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盲信的な人達の怖さ

価値観とは実に様々。
人の数だけ考え方がありその違いを認め合わない事により争いが生まれる。
宗教なんてそのいい例。
良い悪いではなくそれを信じているという事実。ただそれだけ。
でも自分が信じている物が正しくてそれ以外は間違っている、悪だ!と考える人達がいる。
だからこそ布教活動をしたり他の考えを否定したり攻撃したりする。

私はそういうの好きじゃないんだな〜。

毎日お祈りしてる人だって不幸な事は起こるし何も信じてなくても幸せな人もいる。
心の拠り所という意味ではいいかもしれない。
けどそれは他人を否定していい、という事には繋がらない。

これは宗教に限らない。どんな分野でもだ。

仕事でも子育てでも日常でも自分が信じる物は広めたいし周りにもそれを理解してほしいという気持ちはわかる。
でもそれは相手次第だし相手が全く賛同しないからと言ってその人が悪人かというとそういうわけではない。

それがタイトルにある盲信的な人達の怖さ。
だって人を受け入れないって事だから。
私の知り合いにも盲信レベルがやばすぎる人がいる(いた)。普通の会話が成り立たない。会話の全てが「自分が正しい」ベースなので相手を否定する事しか生まれない。

そういう意味では日本人は良いバランス感覚を持っていると思う。海外から見たら信仰心が薄いと思われるかもしれないが実際に私は実家が仏教、学校はキリスト教、現在は無宗教。
家に仏壇や神棚は無いし私が死んだら海に散骨してくれと家族には伝えてある。

「私のお墓の前で泣かないで下さい」っていう有名な歌詞があるけど私はまさにそういう事だと思っててお墓はその象徴であるだけで魂はそこに居続けるわけではないしいつでもどこにいてもご先祖様の事を心で思えば魂は繋がれるし私の話に耳を傾けてくれていると信じている。

話が逸れたので元に戻して実際にあった話をいくつか。

とある宗教の熱心な信者がいて私にちょっとしたアクシデントが起こるたびに(電車に乗り遅れたとか転けたとかどうでもいいような事)「あなたはには悪魔がついている。お祈りが足りない。◯◯教を信じるべき。」みたいな事を言われる。転けただけで悪魔の仕業、、、、、
今はもうとっくにその人とは縁が切れているが結局会う度にそんな話に持ってかれたら日時会話が成り立たないしそもそも全然楽しくないし話すのが苦痛。で、自然消滅。

昔の友達にワクチン陰謀論者がいてコロナのワクチンは絶対打ったらダメっていう連絡が来た。私はワクチンが効くか効かないか毒なのか毒じゃ無いのかという話をする前に人に強制してくるという行為自体が嫌いでそういう人に限ってしつこく何回も言ってくる。なぜダメかっていう書類やお医者さんの見解とかをたくさんファイルで送りつけてくる。打ったら死ぬからレベルまで飛躍してもうそれ以降こちらから連絡しなくなった。人間には選択権がある。そして考えれる生き物だ。間違った情報もたくさん溢れる中で私は自分の直感を信じて生きている。
だから自分の選択を人のせいにしないし万が一それで悪い結果になっても「あの人がそう言ったから」とは思わない。そしてそのしつこく言ってくる知り合いの人格を否定してるわけでもない。その人はそう考えている、という事実。ただ、私はちょっとしんどいなと思ったから離れただけ。

みなさんの周りにもこういう人達いませんか?

そしてそういう人達ほど日々それに対して一生懸命で幸せそうに見えない(涙)。

私から見ると頭がイバラのツルでぐるぐる巻きにされてるように見える。

もうちょっと楽に生きればいいのに、そのがんじがらめな思考を解放してあげればいいのに、って思っちゃう。

あなたは盲信的になってないですか?
息苦しくないですか?


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