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『上野千鶴子がもっと文学を社会学する』について

頭の片隅にいつも「上野千鶴子は危険」という思いがある。切れ味鋭く、読んだら絶対に面白いが、その分わたしのなかで自覚的、あるいは無自覚に前後左右へ浮動する行動規範が揺さぶられるからだ。

また、男性が彼女の本を読んだことを公表すれば「リベラルなフェミニスト男性だ」と世間、とくに女性からの評価が高まるが、女性が読んでいると自己中心的な人間と思われそうで怖い(実際自分勝手だと思うけれど、振り切れていると思われたくないという自己防衛的な、かよわき心が現れます🤣)。日本の男女にとっての分水嶺、リトマス試験紙のような存在。

ネオリベ的でグローバルな市場下に置かれ、ために世界水準の指標が一律展開される昨今では、男女平等について大方の人がタテマエ的には賛同している。しかし、現実や(男女ともに)ホンネの部分ではどうなのだろうか。非常にナイーブな問題であり、それだけ友と敵を峻別するから、むやみにナイフを振り回せない。

ただし読めばわかるように、彼女は女性のジェンダーも、男性のジェンダーも検討しているし、ミソジニーでもミサンダリーでもなく、むしろ清濁併せ呑んで、人間に対するなみなみならぬ高い関心と深い愛に溢れている人なのだというのが見えてくる。

ときに社会学者が論じ始めると、事実の羅列や統計データによってみるみる味気のないガムのような文章になりおおせるが、上野さんの場合は読者が求めるジューシーなシズル感、出汁の旨み、滋味深さも熟知している。言い切り型の性格がたまにキズになることもあるが、ユーモアたっぷり、白黒つけられない人間の心の襞をも知悉していると思われる。茶目っ気とズルさが人を惹きつける。

つまり、社会学者であると同時に、彼女は文学者でもある。

ニクいなあ…。

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とくに私が面白かったのは以下の通りです。

◆梅棹忠雄「妻無用論」など

とにかく時代の先見性がすごい

◆阿部健『どぶろくと女』

古来酒造りは女のしごとであり、男女の共飲共食とふつうだったが、明治国家が日清・日露戦争と軍備拡張のための増税政策で酒税を確保するようになると、女は家庭での酒造りから引き剥がされ、女性の飲酒を制約したために、女性の地位が低くなった

◆小倉千加子『セックス神話解体新書ー性現象の深層を衝く』

・思春期に娘に対する母の要求が「やればできる」から「女らしく」へと変わる、言い換えれば「男子に負けるな」から「男子に勝ちをゆずれ」へとメッセージが変化する…その実、母親の生きている現実は「結婚しなさい。そうすれば幸せになれるよ」と「結婚しているけれど私は不幸せだ」というダブルバインドな(互いに矛盾しあう)メッセージを送ることによって、娘は引き裂かれる

・「母に対するレズビアニズムの抑圧と否認が、ヘテロセクシャルな女性のジェンダーを形成する」「自分が否定(軽蔑)している者を愛の対象としなければならないという背理をヘテロセクシャルの男性はみな生きている」、したがって女性にとってのジェンダー化は「禁じられる対象とのセックスを禁止して内面化する一種のメランコリー」になり、男性にとってのジェンダー化は、ミソジニー(女性嫌悪)のホモソーシャルな男性集団に加入していくことになる

◆ニキ・ド・サンファル自伝

・実父による性的虐待への怒りと憎しみから、なんとか自分を救い出し、父への許しの境地へと辿り着くためにアートに一生をかけたこと(上野先生が私の好きなニキを知っていて嬉しかった)

・結婚していながら結婚の外で快楽を求めることはフランスの中産階級のカップルにとって少しもタブーではなかったのに、父が他の女性ではなく娘のニキに性的な触手をのばしたのは、ニキによると「快楽ではなくそれはタブーであり、他の人間に対する絶対権力の誘惑」だった。自分に所属し、自分の支配下にあり、決して反抗も逃げもしない存在だということを知っているからこそ、自分の権力を過度に濫用して絶対者であることの悦楽を感じようとした

