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アドラー心理学を学んで、生きやすくなる

数年前にもアドラーの本読んでたけど、育休中にまたアドラーを勉強した。前にも学びはあったけど、今回は前よりも理解が進んだと思う!

私は悩むことが多くて、もっと生きやすくなりたいと思い、アドラーを学び始めた。生きやすくなるために、アドラーを学ぶほか、カウンセリングにも通っている。

私は、自分の内面を観察して、価値観や考え方をアップデートすることが好きだ。だから、アドラーで新しい考え方を学んだり、カウンセリングで新たな視点を得たりすることは楽しい。

アドラーを理解するために、最近はアドラーの本を読んだり、アドラー心理学に興味がある人が集まるオープンチャットで会話したりした。

例えばオプチャで会話して、何か疑問に思った時は、本を読み直して理解しようとした。オプチャには色々な人がいて、他人の発言にモヤモヤ・イライラする時もあった。でも、そういう時こそアドラーを学ぶ良い機会だった。オプチャで心がザワザワする出来事があった時、どうしたら心が穏やかになるのか、アドラー的な解決方法を考えてトライした。

ちなみに、最近読んだ本を紹介!
『嫌われる勇気』が、数年前に初めて読んだアドラーに関する本だった。

最近読んだアドラーに関する本

・『勇気づけの方法』野田俊作
・『劣等感と人間関係』野田俊作
・『嫌われる勇気』岸見一郎、古賀史健
・『幸せになる勇気』岸見一郎、古賀史健
・『もしアドラーが上司だったら』小倉広

アドラーで学んだこと


今回は、アドラーに関してどんな学びがあったか書く。書く内容は、アドラーに関する私なりの解釈になってます。


・イライラしている時は、イライラで他人を操作しようとしている。

以前から、夜遅くなるとイライラしてしまうことが多々あって悩んでいた。アドラー学んでから、イライラすることで、私は旦那にしんどいアピールをしているのだと思った。
旦那に「私がぜんぜんイライラしてなくて元気そうでも、お願いしたら助けてくれる?」って聞いたら、今までもこれからも当然助けるよって言ってくれた。だから、イライラする必要はないんだなって気づいた。

また、カウンセラーさんからは、私がイライラすること自体にストレスを感じることに関して、「イライラでストレスを発散することもあるし、必ずしもイライラが悪いわけではない。」と言われ、まぁ少しくらいイライラしてもいっか~くらいに思えるようになった。

最近は、イライラするのもしないのも、自分の自由、好きな方を選べばいいって思うようになった。なんだか、前よりイライラが減った気がするし、イライラしてもそれほどストレスに感じなくなった。

・不安な気持ちに対処することが少し上手くなった。

不安な気持ちでいることには理由がある、つまり自分で不安になることを選んでいる…という考えがしっくりきた。アドラーでは、人は目的があって「怒り」の感情を使っているという考えがあるが、それと似た考え方だと思う。

これまで、環境や周囲の出来事、また私の(変えられない)性格や脳の仕組みによって、不安な気持ちが引き起こされていると思っていた。だから、私の周囲の問題が解決しないと不安は収まらないし、なんなら不安が収まることは無いと思っていた。

実際、不安になりやすい性格や脳の仕組みなども関係あるかもしれない。
でもアドラー学んでからは、不安であることを自分で選んでいる側面もあるのではないかと思った。一見不安であることにメリットは無いようにみえる。でも、例えば不安がっていることで、旦那や周囲の人に気遣ってもらえたり、不安から身体的にもストレスがかかることで、仕事をセーブすることができたりする。不安であることにも、少しメリットを感じていたと思う。不安であることで自己防衛をしている…的な。

そういう対処をしていた自分も悪くないけど、やはり不安でいることはしんどいことの方が多いので、不安を辞められるなら辞めたいと思った。アドラーを学んでからは、自分の意志で不安をやめるという選択ができると思えた。不安な気持ちで過ごしても、楽しい気持ちで過ごしていても、結果は変わらないのであれば、楽しく過ごしていた方がいい…そう思えた。

