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新しい「ミーン・ガールズ」を観て考えた、ポリコレとレプリゼンテーションについて

突然だけど、私、アメリカやイギリスの学園ドラマに目がない。

豪邸でのはちゃめちゃなパーティーシーンとか、恋愛の三角関係とか、自分の高校・大学生活とかけ離れているし、この手の映画やドラマは似たようなプロットが多いけど、no-brainer(頭を使わなくても楽しめる)って感じで息抜きに実はよく観ている。

そんなキラキラアメリカンハイスクール映画のひとつ、「ミーン・ガールズ」。2004年に公開された、リンジー・ローハンが主演の映画。

その後アメリカではミュージカル化され、そのミュージカルからインスピレーションを受け、元の「ミーン・ガールズ」とプロットはほぼ同じでリメイクされた映画が今月アメリカやイギリスで公開された。(日本では今のところ公開の予定が決まっていないみたい)

こういう時に必ずと言っていいほどネットで話題に上がるのって、「どうせオリジナル作品を超えられないんだから、映画を台無しにしないでほしい」とか「ポリコレが行きすぎて、単なるエンタメがどんどん面白く無くなる」みたいな意見。実際にミーン・ガールズに対しても賛否両論が見られたので、自分なりに両方の映画を観て考えたことを書いてみる。

ちなみに、新しいミーン・ガールズの予告編はこちら。

そもそもポリコレってなんだっけ

そもそもポリコレとはポリティカル・コレクトネスの略で、以下のような意味。

ポリティカルコレクトネスは英語では「Political Correctness」と書き、「PC」や「ポリコレ」とも略されます。一般的には「非差別的な言葉づかい」という意味があります。
1980年代頃のアメリカで生まれた言葉で、偏見や差別に起因した表現や認識を改めるための概念を指します。とくに人種や性別、文化、年齢、職業の多様性を認め、中立的な表現や用語を用いらなければならないとしています。

出典:indeed

要は、昔(と言っても20代半ばの私が生まれる前とか、幼い頃とかも含めて)作られた映画は当時の差別的・偏見的な風潮が反映されていて、今の私たちが見ると多様性に欠けていたり、差別用語がセリフに使われていたりすることがよくある。

実際に2004年公開のミーン・ガールズも、メインの登場人物が白人ばっかりだったり、障がい者に対する差別用語が出てきたりと、ストーリーは面白いものの見ていて不快に感じるシーンもあった。

「私みたい」な人をスクリーンで見るということ

最近はポリコレを意識した作品のリメイクや、新たな作品の公開が増えている。実写版「リトル・マーメイド」でアリエル役を黒人の俳優が演じていたり、ドラマでトランスジェンダーや多様なセクシュアリティのキャラクターが登場したり。

正直、それに対して「やりすぎじゃない?」っていう意見も分からなくもない。というのも、ものによっては「制作側も、ポリコレの批判を避けるために表面的に多様性を打ち出そうとしたんだろうな〜」みたいな薄っぺらさが透けて見える(と私が解釈する)作品も散見されるから。

でも、私はメディアやエンタメにおけるレプリゼンテーションの力を信じているし、次の世代の教育のためにも「差別を当たり前にしない」、言い換えると「多様性を当たり前にする」ことは必要不可欠だと思う。

※レプリゼンテーションとは、下記参照

“representation”という英語には直訳すると「表現」や「代表」という意味があるが、近年使われているレプリゼンテーションの意味は、映画やドラマ、広告、メディア、政治、スポーツなどさまざまなシーンにおいて、社会に存在している多様性が適切に表現されているかということ。

出典:FRONTROW

今この瞬間に時代の変遷の中で生きている私たちからしたら、昔の映画を観ながら「今はこの言葉は差別用語だから使わなくなった」ということは分かるだろう。でも、自分よりも若い世代がその言葉を聞いて、その(差別的であるという)重みや十分に伝わらなかったら?その差別が自分自身の属性に向けられていたら?そう簡単に「ポリコレのしすぎ」なんて言って済ませていいんだろうか。

私がこれまで観てきた多くの西洋の青春ドラマにある「ヒロインの女の子は白人で細くて可愛くて、同じく白人のイケメンと恋に落ちる」みたいなプロットも、観る人たちが抱く白人コンプレックス(≒美しさの定義は多様であり得るはずなのに、白人を美の基準にしてしまう)だったり、ヘテロノーマティビティ(異性愛を当たり前のものとする)やアロノーマティビティ(人が恋することを当たり前のものとする)などを助長してきたと思う。自分も含めて。

逆に、レプレゼンテーションがあることで居場所を感じられる人、ロールモデル的存在を見つけられる人がいる。先ほど触れた実写版「リトル・マーメイド」の予告編が公開されたときに、黒人の小さな女の子たちのリアクションをとらえた動画がSNSで話題になっていた。

予告編が公開されると、予告編を見る子供たちが目を見開いて「アリエルは黒人!」と驚き、やがて「私みたい!」と満面の笑みを浮かべる様子が続々とSNSにアップされた。

撮影者の多くは、子供時代に「自分と同じ」プリンセスを持てなかった母親たち。彼女たちは、自分の子供が同じ肌の色のプリンセスをどれほど待ち望んでいたかを知っていたのだった。

出典:朝日新聞GLOBE+

今回のミーン・ガールズは、インド系アメリカ人の俳優がカレンを演じていたり、レプリゼンテーションにおける努力が垣間見えた。キャスティングの裏話をどこかの動画で見て、人種ではなく各キャラクターの性格や雰囲気を軸にキャスティングされたことが伝わってきた。

他にも前述の差別用語のセリフも無くなっていたりと、私としてはモヤモヤせずに純粋に映画を楽しめた感じがして良かった。(まだまだ細かいステレオタイプとかについて指摘し出したらキリがないと思うけど)

だから、色んなことを言う人がいるけど、結局はポリコレって大事だよね。むしろ「必要ない」や「やりすぎ」みたいな否定的なコメントをする人たちって、いわゆるマジョリティで既にレプリゼンテーションが得られていたり、これまでのメディアを通じて偏見を内面化してしまっている場合も結構あるのかもしれない。

でも、「とりあえず批判が集まらないように多様性を描いとこう」みたいな軽い感じで扱われるのは、結局ステレオタイプを助長してしまったりして適切なレプリゼンテーションにならないので、そこんとこヨロシク。

そんなことを思った最近でした。

ミーン・ガールズ、日本で公開されたらぜひ観てみてほしい。こういうジャンルに興味がない人からしたら「しょうもなっ」て言われるかもしれないけど、私は好きですよ。そのしょうもなさが。笑

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