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【きまぐれ更新】Leony letter

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こんにちは、親愛なるnote住人のみなさん。 きまぐれ更新のLeony letterです。 宛名のないお手紙を書くような気持ちで書いています。よかったら覗いてみてくださいね。
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記事一覧

夢

小さい頃からものすごいリアルな夢を見ることが多々あった。そして齢24になった今もいまだに生々しい夢を見ることが多い。最近はその夢の密度が高すぎて困っている。ひと晩に2つ3つ、全く違う内容の夢を見ることはザラで、夢の中で夢を見ることもある。あまりの強烈さにその夢の内容や交わした言葉、話した人たちの表情まで全部記憶に残ってしまうので、起き抜けからどっと疲れていることが多い。

特に今週はひどい。夢の中

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抱擁

抱擁

ハグが好きだ。きっと言葉という手段のその次に。

帰省をすると、私は母親とよくハグをする。
何も言わずに母親の胸元へいけば、無条件に腕を開いて私をだきしめる。いつでもあたたかくて、いつでもやわらかい場所。世界で1番の場所。何度も抱かれて、何度かは叩かれたこともあるむちむちとした腕で、そっと頭を撫でてくれる。

ハグをする時だけ、小刻みに揺れつづけている振り子のようなものがぴたっと止まる。それが何か

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鯨

今日、予期せず実物大のシロナガスクジラの模型を見た。
クジラを見たのはおそらくは人生ではじめてのことだ。

クジラはあまりにも大きい。

公園の片隅、建物の奥へ進まないと見えないところに隠されているクジラは、遠くから見ると地上を離れる寸前の飛行船かのように大きかった。そのあまりの大きさに比べると、人間は実にちっぽけな存在だ。体も小さいくせにこの世の全てを知ったような気になり、せまいせまい世界で一時

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華金

華金

少し前に明け方のタクシーで同僚を前に盛大なリバースをするという悲惨な事件が起きてから、まるで人が変わったように飲酒スタイルがおとなしくなってしまった。あの一件で、私の酒文化の何かが確実に入れ替わったと思う。きっと私の中の古くなったものも一緒に吐き出したんだと思う。

それこそ頭を打って人が変わってしまうみたいに(ちょうどいま吉本ばなな師匠の作品でそういう内容の小説を読んでいる)、あんまり無理をしな

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鎖

頭の中で言葉が大量に・常に浮遊している。というか、口を開かず1人ですっと何かのお喋りをしているといったほうがいいかもしれない。常に言葉が流れている。ニコニコ動画のように。
何かを見たり聞いたりしても、どうやら私にはそれを即座に全て言葉に置き換えて認識したり解釈しようとする癖があるらしい。精度はさておき、何かを言葉以外のもので表現したり理解することは、私にとってはほぼ不可能かもしれない。それはつまり

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溺愛弟

溺愛弟

16年前の今日は、気持ちの良い秋晴れの日だった。

空は文字通り高く、気温はすこしだけひんやりとしている10月のなかば。さみしいような、清々しいような朝に目覚めてすぐ、

「弟が生まれたよ」

と父親から聞かされたのが最初だった。

8歳下の末の弟が生まれたのは、
もっと言うと彼の人生がはじまったのは、そんな日だったのだ。



生まれたてのゴミひとつ付いていないベイビーが、土や風にもまれながら

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黒髪

黒髪

気づいたらいつも黒髪ロング、前髪なしのスタイルだ。

どんなに髪を切っても、染めても、今ふうの小洒落た前髪をつくっても、必ずここへ戻ってくる。(なんかの呪いか?)
昔はここから抜け出したくて、オール金髪にしたり量産型茶髪にしたり色々と逃れようとしてはみた。でも気付けばこのスタイルに落ち着いてしまうので、もはや努力をすることに疲れてしまった。だって絶対に連れ戻されるんだもん。

記憶がある頃から私は

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料理の時間

料理の時間

人間は「料理」という行為から離れられないような気がする。というかほんとうは、離れてはいけないはずだ。自分が口にするものを、自分で火に通す。自分で焼いて、自分で味付けをし、自分で更に盛る。めんどうで、果てしなくて、永遠とつづくループのように感じられるこの作業から、どんなに頑張っても私たちは逃れられることはできないと思う。いろんな悩み事や考え事、頑張りごと、うれしいことは、すべてその上に成り立っている

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カレーぎらい

カレーぎらい

小さい頃から、カレーという食べ物が好きになれない。

理由はもう明確で、昔からカレーが出てくる日は母親が究極に疲れているというサインになっていたからだ。我が家でのカレーは「最高の手抜きメニュー」。母が限界を迎えている時のメニューなので当然具もすくなく、いっしょに食べる母の疲労感もすごく、母が暗いので家全体も暗い。とにかくカレーの日には良い思い出がない。

家庭以外でも良い思い出がない。小学校の頃に

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Twitterという名のオンライン弔い

Twitterという名のオンライン弔い

知った人や思いいれのある著名人が亡くなるたびに、私はTwitterで弔いの言葉をつぶやくかつぶやかないか、100回ほど迷う。下書きに入れて書いては決して、「投稿」ボタンに触れるその瞬間まで迷う。ギリギリまで迷っておきながら、私は1回も弔いのツイートをしたことがない。

Twitter上でおくやみを申し上げようとするとき、私にはなぜだか広島で毎年8月6日の夜に行われる灯籠流しの光景が思い浮かばれる。

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秋空オムニバス

秋空オムニバス

*ともだち

大学を卒業して、社会人になって疎遠になって、「友達」という名の友達がついに消滅した。それで悲しいかと言われると意外とそうでもなく、なんなら夏が終わっていま、秋空になってからようやく「あれ、私っていま、ひとり……?!」と気づくくらいの鈍感さ。

よく、「周りにいる5人で自分の人生が決まる」なんてたいそうことを言う人がいるけれど、まず周りにいるのが5人もいないケースが多いんじゃないのだろ

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8末オムニバス

8末オムニバス

*広島に帰ってきている

幼少期からたくさんの時間を過ごしてきた自室は、帰ってくるたびに小さくせまくなっていく。私の体は大きくなり、その部屋でやる作業も、考えることも、まるっきりちがうものになっている。同じ空間にいるのに、どんどんこの場所から遠ざかっていく。そのことに昔はせつなく名残惜しく感じていたけれど、そんな感傷も今ではだいぶ消え失せてしまった。

PCのキーボードを叩く目の前には、色褪せた5

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雑草

雑草

なんか書きたいなーと思い、おもむろにここへやってきた。なんか書きたいけどいちばん書きたいことはいつも書けないままだ。そのちょっとした息苦しさにはもう慣れた。いちばんじゃなくていい、2番目に書きたくなるものを、なんか書きたい。

近所の空き地の雑草たち

てことで、今回は雑草について書きたい。

家の近くに、ほぼ同じタイミングで更地になった場所が2つある。
もともと人が住んでいた場所で、ひとつは立派

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お盆オムニバス

お盆オムニバス

ハローいとしき隣人のみなさん。ご機嫌いかがですか。

台風と線状降水帯がヴァカンス中の東日本を悠々とまたいでゆき、うっかりpcを開くと、ちりつもになった明日からの現実がフラッシュバックしてきて、胸焼けがしてます。

例のごとく、数千字も書く体力のない話題をかき集めたオムニバスを書きました。これをもって私からの近況報告 兼 残暑お見舞いということにいたします。みなさま、お体にはどうぞお気をつけてお過

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