◆大平光代『だから、あなたも生きぬいて』とその後

自身が極道の妻から弁護士になった半生が描かれている。生まれた子どもがダウン症。知性の高い大平さんなら、カツマーやハシズムのようなネオリベラリズムの論理に乗れるが、テンパって走り続けてきた彼女に、障がいを持った子どもがゆっくりとした時間をプレゼントしてくれたのかもしれない

◆井上章一『美人論』

・「美人」というのは、結局のところ、「美人とは何か」という問いのまわりをめぐってジョギングするほかない(=本丸にたどり着けない)ような存在。なぜならば、美人とはそのようなものだから。「美人」とは「概念」にすぎず、その「概念」は歴史の産物

・戦後の「美の民主主義(誰でも美人になれる)」は百人百様どころか、万人が認める凡庸な「規格」を裏に隠し持っている

◆魔女の宅急便

13歳の「少女」キキを「女」にしていくのは、彼女を「異性」としてみる少年のまなざしであり、そのまなざしを次第に受け入れる(性のめざめ)ことに連動して、魔女としての「神通力」を失うことになる

◆二村ヒトシ『すべてはモテるためである』

「モテる」っていうのは、ひっきょう、自分が「キモチワルくない」ってことを、だれか他人が保証してくれるということ(モテたいというのは、どう考えても、ただ単に性欲のせいだけじゃない)

◆チェ・スンボム『私は男でフェミニストです』

「男をフェミニストにする最初の地点は、母親の人生に対し、自責の念を抱くことにある」。「母の人生を犠牲にして大人になったボク」が、「父殺し」のエディプスではなく、「母虐待」の阿闍世王になるというのが、日本の男の成熟を説明するアジャセ•コンプレックス

◆酒井順子『儒教と負け犬』

・「負け犬」女性は大都市圏に集中して棲息する(=東京・ソウル・上海を調査)。「負け犬」は中国では「余女(ユーニュイ)」、韓国では老処女(ノチョニョ)。台湾では「敗犬女王」=負けたふりしているけど、ちっとも「負けて」なんかいない!

・儒教についてのジョーク。中国人は儒教を生んだがさっさとそれを外国に輸出し、日本人は儒教を輸入したがタテマエとホンネを使い分け、韓国人だけがタテマエ通りに儒教を守っている。

・江戸時代に「女大学」を守っていた女はほとんどいないこと、「貞女は二夫にまみえず」と言わらながら、江戸時代の離婚率は高かったことがわかっている。女の側から請求した離婚もけっこうあったし、出戻りも再婚もへいちゃら、処女なんて探してもめずらしかった

・「東京負け犬は、色々な人と付き合ってはきたけれど今は恋人がいない、もしくは恋人がいたとしても何となく付き合っている。一人暮らしなのでセックスは割と誰とでもやってしまい、不倫も経験もあります、というイメージ」→対等意識を持ちながら、男にリードされたいホンネが隠せない股裂き状態→たとえ怖がられようとも言いたいことを全て言ったほうが幸福カモ?

・「ソウル老処女は、実家暮らしなので普段はあまり遊ぶことはできないし恋人もいないのだけれど、セックスに対する興味は少ないわけではないし、不倫も誘われたらしてしまうかも、という感じ」→ロマンチックラブ幻想が強く、男に要求するものが大きい分だけ貞操堅固

・「上海余女は、『この人とは結婚できない』と思うような男とは無駄なので交際したいし、簡単にセックスもさせない。当然、不倫などしても何ら得にはならないので、そんなこともしない、という存在」
→徹底した合理主義者

◆ドーナト『母親になって後悔している』

本当は子どもに対する感情はアンビヴァレントなのだけれど、「後悔」は禁句。あっても一時の迷いで、最後には「母になってよかった」「子どもは宝物」と肯定するしか選択肢がない。他方、男はかんたんに父になったことを後悔し、なかったことにしようと逃げることに全力を尽くす。そしてまんまと逃げおおせる。「父親になって後悔している」男に対して、社会はおそろしく寛大

