裏では「私はみんなとしちゃだめだし、してはいけないダメな子だから」という気持ちを、無意識にオブラートに包んでいたのではないかと、思うのです。


一人で何かをする時よりも、いろいろなことを考えたり、試行錯誤する時間が増えるのですが、その過程でさえも、とても楽しいのです。

励まし合いながら、はしゃぎながら、褒め合いながら進んでいく雰囲気は、まるで、好きな人との文化祭の前夜祭のような気持ちです。

泣いてもいいし、出来ないと言ってもいいし、待っててもらえる。

その場所があるからこそ、「今日も頑張って進めよう」「より良い作品を作ろう」と、自分の中から、力がみなぎってきます。


この感覚を、捨てないでいてよかった。

諦めないでいて、よかった。

私との共同創作に取り組んでくれて、本当に本当にありがとうございます。


そして私は、今から、共同創作作品と向き合います。

私と相手が拓こうとする世界を、夢見て。



💓

トップ画像は 梨女様 からお借りしました!

ありがとうございました。


みなさんからのスキに、今日も幸せに過ごせます。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。


それでは、今日はここまでです。

みなさんが、素敵な夢を見られますように。



クリエイターの活動費として、使わせていただきます。 また、日本を中心とした、伝統文化を守り後世にも残して参りたいですので、その保護活動費としても使わせていただきます。