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村上春樹 / 色彩を持たない多崎つくると、彼と巡礼の年

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たまには読書感想文もいいかな、と思ったから書きます。読みたければ言ってくれたら貸します。

お気軽にどうぞ。

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大人になっていく段階で
僕達はいろいろなことを経験する。

傷ついたり、嬉しくなったり、
誰かを妬んだり、怒ったり。

日々経験していく全ての物事から、
僕達はあらゆることを学習する。

そして、それらの経験を基に、
少しずつ自分の人格というものを作り上げていく。

何か嫌なことがあれば、
次からはもう傷つかなくてもいいように、
自分を庇うために動くように。

そして須らく、
ある程度の時間が過ぎれば、
僕達が何度も『学習』したものは、
自身の『無意識下』へと連れていかれる。

忘れたように自分では思っていても、
自分に深く刺さった棘が、
自身の実態のない中核へと容赦なく、
しかし音もなく突き刺さり、
今も自分の心の奥底で血を流しているかもしれない。

その『何か』は、
自分の中で現実を解釈する前の段階で、
光の屈折を調節するレンズのように、
外界から自身の中へと入ってくるあらゆる物事を
歪めてしまうかもしれない。



僕達は必ずあらゆる物事において
段階を踏まなくてはならない。

その踏むべき用意された段階を飛ばした人は、
必ずその踏み飛ばした段階に足元を救われる。

必ず、向き合わなくちゃいけない。
必ず、段階を踏まなくてはならない。

自分の中に、何があるのか。
自分とは一体、何なのか。

痛みを伴いながら、
孤独に、静かに戦わなくちゃならない段階がある。

自分の中で『何か』が歪んでいるということを
まずは認め、向き合わなくてはならない。

ずっと向き合ってきたようで、
目を逸らし続けてきたものに、
僕は向き合わなくちゃならない。

僕もまた、何かの途中にいる。
僕は乗り越えなくてはならない。

そうだ、父さんに会いに行こう。

※作品の内容は自分で調べるか読むかしてみてください。
この文章はあくまで僕がこの作品を読んで
感じたことを書いています。

(若干作品の影響を受けてはいますが)

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『オススメポイント』

この作品は、子供ともいえず、
大人になる勇気もなく、
しかし生きていく中で避けることが出来ない
あらゆる痛みを経験した人に、
大人になる一助を与えてくれる作品だ。

あるいは、
大人として生きていく中で傷つき疲れた人達が、
少し羽を休めにくる停留所のような役目を
果たしてくれる作品とも言えるかもしれない。

ずっと向き合えていなかったことに、
向き合う勇気をくれる作品と言えるだろう。

僕はこの作品にこのタイミングで出会えたことに、
凄く感謝したい。

正直、村上春樹さんの作品は
今の僕には理解を超えることが書かれていると
感じることが少なくない。

だから、作品による好き嫌いというか、
好き度合いは変わってくる。

でも、20年,30年と共に生きていくような
作品ばかりだと思う。

小説に限らず、
文章を書き始めてから意識して
『文豪』と言われている人達の作品を読んできたけれど、
やっぱり、本物の作家が書く作品は違う。

(村上春樹さんは現役で活躍している方なので、『文豪』と言うのかは分からないけれど、、)

とにもかくにも、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』読んでみてね。





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