◆マルクス『資本論』

生殖を「他人をつくること」と喝破。人間が人間を「つくる」…その事実に上野先生は畏れを感じすぎた。おそらく未来は「畏れを知らない」人びとがつくるのだろう

◆タイモン・スクリーチ『春画-片手で読む江戸の絵』

・春画研究史の時代区分
第一期
春画研究が下ネタに関心のある好事家のものとされ、まともな研究主題と見なされてこなかった時代。高橋鐵さんなど

第二期
テキストを克明に活字化して次の世代の研究者に大きな財産を残した。ただしビジュアル的な価値を強調したり、局部を隠すための無理なトリミングが過ぎたりして、歴史的史料価値を損なうこともあった。林美一さんや福田和彦さん、リチャード・レインさんなど

第三期
国外とも連携し、春画を浮世絵研究の延長線上に位置づけて学術研究の対象にしようとした。辻惟雄さん、小林忠さん、早川聞多さん、芳賀徹さん、スミエ・ジョーンズさんなど

春画研究が国外で盛んになった理由
日本国内ではコレクターが秘蔵したわずかな点数の作品を拝むようにして見せてもらうほかなく、研究対象へのアクセスがむずかしい
海外では第一に性器露出へのタブーが少なく、第二にボストン美術館やキンゼイ研究所などにまとまった量のコレクションがあり、第三にそれが一定の手続きのもとに研究者に公開されている(春画を含めて日本の浮世絵が明治期と敗戦後の時期に大量に海外へ流出した)

・スクリーチさんは第三期にも満足していない。美術史的な研究や学術目的の研究は、画風や技術、趣向や見立て、図画像的なアプローチに偏りがちでいっこうに核心に切り込んでおらず隔靴掻痒の様相を呈しているから。つまり春画はもともとセックスのために描かれたものだという簡単・明瞭な事実から、研究者が目を逸らすのに疑問を投げかける

研究の功績
・春画は浮世絵の一部であって両者の間に境界を引くことはできない(役者絵や美人画も自慰に使われた例がある)
・あくまで表象(性幻想)であって現実ではない(男女和合の図があったからといって、本当に和合していたかどうかは表象からはわからない=和合ファンタジー)

さまざまな批判
①春画消費には個人性よりは集団性が想定される(連や座などで文化消費とツールとされた形跡がある。「わじるし」とか「笑い絵」などと呼ばれパロディや諧謔と切り離せない)
②私秘的な空間の確保がむずかしいばかりでなく、私秘性の観念そのものが江戸人の世界にはなさそう
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個人という性的主体が私秘的な空間と時間のなかで自慰行為をするとい想定そのものがおそらく西洋中心的で、いちじるしく近代個人主義的
スクリーチの見方には、現代のポルノ消費を江戸時代のひとびとに投影したオリエンタリズムを感じる

◆白倉敬彦『春画にみる江戸の性戯考』

・くじる(ペッティング)・口吸い(ディープキス)・乳吸いの三点セットで女をすっかりその気にさせるのが作法と心得るのが江戸人

・女性に性欲がないとされ、女はマスターベーションをしないはずになっていた近代という野蛮な時代の性的妄想に比べたら、江戸の春画の性的妄想のほうがより洗練されていたと軍配が上がるだろう

◆白倉敬彦『春画に見る江戸老人の色事』

・フーコーの『性の歴史』以降、性の研究について「自然」と「本能」ということばは禁句となった。性は本能ではなく文化であり、ゆえに歴史や社会によって変動する。それはジェンダーだけでなく階級の要因がある…

・「性的欲望は、男女ともに灰になるまである、というのが、江戸時代までの性的概念であって、それゆえに、男女ともの老人の性は認められていた」

◆赤松啓介『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』

・異端の民俗学者として一部の人々に知られていただけで、神戸市の郷土史の専門家として暮らしていたが、86年に明石書店から『非常民の民俗文化-生活民族と差別昔話』を刊行してから大ブレイク。80代に入ってから、分野と世代を超えて読者に知られるようになった。養老孟司さんが60代、日野原重明さんが90代で大ブレイクしているから人の一生は何が起きるかわからない

・民俗学は、人類学とならんで、しばしば「来た、見た、書いた」と言われるように、その場にいた者が勝ち、知らない者は口がはさめない、という側面

・土地の古老に聞いた、という域をこえて、「わたしが実際に経験した」というところが赤松民俗学のすごさ。日本民俗学の父といわれる柳田国男が、性とやくざと天皇を扱わなかったといわれるが、柳田が存命中からそれを果敢に批判した。下半身にかかわることは、まず多くの人が口に出さないだけでなく、記録に残らない。ましてや外来者にはしゃべらない

