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「日本のほうが幸せ」という人の属性について考えてみました

何年か前から定期的に「日本の生きづらさ」をネタにした記事を目にします。

心の中で「そうだ!そうだ!」と共感している人もいれば、いい加減にこの手の話にはウンザリという人もいると思いますが、こういう“日本生きづらい系”の記事が時々出てくるいうことは、やはり実際に「生きづらい」と感じている人がそれなりにいるということかもしれません。

私自身は外国人として日本に45年以上も住んでいますが、私にとって日本はむしろ「生きやすい国」だと感じています。

というのも、私にとって大事なことは「買い物や食事、交通の利便性」と「公共の場所におけるトイレの清潔さ」であるため、その点日本は間違いなく世界トップレベルです。(というか世界ナンバーワンです)

例えば上海に行くと「買い物や食事、交通の利便性」は東京とそれほど違いはありませんが、「公共の場所におけるトイレの清潔さ」は完敗です。

アメリカに至ってはどっちも負けていますので、アメリカには旅行で行くのは良くても長期的に住もうとは思いません。

まあ私はどちらかと言えば「ハード面」を重視しているのですが、社会のシステムといった「ソフト面」を重視する人にとっては事情は大きく変わります。

というのも「日本の生きづらさ」はほとんどが「同調圧力の強さ」や「出る杭を打つ文化」といった「ソフト面」にあるからです。

日本の「ソフト面」に着目したとき、それでも日本のほうが住みやすい、日本のほうが生きやすい、という人も一定数いらっしゃるかと思います。

そこで「日本のほうが幸せだ」という人の属性について考えてみると、個人的には次の2つではないかと思っています。(あくまで個人的な仮説です)

1つ目は「生粋のマジョリティ」です。

要は根っからの”普通の人”で、自然に過ごしているだけで周囲から浮かないような人です。素の自分がその他大勢の他人と大きく違わなければ、無理に他人に合わせて生きるようなストレスもありません。

”普通の人”でも十分幸せですが、これが根っからの”優等生“になると最高です。何をやっても人より少し優れており、決して過ちを犯さないような人は日本では幸せに暮らしていくことができます。

2つ目は「マイノリティであることを気にしない人」です。

日本にもたくさんのマイノリティが住んでいますが、自分がマイノリティであることを気にしなければ周囲から浮いていようが、一人だけ違うことをしていようが本人は幸せに過ごせます。

こういう属性の人はそもそも「マジョリティ側に合わせよう」という発想もないので、同調圧力なんてものを感じることもありません。

周囲がいくら「あの人は変だね」と言っても本人が気にしなければ問題ないわけです。


この仮説が当たっているかどうかはわかりませんが、個人的な肌感覚としてはそれほど違和感はありません。

ということは裏を返せば「日本は生きづらい」という人の属性は「本当はマイノリティなのに、無理にマジョリティ側になりたい」という人かもしれません。

本来の自分を押し殺して周囲に合わせようとするからストレスになるのであり、無理をすればするほど辛くなるというわけです。

ただ難しいのは「じゃ、マイノリティであることを受け入れれば?」とは言えないということです。

本人が「普通の人になりたい」と思っている以上、そこを否定しても本人にとっては解決にはなりません。

結局のところ、本人が何かのきっかけで「別に自分は普通の人にならなくてもいいや~」と思わないかぎり、生きづらさの解消は難しいのかもしれません。

個人的には日本でも「普通の人になる気ゼロ」という人が増えていくといいなとは思っていますが・・・

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