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地方創生、公務員の前で言えない私見

決して地方創生を全否定はできないことを承知で愚痴愚痴言ってみたい。

地方創生が謳われ始めてから、今まで独自に駒を進めていた自治体までもが振り出しに戻ってしまったような気がする。

一歩一歩着実に進めていたのに、地方創生が言われ始めてから、そちらのやり方になびいてしまって、本当はそのままやってれば良かったのに、他の人と同じように0からのスタートを切ってしまった自治体もあるんじゃないかと思う。

地方としてひとくくりにされてしまって、みんなが同じ価値観の元で似たようなことをする。それは本当に地方創生なのか。数年前に大臣が、地方創生が失敗したら国家の存亡に関わるとか言ってたけど、その割にのんびりしてるもんだ。政府が示した一政策の効果如何によって、日本の行く末が左右されるとは思えない。確かに、東京へ人口が一極集中する日本の現状は、国が動かなければならない事態なのかもしれないが、本当に深刻な問題なのであれば、強制的に東京に人を入れないようにしてしまった方がいい。トランプ大統領がやった移民政策の国内版というか。とにかく、国会議員が国の独立と平和が云々ということを、地方の市町村議員に熱弁するほど差し迫っている事態なら、もっと極端にやった方がいいんじゃないか。それにも問題はあるのかもしれないが、東京に人口が集中しすぎないようにするために、地方にもっと頑張れというのはなんだか負担が一方に偏っているようにも思う。でも結局、地方の人間も中央の価値観というフィルターを通して社会を見ているから簡単に受け入れてしまうんだろうな。中央の言うことに疑問を持たない、明確に意思表示をしないって状況が一番問題なのかもしれない。そもそも、地域の課題の根幹は人口や雇用なのかよ。

地方創生の目標は壮大で捉えどころがない。政府は、日本の人口バランスがどうだ、地方の経済がどうだ、地方と都市では出生率がどうだとか言ってるけど、地方の小さい市町村にとったらそんなことはどうだっていい。地域の住民にとって一番大事なことは、明日の大雪に備えて除雪車がちゃんと手配されているかどうかだ。「これから地方創生をする。地域に仕事をつくり若者を増やせ、やり方は自分で考えろ、でも国の気に入ったやり方じゃないと金は出さない」なんていきなり言われたって上手くいく気はしないな。自治体だけでなく、地域の人だって町の衰退については考えているけど、町をどうにかしようって人はほとんどいない。若い人がやってきて何かするのは最近は歓迎されているけど、大多数の人にとっては人ごとなのだ。確かに、積極的に関わる人はいるけど、その集団だけで地域の経済や雇用に影響を与えることは難しい。

新しいこの動きが浸透するまで、まだ時間はかかりそうだ。なんてったって、若い衆がいきなり町にやってきて賑やかにやってるなんてなんか不自然なんだよ。僕は不正直な見方をしてしまいがちだけど、地域で活動する若者のインタビューなんか見ていると、みんな言っていることが立派すぎて本当かよと勘ぐってしまうこともある。地域コミュニティの再構築って、こないだ来たばっかりのやつが町の何を知ってんだって思うよ。

単にコミュニティって言ってもいろんな形がある。対面することがなくてもコミュニティというものは存在する。どんな田舎であれ、現代の若者は都市の価値観で育っている。僕らには理解しがたいムラ社会というものはまだある。そのムラ特有のコミュニケーションの取り方というものがある。ハタから見てると本当に馬鹿馬鹿しいことばっかりなんで、こういう時に空気を読まないよそ者が来て全部かき乱してくれるのもいいかなと思ったりもするけど、基本的によそ者はよそ者として扱われる。僕の家族は20年も前から村に住んでいて打ち解けているけど、この村の人間関係については謎が多い。

そういうことは、実際に田舎に住んでみればわかると思う。それでも定住を決意する人はいるけど、どれだけの人がいつまで住み続けるかわからない。そもそも、全く知らない土地に単独でひょいとやって来れるようなやつは、十年後も同じ場所にいるのか怪しいものだ。人々のライフスタイルは定住の必要性を徐々に欠いているのだから、人口の増減を気にするのもどうなんだろう。ハローワークに行ったら、採用条件に「市内に住所を移して定住できる方」と提示されてて驚いた。今どき囲い込みかよと。まあ労働内容も関係するかもしれないけど。

地域振興の分野では、「○○市のまちづくりはどうだ」といった感じで、一般的に国や市町村などの行政区分を基準に語られている。人口や予算などあらゆるカテゴリに対して評価や意思決定をするためには、そうやって範囲を指定する必要がある。でも、今後その考え方は少しばかり見直されるべきではないかと思う。

まず大事なのは町ではなく、自分の身の回りだろう。地方創生や地域活性化というのは、行き過ぎたお節介のように感じるのだ。所属している地域で税金をどうするか、インフラ整備をどうするかなら構わないけど、活性化って言われてもほっといてくれよと思うこともある。私立大学を公立化して、若者に地域に残ってもらって活性化を図るという話もあるけど、これは論外だ。集客できない民間企業を公営で回そうとするなんて、そんな税金の使い方されたら住民としてはたまったもんじゃないよ。

活性化の方法論はよく議論されるけど、活性化の意味、その根本を問う機会というのはあまり注目されない。その意味をもっと突き詰めるべきだろう。町とは何だ。町が消滅するとはどう言う意味か、もっと突き詰めると面白い答えが出て来そうな気はするんだけどな。我々は社会を形作る地域という枠組みに何を期待しているのか。

地方創生とか地域活性化の隆盛が、人々にその幻想の存在を気づかせる機会を与えてくれているように思う。



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