・日本の夜這い慣行は、高度成長経済期直前まで各地に残っていた。村落共同体の崩壊と軌を一にしていたといえる。農村より漁村に最後まで残ったといわれる。共同労働が多く、集団の結束が固い漁村では、共同体慣行がおそくまで続く傾向

・明治政府が夜這いを「風紀紊乱」の名のもとに統制。だが、各地で夜這いは長期にわたっておこなわれた。一方で乱婚やフリーセックスのような道徳的な頽廃として、他方で古代の歌垣のようなおおらかな性のシンボルとしてロマン化され、さまざまな思い込みや思い入れをもって語られてきた。だが、夜這い慣行の実相は、共同体の若者による娘のセクシュアリティ管理のルールである。初潮のおとずれとともに娘組に入り、村の若者の夜這いを受ける娘にとっては、処女性のねうちなどないし、童貞・処女間の結婚など考えられない。娘の性は村の若者の管理下におかれるが、そのなかで結婚の相手を見つけるときには、「シャンスをからくる」といって、恋愛関係のもとでの当事者同士の合意がなければ成り立たない。親の意向のもとでみたこともない相手に嫁ぐという仲人婚は、村の夜這い仲間では考えられない。夜這いには、若者にとっても娘にとっても、統制的な面と開放的な面の両面がある。明治政府が夜這いを取り締まろうとしたとき、村の若者たちは「夜這いがなくなるとどうやって結婚相手を見つけたらよいか、わからない」と言って反対した
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日本の伝統的な結婚形式はお見合いとか、処女のまま初夜を迎えるなどは「創られた伝統」であり、日本における見合い結婚とは「封建的」なものであるどころか、「近代的」な結婚の仕方

・60年代の半ば、愛と性と生殖の三位一体からなるロマンチックラブイデオロギーとその制度的体現である近代家族が日本では大衆化するが、そのとき逆に「処女は愛する人に捧げるもの」という処女性の神話がピークに達したと言ってもよいかもしれない

◆柳田国男『明治大正史 世相編』

・見合いの場で初めて会ったり、極端な場合には結婚式の場で初めて会うような結婚を、柳田は「野蛮」と呼んだ。結婚する当人たちの愛情を第一に置かないような婚姻が不自然なものであって、庶民のあいだにはもともと婚姻自由の伝統があった

・エリック・ホブズボーム『創られた伝統』にあるように、わたしたちが現在「伝統」と呼んでいるものも存外歴史が浅く、あとになって「伝統」と捏造されたものが多い
→「家制度のもとの見合い結婚」という伝統もせいぜい1世紀程度の歴史
→「天皇の男系一系主義」も明治期の創られた伝統

・見合い結婚はもともと一部の武家社会の習慣にすぎなかったものが、四民平等のもとで庶民のあいだに拡がり、家柄・家格を気にする家長が遠方婚をのぞみ、そのための仲介役に仲人が登場し、結婚に「戸主」の同意を必要とする明治民法による家長権力の強化が後押しをした。恋愛結婚は「くっつき夫婦(めおと)」や「野合」と呼ばれて蔑まれ、嫁入りは披露宴と同時になし、長きにわたる嫁姑関係の始まるきっかけとなった(=嫁姑問題は近代の問題!)

・近代以前は、村落共同体に若者組と娘組という年齢階梯性があり、そのもとに若者宿と娘宿という寝宿習俗(夜這い)がおこなわれた。本人同士の合意にたとえ戸主が反対であっても、若者組の仲間によるいささか荒っぽい介入(嫁盗みなど)があって、結局は戸主が折れざるをえない。まず婿入りという処顕し(嫁の家族による公認)があって、婿は娘の実家へ通う(妻問い)。新婚の夫婦は別棟の「ヘヤ(婚舎)」をあてがわれるから、妻の親族への気兼ねもない。数年して子どもが生まれてから、舅姑が隠居して隠居屋へ移るのを機に、子どもを引き連れて嫁入りをし、主婦権の委譲を受ける

・ここで戸主の権力(家長権)が共同体の力(若者組)によって制約を受けたことが重要。婚姻に「戸主ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス」という明治民法の規定は、けっして「伝統的」なものではなく、むしろ近代民法によって家制度とそのもとの戸主権は強化されたといえる

