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△の花火

僕たちがいつ出会ったのか思い出すことはもうできない。


いや「出会った」というよりかは「マッチした」のが正しい。


でも、いつ出会ったのかは思い出せなくとも「君」がいたことは確かだ。


僕は花火を見るたびに「君」を思い出す。


最初で最後、僕たちが紛れもなく出会った日、まるで歪な花火がドオン!と上がり、輝き、そして跡形もなく散っていった日を。


***


 大学の単位もほぼ取り終えて、就活も終了し、1か月後に提出する卒論もやっと目処が立ってきた頃、僕はあと数か月しかない学生のうちに羽目を外したいと思っていた。
 というのも今まで特に大きな失敗をすることもなく、かといってなにか成功した人生でもなく、平々凡々な人生だったのだが、「大学生」という免罪符があるうちに、武勇伝でも作ってやろうじゃないかと思っていたのだ。
 僕は早速行動に移そうと、いわゆるマッチングアプリというやつをダウンロードしてみた。男性だけ課金しなければならないことに驚いたが、これも羽目を外すためだ。長ったるいプロフィール設定も終わり、いざマッチング。ほうほう、これが右スワイプか、と適当に左右にスワイプする。

 しばらくして重加工が施された顔を見るのに飽き飽きしてきたころ、空の写真をプロフィール写真にしている子を発見した。珍しい。自分の顔を載せていないなんて。もしやよっぽどのブスだったりして。でももしマッチしてブスが来たとしても、それはそれで話のネタにはなりそうだ。なんとなく右スワイプをした。
 そうして君からメッセージが来たのは1週間後のことで、僕がすっかり君のことなんて忘れた頃だった。


***


「はじめまして。空白と申します。マッチングありがとうございます。」

 面接先の会社に送る文章みたいに丁寧な返事が返ってきていた。何人かの女性とメッセージのやり取りをしていたが、こんなたくさんの女性と連絡を取り合う経験は初めてで疲れてしまっていた。というか、みんな陽キャすぎる。正直ついていけない。マッチしてから「会いましょう」までの距離が短すぎる。僕は長距離走者なんだからもっとじっくり時間をかけてやりとりをしたい。
 そのなかで輝いていたのがその取引先に送るみたいなメッセージだった。僕は同じように丁寧に返信をした。

 やりとりの中で君はいろいろなことを教えてくれた。同い年なこと。違う県に住んでいること。編集者になりたくて就職先は大手出版会社になったということ。ウサギが好きで飼っていること。話していると居心地がよく、君が優しくてどれだけ繊細なのかが分かった。

会いたい。

そう思ったけれど、君は数百キロ離れたところにいたため、なかなかその言葉が出ずにいたところ、ちょうどタイミングよく僕が住んでいるところに来る用事ができたというメッセをくれた。

「会いませんか。」

 絵文字なんてないメッセージのやり取り画面にそう送信した。


***


 その日はちょうどクリスマスイブの前日で、港で花火大会がやっていた。「花火見に行きませんか。」と誘ったところ、君は快く返事をしてくれた。
これって果たしてデートなのか。お店とか予約したほうがいいのか、と思っていると「ちょうどクリスマス前で安かったんで。」とカジュアルなディナーを予約してくれた。
 あの時の僕は男として失格だと思う。

 当日、駅前で待ち合わせをしていた僕は「めっちゃブスが来たらどうしよう」と少しだけ焦っていた。そもそも僕にとって羽目を外す=恋人でない人とのセックスだったし、メッセージのやり取りでは好印象の君だったけれど、「タイプの顔でなかったら食事だけして帰ろう」とクズ男っぽいことを思っていた。
 けれどそんな心配は必要なかった。ゆるゆるニットにひざ下のタイトスカート、ロングコートにヒールの低い靴という装いで来た君はバッチリ僕のストライクゾーンまっしぐらだったのだ。

 挨拶もそこそこにさっそくディナーへ向かった。正直味がしなかったが、君は文面通り、丁寧で優しくて、そしてかわいらしい人だった。僕はセックスとか関係なくもっと話をしたいと思った。

 会計を済ませ店を出て、これからどうしようかと頭をフル回転させて歩いているとドオン!と大きな音が響いた。「そういえば花火大会でしたね。」と君が言った。

そうか。とひらめいた。

「花火が見えるところで休憩しませんか!?」

君はびっくりした顔をして、そして小さく頷いた。


***


 結論から言えば、花火が見えることを打ち出しているラブホテルはいくつかあった。僕はしどろもどろになりながら空いているホテルを探した。
 花火大会の会場から何分か歩いたところにあったのでこそこそとロビーに入り、部屋を選ぶ画面を見ると、『花火の見やすさ △』の部屋しか空いていなかった。「△しかありませんね。」と君は言った。◎や〇の部屋もあるのにどこも埋まっていたのだ。僕は花火大会の傍らでセックスして楽しんいでる大人たちが意外に多いことに驚いた。

 部屋に入ると君はすぐさまベッドに寝っ転がり「疲れたー」と大の字になった。家の中でしか見せられないような姿に僕はときめいた。「疲れましたね。」と僕もベッドの脇に座る。ここからどうしよう、と悩んでいると、ふと唇と唇が触れ合った。

 脳がフリーズして僕は固まった。
 そのうち柔らかいものが口の中へと侵入され、君の香水の匂いがふわっと香ったころ、僕は君をベッドに押し倒していた。


***


 そのあとのことはあまりもう思い出せない。△の部屋で花火を見たのか見ていないのか。行為が終わると僕は急いでお金だけおいて君が眠る部屋から出て行ってしまった。
 夢からさせた後のようにふわふわした感覚、そして後悔なのか罪悪感なのか胸の奥がヅンと痛い。
 これが羽目を外すということか。
 別のことを考えようとどれだけ頭を振っても、君の顔はしばらく頭の中にちらついていた。初めて見た笑った顔も、おいしそうにご飯を食べる君も、快楽を感じる顔も、僕は忘れられなかった。


***


 その翌日のクリスマスイブ、僕は彼女と駅中を歩いていた。
「私やっと卒論終わったの。そっちは終わりそう?」と話しているとドオン!と音がした気がした。振り返ると、忘れようとも忘れられなかった君が知らない男と一緒に歩いていた。
 君も僕を見たが、「知り合い?」という隣にいる男の問いに「知らない人だよ。早く家に帰ってケーキ食べよ。」と腕を組んで人ごみの中に消えていった。

「ねぇねぇ、知ってる人だった?」と彼女に肩を叩かれ僕はハッとし、「知り合いに似てただけ、行こう。」と彼女の手を握った。


ドオン!


また音が聞こえ、歪な△の花火が上がった気がした。


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