実際に、最近咳がひどくて夜に眠れない時があった。前なら、不安やしんどい気持ちでいっぱいの辛い夜を過ごしていたと思う。でも今回は、どうせ眠れないなら、楽しく過ごした方がいいと思い、温かいお茶をいれて、少しゲームをしてみたり、パソコンをかまったり、瞑想したりして穏やかに過ごせた。

前よりも、不安な気持ちに対処するのが上手になったと思う。不安でいても良いけど、不安をやめることもできるから、安心だ。

・自分が正しい、相手が間違っている…という考えだと話が進まない。

他人と主張の食い違いがあった時に、自分が正しく相手が間違っているという前提で自分の主張を通そうとしても、話が進まないと思った。それぞれに正しさがあるのだろうし、相手の立場を想像して、相手に共感して、相手の主張を理解するように努めたいと思った。共感も簡単ではないけど、できるようになりたい。それぞれの主張を踏まえて、じゃぁどうするかって考えたい。

・可哀そうな自分、悪いあなた…ではなく、これからどうするか

これは割と以前から、そういう考えを持ってきたつもりだった。愚痴を言ったって根本的には解決しないよね…とか。でも意外と、ふと気がつけばこの考え方になってたりした。

先日、赤ちゃん連れで母とイオンに遊びに行った際に、母にイライラしていたことがあった。その時に、可哀そうな自分、悪いあなたになっている自分に気が付いた。また、私が言わないでも察してくれて当然…みたいな考えを持っていることにも気がついた。

その時のことを振り返る。
普段イオンに遊びに行くと、旦那や旦那の妹さんは、赤ちゃん連れの私を気遣って色々と助けてくれる(感謝)。だから当然、母も私を気遣ってくれると勝手に期待していた。
実際は、母が自分の用事を済ますことに集中しており、私が期待していたほどに気遣ってもらえなかったので、イライラしていた。
でも途中で、自分の考え方がアドラー的でないことに気が付いた。助けてほしかったら、母に助けてもらえるように相談する。イライラして母を変えようとするのではなく、どうしたら自分が穏やかに過ごせるか考えて行動する。母が期待通りに動かないからと腹を立てても、自分が苦しむだけだった。

でもその時は、赤ちゃん連れの私を気遣わないなんて、母はひどい…(可哀そうな私、悪いあなた)と本気で思ってた。笑
まだまだ、そう思ってしまう場面は多いけど、少しずつ変えていけたらいいかな~

・貢献感があればいい。相手のためにできたと本気で思えるならいい。

相手のために何かをしようとした時、相手にどう思われるかを気にして行動できなかった
例えば、のどが渇いてそうな相手に対して、お茶をいれましょうか?と聞くような場合。
お茶を入れましょうか?と聞くときに、相手がどう反応するかは、相手の課題であって、自分がどうにかできることではない
相手のために行動できたと感じることが、自分が幸せに生きるために大切だという感じ。

まとめ

アドラーの本は、何度も読んで少しずつ理解を進める感じ。アドラーの考え方を取り入れることで、生きやすくなってきた気がする。アドラーがすべてではないと思いつつ、今はアドラーにハマっているので、いろいろな場面でアドラーを思い出している。アドラーを他人に押し付けないよう気を付けたいけど、自分が生きやすくなるような価値観のアップデートをするのは楽しい。

また、自分にも他人にもおおらかになれるような気がする。アドラーでいう自己受容が少しずつできてきたおかげで、以前より他人に対しても優しい気持ちでいられる。完璧じゃない、できないことが色々ある自分も大丈夫って少しずつ実感しつつある。どんな自分でも、生きてるだけで価値があるって心から思えるようになったらいいな。だいぶそう思えるようになってきたから、今はそれで十分かも。

パソコンで書いたら長文になったな〜。
読んでいただき、ありがとうございます。お互い素敵な日々を過ごせますように〜!

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