・柳田は、婚外子の増加を「古来の現象でなかった」といい、よく知らない相手と軽率に性関係を結ぶ今時の若い娘にその原因を帰しているが、それというのも「徹底したカタラヒをする練習の機会」から娘たちが遠ざけられているから。さらにその背後に、乗り逃げしても責任を問われない男の無責任さと自由な移動がある

・配偶者選択に若者組・娘組が果たした役割は、「男女おのおの身のほどに適した選択を誤らず、いったん契りを籠めた以上は一生涯背かぬ」相手を選ぶ際に、「正しい指導力と標準とを示すものは、土地を同じゆうして共に育ち、互いに知り悉している青年処女、自身もまたこの問題に無限の関心を寄せている者の、群れの輿論」

明治20~30年代、政府は若者組・娘組の解散を推進し、若者組を青年団に、娘組を処女会へと改組し、衰退がはじまる。「処女会」という名称が象徴するように「結婚するまでは処女で」と処女性の価値は上がり、寝宿習俗は「蛮風」として退けられた

柳田「微々たる無名氏の、無意識に変化させた家族組織の根軸、婚姻という事実の昔今の差異は国史の外かどうか。いかなる学問がその研究を怠っていたことを責められてよいのか。これが社会からの率直なる詰問」

・柳田の弟子である瀬川清子による『若者と娘をめぐる民俗』は、若者組の決まりなど各地の寝宿習俗(夜這い慣行)を再録した労作。自由な婚前交渉と見られた寝宿習俗は若者集団による娘集団の性の統制だったため、村の外のヨソ者との性交渉は男も娘も制裁の対象となった

・のちに人類学の比較文化研究の分野で、婚前自由交渉と呼ばれるこの集団単位の性交渉は、オセアニア圏一帯に広く分布していることがあきらかになった。その後、西欧でも「性の歴史」研究が盛んになるにつれ、婚前の男女の添い寝のような習俗が、村社会では一般的であることが知られるようになった。近代化による性規範の変化の指標が婚外子の出生であるとしたのは社会史家のエドワード・ショーター

・貨幣経済に縁遠かった村社会には、買春はなかった。森栗茂一は『夜這いと近代買春』のなかで、なぜ夜這いが買春に凌駕されていったかを論じる。娼婦は交易の要路にある宿場町や港町にいて、都市と異郷のシンボルだった。江戸時代の遊女と地女の対立に見られるように、カネで買える女が、カネのかからない女よりも高い価値を帯びるようになる。それがやがて「性の工場労働」のような近代公娼制にとって代わられる。一方で結婚前の娘たちには純潔が要求されるようになる。

・寝宿習俗とそれにともなう婚姻慣行が持続できたのは、村共同体の安定=閉塞があったから。「御一新」はこの閉塞を打ち破った。個人は地理的移動も社会的移動も自由になった。一方では家制度を強化し、それまでの共同体的統制に従っていた戸主の私権を拡大した。他方では共同体が堰き止めていた国家の家族への介入を許し、個人を国民化するのみならず、家を国家の末端装置とした=国民国家と近代家族のセットの登場

・80年代に入ってから学歴と出身階層の相関が高くなり、地位の一貫性が強まり、世代間の社会移動は低下した
→ピエール・ブルデュー:「価値観が一緒」「趣味が同じ」という「同類婚」の基準が、文化資本によって恋愛相手を選別する「合理的選択」である

・女性にも選択肢が増え、人的資本としての投資とその効果が期待されるようになると、高経済階層の男性は、配偶者選択の基準に、女性の美貌よりも稼得力を重視するようになる。その気になれば、美貌ぐらいカネで買える。「頭のからっぽな美女」のステレオタイプの代わりに、美貌も学歴も成功も経済力も…すべてが相関する高い「地位の一貫性」がネオリベ社会で生まれているかもしれない

・戦時下の「産めよ殖やせよ」の国策キャンペーンは功を奏さず、その期間には出生率が低下しつつあったのに、戦後、外地から約600万人の復員兵や引き揚げ者が戻ってきて政府が人口抑制を唱えたときには、そのキャンペーンにも効果がなかった

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