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「姫」の弟、誕生


末っ子時代の終わり


弟の誕生


「もうすぐ弟が生まれるんだよ。」
丸みを帯びた腹を見せて、母が言いました。
そこに新たな命が宿っているなんて不思議で、よく分からないけれど、嬉しい気がしました。

私が4歳6ヶ月の頃、弟は生まれました。
両親待望の長男です。

今振り返ると、両親が不自然に2人きりで出かけたことがあったのは そういうことかと……気付きたくなかったですね……。
未就学児2人を抱えて、1人は放置状態なのに よくもう1人作ろうなどと考えたものです。
しかも毎日喧嘩狂いモラハラざんまいなのに、よく性交渉したな……できたな……気持ち悪いです本当に。
よっぽど男の子が欲しかったのですね。
「そもそも男の子でなければ堕ろしていたのでは。」と姉は後に推測していました。私もそう思います。
母は35歳だったので最後の賭けだったのでしょう。

田舎の土地持ち長男の家だから、跡取りが欲しかったのは知っていました。
祖母が毎日の様に姉に言い聞かせていたのです。

「〇〇〇(姉の名前)は長女だけど、この家継ぐんだからな。」

「どこ行っても必ず戻って来んだぞ。」

この言葉は姉妹を土地に縛り付ける呪いとして現在も活きています。
2人とも県外に出られる機会があったのに、結局戻って来てしまいました。あんなに出て行きたかったのに、外では生きていけませんでした。



過保護と過干渉


弟の誕生により、末っ子でなくなった私への風当たりは強くなりました。
今まで怒られなかったことで怒られるようになり、当時の私は酷く困惑しました。若さで許されてきたことが許されなくなった、みたいなところですけど、未就学児には理解できません。
甘やかされ、痛みを自力で克服する学習の機会を与えられていない私には耐え難いものでした。

今、振り返ると過干渉の始まりはこの頃からだと思います。
放置か過保護の状態が、放置か過干渉に切り替わった印象です。
基本放置は変わりませんが、私が失敗しても大して怒鳴らないのが常だったのが、私が失敗しないように支配的になったのですから大変な恐怖とストレスです。
私の選択権はとても少なく、しかも有る様で無いに等しいものばかりで、気が付けば周りの決定に流されている状態にあり、自分で判断する能力が育ちませんでした。自分が何もしなくても、勝手に決まっていて、何とかなっている(死んでいない)ので問題ない、という感覚です。
実際には私の意思を犠牲にされているのですが、私自身すらそのことに気付いていませんでした。



存在が希薄になる中間子



私の存在は、より希薄なものとなっていきました。
母方の祖母が晩年、私に「昔は居るのか居ないのか分からない子だった。」と語りました。私は幼少期から既に集団の中では黙る傾向にありましたので、尤もだと思います。

家の中では、誰も私に関心を持ちません。
関心が向くときは即ち、怒られるとき、私が失敗をしたときだけです。
誰も私に意思や人格があると思っていません。
私に向けられる言葉はいつも否定的で暴力的で、私の発言はいつも遮られ、嘲笑われてきました。

確かに私の言動がトンチンカンだったこともありましょう。しかし、そのほとんどが子どもなら当然の範囲だったと思います。
まあ、何にせよ、彼等の気分次第なので私の言葉の正否は関係ないのですけどね。

両親祖母は何より世間体を重んじます。家の中と外とで態度も言葉も変わり、困惑しました。
外ではニコニコしていても、家に帰って来た途端「何であんなこと言ったの? 恥ずかしい。」が始まるのです。
私が黙って過ごすようになるのは自然なことだったと思います。
発言=失敗で、恥ずかしいことなので、会話するのが怖いのです。
それと、そもそも情緒が育っていませんので、中身が空っぽで話すことがないのです。悲しいことに。



被害者から加害者へ


両親、祖母、姉、4人分の感情のゴミ箱にされていた私ですが、弟が生まれるまではいくらか素直で明るいところがありました。
そこに影を落としたのが弟への嫉妬心です。
弟は家の中心で、全員の興味関心を集めてて、何でも許されていました。そして我儘自己中暴力的で、何の悪びれもなく私の領域を侵害してくる無神経さが、本当に腹立たしく、疎ましかったのです。
姉も、私にこんな感情を抱いていたのかもしれません。なるほど、毎日嫌味を言ってくるわけです。
だからと言って許されるわけではないのですけどね。
そう、許されることではないのです。
自然の道理とはいえ、私も弟を感情のゴミ箱にしてしまったこと、衝動的に暴力を振るってしまったことは許されない罪です。
私が家族にされて嫌だったことを彼にしてしまったことを、ずっと後悔しています。

当時の私は、家族(特に姉)にされた様に感情のゴミを弟に吐き出していました。
吐き出す一瞬は癒されますが、少し落ち着くと罪悪感が生まれ、今度は優しくしようと思っても、私の領域を侵害する弟に優しく接することなどできませんでした。
毎日、この繰り返しで、疲れて、思考が麻痺していって、気が付けば暴力を振るっていました。
それを両親に咎められても、私は謝ることしかできませんでした。
「どうして、こんなことするの!?」と聞かれても、私は答えることができませんでした。
今も答えることができません。ただ、自制心が足りなかったとしか。
自分がやってしまった事への驚きと恐怖と悲しみと後悔と、目の前で泣き喚く弟への罪悪感と、ただ怒鳴るだけの両親への失望を、今でも覚えています。

弟には私を非難断罪する権利があります。
良い姉になれなくて、本当にごめんなさい。




圧縮と歪み


私が一人っ子なら、末っ子のままなら、弟が生まれるのがもっと遅かったら、いっそ私が里子に出されていたら、どう育っただろうか、今とは違っただろうかと、昔はよく考えました。
考えたって意味はないですけどね。
それでも、我儘だけれどもう少し素直な性格の自分がいたかもしれないと思いを馳せてしまうのです。

「だんご3兄弟」という曲に「自分が1番、次男」という歌詞がありますが、そうでもないと次男は生きていけないのだと思います。

上にいびられ、下にたかられ、親の関心を得られず、自己主張していかないと、自分を優先させていかないと、押し潰されて、陽の光は当たらず、空気が吸えないのです。
結果、それが我儘と家族から看做されても、
「姫」と腫れ物扱いされることになっても、搾取に抗う防衛本能が歪んで現れただけなのだと、今は思います。
決して自分の行為を肯定や擁護するつもりはありません。
多くの方々に迷惑をかけたのは事実で、とても申し訳なく思います。


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