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「姫」となる者の誕生と悲劇の序章。




両親が結婚した経緯。


両親はI県TH市出身。
父はせっかく地元を離れK県で公務員になったのに、母親(私の祖母)の執拗な帰ってこいコールに負けて帰郷。
母は6年交際した彼氏を後輩に寝取られ、破局。
父は35歳、母は28歳の頃、お見合いで結婚しました。

おそらく、そこに愛はありませんでした。
あったのは世間体や時流、ぼんやりとした願望。
彼らも「普通の幸せ」が欲しかったのだろうと今なら察せます。しかし、結婚がゴールではないことを理解できていなかったのですね。

結論からすると、2人は結婚すべきではなかったと思います。2人は結婚してよい人間性を持ち合わせていませんでした。
少なくとも、私を生むべきではありませんでした。これは2人にとっても誤算だったのでしょう。
そこは気の毒に思います。
しかし、「子ガチャ」失敗の可能性を知りながらガチャを引いたのは間違いなく両親で、産み落とした以上、適切な教育を施すのが最低限の義務でした。
両親はその義務を怠り、祖母に丸投げしました。

それが全ての失敗だったのだと思います。


両親と祖母の同居。


両親が結婚して、姉が生まれ、しばらくはI県TU市のアパートで暮らしていたそうです。
実家が父の職場から遠く不便だったので結果としてか、そもそもわざと実家から離れた職場を選んだのかは、私は知りません。おそらく、両方でしょう。I県に帰って来たけれど、実家には帰りたくなかったのではないかと思います。父の僅かな抵抗を垣間見ます。
しかし、どのタイミングか、三者でどのようなやり取りがあったかは不明ですが、私が生まれる前にはTH市の実家に帰っています。三者としましたが、祖母の要請を断れなかった父の独断だったと推測されます。
2月になって、姉が2歳になって、そろそろ2人目〜と考えたのでしょうね。11月にTH市で私は生まれました。

あまり関係ありませんが、3人姉弟で私だけ違う病院で生まれました。
母が言うには、家で突然破水して急遽直近の病院に搬送されたようです。母の口ぶりからすると本当に大変だったようで、当時の慌しさが伝わってきました。
弟が生まれたときのことを思い返すと、静かなものだったと記憶しています。3回目のお産で35歳と高齢、安全を期していたからだと思いますが、私が生まれる前後の母が置かれていた状況を想像すると苦しい気持ちになります。
そして、つい、被害妄想的ですが、私と弟の境遇を比較してしまうのです。
望まれて生まれる存在は、生まれる前から大切にされるのだな、と。

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